京阪1800系電車 (初代) 概要

京阪1800系電車 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 01:31 UTC 版)

概要

1951年から1953年にかけて京阪線の特急車として合計18両が製造された1700系は、大出力電動機や新型台車の採用によるスピードアップや乗り心地の改善、それに同時期の国鉄二等車に匹敵すると評された転換式クロスシートの採用による快適性の向上などにより、線形が悪く速達性では不利な京阪特急の人気向上に大きな貢献をなした。

だが、この1700系が設計されてからの3年の間に、鉄道技術の先進国であるアメリカなどから駆動装置や制御器、それにブレーキなどの主要機器について様々な新技術が持ち込まれ、また戦後の航空産業禁止で流入した航空技術者たちが車体設計に関する様々な知見をもたらした影響もあり、日本の鉄道技術、特に車両設計技術は大変革の時を迎えていた。

そこで京阪は1700系の増備を打ち切り、電機・車両メーカー各社の協力の下、それらの新技術を盛り込んだ画期的な新型特急車の設計を開始した。設計については、社史のうち『鉄路五十年』(1960年)では「〔昭和〕26年2月に鉄道車両などの視察のために渡米した今田〔英作〕専務が新知識を多分に取り入れて設計し」と記載(P363)、『京阪七十年のあゆみ』(1980年)では「青木〔精太郎〕専務(現社長)が(中略)設計した」と記されている。

こうして1953年7月に第1陣が竣工したのが本系列である。

本系列は日本初の実用高性能車であったため、新聞などで「和製PCC車」、あるいは「無音電車」と報じられ、国内の各鉄道事業者鉄道車両メーカー等から大きな注目を集めた。

車種構成

本系列は以下の2形式で構成される。

これらは、以下の12両が2社によって製造された。

  • 第1次車(1953年7月竣工)
    • 1800型1801・1802:川崎車輌(現・川崎重工業)

全車竣工直後の編成は下記の通り。

  • 1809+1801-1802
  • 1803-1881+1804
  • 1805-1882+1806
  • 1807-1883+1808

なお、1800型は新機軸を満載していて試作車としての性格が色濃く、このため変則的な構成となっており、奇数車が三条寄り、偶数車が天満橋寄りに運転台を設置する片運転台車で、1802を除く偶数車と1809は増結用[注 1]である。

車体

全体のデザインは1700系のそれをベースとしており、側面の窓配置がd1(1)D9D(1)1(d:乗務員扉、D:客用扉(片開)、(1):戸袋窓)の17 m級で、前面が緩やかな曲面を描く丸妻で720 mm幅の貫通路を中央に設けた一般的な3枚窓構成、そして切妻とされた連結面に1,100 mm幅の両開扉付広幅貫通路を備える[注 2]というレイアウトや、2段上昇式で上段窓の上辺の枠を下降時でも幕板内に収めたままとする独特の窓寸法やその構造、それに正面部分で屋根の雨樋を一段下げる独特の前面デザインなどには変更はない。

ただし、内装の木材使用を廃し、それに代えて内装壁面にはサーモンピンク色に塗装された化粧板が貼付されており、この仕様は1810系(後に付随車2両を除いて1900系に編入)にも継承された[注 3][注 4]。なお、本系列は12両中9両が1700系のそれを踏襲する扉間転換式クロスシート装備のセミクロスシート車として竣工しているが、1803-1881+1804の3両1編成のみは全席ロングシートとして竣工している[注 5]

また、構造面では高張力鋼を多用した全溶接構造の全金属車体として各部材の軽量化を図ることで車体重量の軽減が実現されている[注 6]が、その一方で側面窓下に補強用のウィンドウ・シルと呼ばれる補強帯が露出する、古風な構造がそのまま継承されている。

もっとも、1700系の使用実績[注 7]から基本となる2両編成とは別に増結用電動車の新造が特に強く求められたため、本系列では1800型と1880型、あるいは1800型2両を背中合わせとして広幅貫通路で結ぶ2両1セットと、これに増結する1800型、という構成で新造されている。このような事情から増結用の1800型については連結面側も運転台側と同様の丸妻とされ、720 mm幅の狭幅貫通路が設置されている。

こうして、構造面での漸進的な改革を進めつつ基本デザインを踏襲した結果、本系列は前照灯が砲弾型になったことと新造時の標識灯の位置が変更されたこと[注 8]以外には1700系との間に外観上目立った相違は存在せず、サービス上も特に違和感なく混用が可能となっている。

