仁川上陸作戦
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情報収集
上陸作戦開始前に、韓国軍、アメリカ軍共に、仁川地区の島嶼に諜報部隊を送り込み、情報収集を行った。仁川上陸作戦を期待していた李承晩ら大韓民国の首脳は諜報部隊を送り込む事を決め、仁川の南南西約22キロメートルの霊興島(ヨンフンド)に韓国海軍本部情報局長咸明洙少領(後の韓国海軍参謀総長)が派遣された。士官、下士官、兵等17名で構成された諜報部隊は、アメリカ軍が作戦実施しやすいように「有利な形の情報」を報告するように求められた。8月23日、一行は霊興島に到着すると地元住民で義勇隊を組織して態勢を整えるとともに、民間人に偽装して海路、仁川に自由に出入りし、北朝鮮軍の兵力、機雷の配置状況、岸壁の高さなどを調査した[46]。
マッカーサー等は韓国軍が差配して送ってくる「有利な情報」に歓喜したが、この情報を「白人種の眼」で再確認する必要性を感じ、自軍からも要員を送り込むことになった[47][48]。潜行要員のアメリカ海軍ユージーン・クラーク大尉[† 4]と通信兵、通訳の韓国人2人、計4名の一行は、8月31日、イギリス海軍の駆逐艦HMS チャリティで佐世保を出発すると、德積島(トクチョクト)沖合で韓国海軍の砲艦に乗り換え、9月1日に霊興島に上陸[49]。島民の協力の下、昼は身を潜め、夜になると仁川港周辺の偵察、敵の防御を確認した。クラーク大尉は仁川港前面に位置する月尾島にも島民を送り込み火砲の配備状況などを精密に調査した。これらの諜報活動により収集された情報、過去仁川で勤務したアメリカ軍関係者への聴取、航空写真の分析などにより、高い岸壁がある仁川市北西部(レッド・ビーチ)の岸壁の高さが確認され、上陸用舟艇から直接岸壁を登るためのアルミ製のハシゴが大阪市淀川区の日本アルミに発注された。クラーク大尉は9月15日午前0時には仁川港へ進入する水路を示す八尾島(パルミド)灯台に潜入し、これを点灯して上陸艦隊の第一陣を誘導した。この功績によりクラーク大尉には海軍十字章が与えられた[50]。代償として北朝鮮兵士により霊興島民約50名がスパイ容疑で処刑された[51]。
注釈
- ^ 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 1969, p. 18-19第一次世界大戦で機関銃大隊長、第二次世界大戦でイタリア戦線の第92歩兵師団長をつとめた軍歴30年の歩兵将校。参謀長としてマッカーサーに心酔していた。
- ^ 朝鮮戦争 (上) 1999, p. 84戦力9,685名であったが、8月4日までに、戦死85、戦傷895、行方不明2,630で、戦力は40パーセント以下に低下。
- ^ 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 1969, p. 22韓国兵をアメリカ兵と同じ割合で編入し、教育した。
- ^ 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 1969, p. 89たたき上げのアメリカ海軍大尉。占領行政にたずさわっていた。第二次世界大戦を南太平洋で従軍し東洋に長くいたことから、簡単な中国語と日本語を話すことが出来た。本上陸作戦でも用いられる軍用貨物船の艦長を務めた経験から、上陸適地の判断に適任と考えられた。
出典
- ^ a b c d “Inch’ŏn landing”. ブリタニカ百科事典. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “[社説]仁川上陸作戦60年に振り返る自由民主主義”. 東亜日報 (2010年9月15日). 2023年6月7日閲覧。
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- ^ 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 1969, p. 8
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- ^ 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 1969, p. 26
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- ^ a b “朝鮮戦争 不信と恐怖はなぜ生まれたのか?”. NスペPlus (NHK). (2019年3月1日). オリジナルの2020年11月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ 日本軍の存在なしに韓国軍はなかった 朝鮮戦争のエピソード zakzak2014.10.04
- ^ “仁川上陸作戦被害補償推進…韓国与党「壬辰倭乱も補償するのか」”. 中央日報 (2019年3月22日). 2019年3月24日閲覧。
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