二正面作戦 二正面作戦の概要

二正面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 09:22 UTC 版)

なお、敵が3つでそれぞれと同時に戦っている状況や、そういう状況に陥ることは「三正面作戦」という。

概要

複数の地理的に離れた戦線で戦うということは、戦力が分散してしまうことを意味する。クラウゼヴィッツなどの戦争論でも、兵学でも、古代以来の中国の兵法でも、『敵を撃破するうえで重要なことは、自軍の力を一点に集中させること』とされているので、「二正面作戦」というのはまさにそれの逆の状態に陥っていることを意味し、一般に非常に悪い状況に陥っていることを意味する。

たとえば、分かりやすい例として自軍が2つの戦線に均等に兵力を投入すると、それぞれの戦線では自軍は「わずか半分の兵力で戦う」という状況に陥る。個々の戦線において、自軍が兵力の小さい軍隊になったことと同じことであり、自軍が苦戦したり敵に撃破されてしまう可能性が増す。よって古代から現代にいたるまで一貫して、「二正面作戦は避けねばならない」とされている。 もう少し理解が進むように数値を使って説明すると、たとえば仮に自軍の兵力を100とし、敵国Aの兵力が80、敵国Bの兵力が70だと仮定すると、たとえば敵国Aだけを相手にして戦えば、兵力比「100対80」でたいていの場合勝利できるのだが、二正面作戦に陥ってしまって自軍の兵力を二分割すると、戦線Aでは戦力比「50対80」で負ける確率が高く、戦線Bでも「50対70」で負ける確率が高く、両方で負けてしまう可能性が高い。このように本当は自国のほうが軍事力が大きくても、「二正面作戦」に陥ると、自国より弱小な国々に惨敗してしまう可能性が高くなるのである。

過去にこういう状態に陥った例としては、次のものが挙げられる。

ナポレオン戦争のフランスの場合

近代ドイツの場合

中央ヨーロッパに位置するドイツは戦争状態になった場合、西にある大国フランスと東にあるロシア・ソ連に対して戦争状態になる可能性が非常に高い。そのためさまざまな外交努力がなされてきた。第一次世界大戦以前にはオットー・フォン・ビスマルクによるフランスの孤立化を探る外交があり、第二次世界大戦前ではソビエト連邦の西欧諸国への外交上の疑心暗鬼から独ソ不可侵条約の締結などがあげられる。

近代日本の場合




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