車体塗装は1700系と同じく、上半マンダリンオレンジ・下半カーマインレッドのツートンカラーの特急色で竣工している。


  1. ^ 1950年代から1960年代まで京阪の特急車は編成が一定しておらず、増結車を深草・守口の両車庫で待機させておき、多客時に必要に応じ逐次増結していた。具体的には、両車庫から最寄りの三条天満橋の両ターミナルに増結車を回送で送り込んで、あらかじめ特急の到着を待つ乗客を乗せておき、やがて到着した基本編成へ増結する、といった弾力的な車両運用が行われたのである。しかし、本系列の増結車は片運転台車であったため、1両のみの増解結を行う際には運用上の制約が少なからず存在した。もっとも、本系列が特急に使用された時期には、乗客増で4両編成が主体となっていた特急の5両編成化のために固定的に運用されるケースが多く、その実績により車体が1 m延長された後継車種である1810・1900系では、1880型制御車が運転台のない1880・1950型付随車に設計変更されてMc-T-Mcの3両編成が基本となり、さらに増結用電動車を全て両運転台装備とすることで運用の自由度向上が図られている。なお、京阪特急は1900系を置き換えた3000系以降1両単位での機動的な編成の増減を止めたが、それでも三条 - 七条駅間の地下化に伴うダイヤ改正までは深夜の閑散時に編成を二分し輸送需要の増減に応じた運用を実施していた。
  2. ^ 後述するように、増結用1800形については連結面部分の構造が変更されている。
  3. ^ 化粧板にサーモンピンク色を採用した事例は、日本の鉄道車両では極めて少なく、他事業者では本系列の落成直後に落成した営団300・400・500・900形程度しかなかった。
  4. ^ 本系列ではこの内装は一般車に格下げられた後も変更されずに維持され、特に夜間に異彩を放った。
  5. ^ また、この編成のみ前面貫通路窓が製造当初より黒色Hゴム支持であった。他車はロングシート化までは直接支持、ロングシート化後に黒色Hゴム支持とされている。
  6. ^ これにより電動車の自重について、1700形の41 tに対し33 tと8 tもの軽量化に成功している。ただし、柱や梁が全荷重を負担し側板には荷重負担がない、従来の構造を継承しており、2000系以降で導入された準張殻構造ではない。また、自重軽減には高定格回転数・軽量構造の新型モーターや、鋼板溶接構造の軽量台車を採用したことによる部分も大きい。
  7. ^ 2両固定編成であったため1両単位での増結用として接客設備の劣る1300形を起用せざるを得ず、同車に割り当てられた乗客から不評が寄せられた。
  8. ^ 1700系では車掌台側標識灯を幕板に、運転台側標識灯を腰板に取り付けていたが、本系列では双方とも腰板に設置した。なお、1700系についても後年本系列と同仕様に変更されている。
  9. ^ 端子電圧300 V時、1時間定格出力75 kW、定格電流285 A、定格回転数2,000 rpm、最高許容回転数4,500 rpm。
  10. ^ 端子電圧300 V時、1時間定格出力75 kW、定格電流280 A、定格回転数1,500 rpm、最高許容回転数4,500 rpm。
  11. ^ 同時期に住友が担当した営団地下鉄300形用WNドライブは、ウェスティングハウス社製ニューヨーク市地下鉄R11形用装置を正式なライセンスの下で複製したが、京阪向けはそれとは別ルートで得た技術情報を元に独自に開発を進めていたものを採用したとされる。
  12. ^ これは初のカルダン駆動車ゆえに、両者の比較、およびいずれか一方が故障しても列車運行が続けられるようにする目的であったと考えられる。
  13. ^ ただし日本初のシンドラー式台車を装着していた1803については、ギアカップリングを用いていた継手をたわみ板によるものに変更しており、日本の鉄道車両におけるたわみ板継手によるカルダンドライブの最初の実用例となっている。もっとも、続く1805以降ではギアカップリングに逆戻りしており、たわみ板継手の本格採用はシンドラー式台車ともども増備車である1810系で実現している。
  14. ^ 1800形はAMAR-D、1880形はACARを搭載。
  15. ^ これは、当時の京阪では朝夕ラッシュ時や季節ごとの輸送波動の調節を、1両単位の増解結で対応することが好まれたために起きた現象である。
  16. ^ 1810系とは1900系への編入以前の形式名である。ただし、本系列は1900系の就役開始後もしばらくは臨時特急用の予備車として特急色が維持されており、1900系との混結が可能なよう、この間の定期検査時に制御回路電圧を100 Vへ変更、さらに過負荷表示灯および空気バネ知ラセ灯など1900系固有の装備に対応する警告灯の追加設置や、スイッチ類の統一など運転台周辺の仕様変更が実施されたが、1800系と1900系との混結は試運転を含めて一度も実施されなかった。
  17. ^ 座席は格下げ後もえんじ色のモケットが使用されていた。
  18. ^ この改造により窓配置は2(1)D9(1)D3(D:客用扉(片開)、(1):戸袋窓)から2(1)D3(1)D3(1)D3に変更された。





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