三経義疏
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参考文献
刊行書籍
- 花山信勝 校注『法華義疏』 岩波文庫(上下) 初版1941年 、改版1975年。 上)ISBN 4003331516、下)ISBN 4003331524
- 花山信勝 校注『勝鬘経義疏』 岩波文庫 1948年、復刊1988年ほか ISBN 4003331532
- 家永三郎・藤枝晃・早島鏡正・築島裕 校注『聖徳太子集』 「日本思想大系 2」岩波書店 1975年
- 新装版 『憲法十七条 勝鬘経義疏』 <原典日本仏教の思想 1> 岩波書店 1991年 ISBN 978-4000090216
- 花山信勝 校注・訳『勝鬘経義疏』 吉川弘文館 1977年 ISBN 9784642020572
- 花山信勝 訳注・解説『聖徳太子分科経文 維摩経義疏 全訳』 京都:百華苑 1971年、改訂版1980年
- 早島鏡正 校注『勝鬘経 勝鬘経義疏』 世界聖典刊行協会 1999年 ISBN 9784881100950
- 高崎直道編・藤井教公訳注『勝鬘経義疏』 <大乗仏典 中国・日本篇16 聖徳太子・鑑真>中央公論社 1990年 ISBN 9784124026368(現代語訳)
- 早島鏡正・瀧藤尊教・田村晃祐訳 『法華義疏(抄) 十七条憲法』 中央公論新社〈中公クラシックス〉 2007年ISBN 9784121600967 (現代語訳)
- 中村元・早島鏡正訳 『勝鬘経義疏 維摩経義疏(抄)』 中央公論新社〈中公クラシックス〉 2007年 ISBN 9784121600950 (現代語訳)
- ^ 『日本書紀』巻第二十二「秋七月、天皇請皇太子、令講勝鬘經。(中略)是歳、皇太子亦講法華經於岡本宮」。現代語訳: 秋七月、天皇は皇太子に請い、『勝鬘經』を講じるよう仰せになった。その年、皇太子はまた、『法華經』をも岡本宮で講じられた)
- ^ a b (魚住、2010)p.35
- ^ (魚住、2010)pp.16 - 18
- ^ (東野、2017)pp.126 - 127
- ^ (魚住、2010)pp.20 - 22
- ^ (魚住、2010)p.23
- ^ a b (魚住、2010)p.24
- ^ (魚住、2010)pp.22 - 23
- ^ (東野、2017)pp.134 - 135
- ^ (魚住、2010)pp.23 - 24
- ^ (東野、2017)p.
- ^ (魚住、2010)p.36
- ^ (魚住、2010)p.
- ^ (魚住、2010)pp.25 - 29
- ^ (東野、2017)pp.121 - 122
- ^ (東野、2017)pp.127, 131 - 135
- ^ (魚住、2010)p.39 - 40, 46 - 47
- ^ (魚住、2010)pp.37 - 38
- ^ 井上亘「御物本『法華義疏』の成立」古瀬奈津子 編『古代日本の政治と制度-律令制・史料・儀式-』同成社、2021年 ISBN 978-4-88621-862-9 P212-223.
- ^ 吉川弘文館『国史大辞典』より「三経義疏」の項。
- ^ 解説を増訂したのが、中村元『聖徳太子 地球志向的視点から』(東京書籍 1990年)
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