ワルシャワ条約機構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 02:02 UTC 版)
概説
西ドイツの再軍備および北大西洋条約を批准して北大西洋条約機構(通称NATO)に加入した事態に対抗して作られた。
ロシア語での略称はОВДまたはВДと表す。英語での略称はWTOまたはWPO、WarPac。なお、ワルシャワ条約機構の解散後に創設された同じ略称の世界貿易機関 (WTO) と混同されやすいためにTreatyではなくPactを用いたWPOの略称が多く使われる。
この同盟の第一の目的はNATOへの対抗であった。この当時、アメリカ合衆国とソ連の間では核開発競争が盛んであった。核ミサイルを、アメリカはトルコに、ソ連はキューバに設置し、その照準を互いの国土に向けていた。こうした緊張によってキューバ危機 (Cuban missile crisis) なども勃発した。当時のソ連はアメリカを脅威と見なしており、アメリカが西欧諸国に軍事的な支援を行うことに強く反発した。よって同じ力を保つためにワルシャワ条約機構を作り上げた。集団的自衛権の行使を理由[2]にハンガリー動乱やプラハの春に軍事介入するなどソ連の制限主権論を実行する役割を担った。民主化運動を牽制する目的もあったとされるソ連史上最大の軍事演習だったザーパド81にも参加した[3][4]。
なお、NATOでは加盟国間での弾薬に互換性を持たせ、軍事活動を円滑化させる目的で弾薬の共通規格化(いわゆるNATO弾の制定)が行われたが、ワルシャワ条約機構では共通規格の制定は行われなかったものの、ソ連製の銃器や弾薬とそのライセンス生産品(改良点のある派生型も含めて)がデファクトスタンダードとなっていた。しかし法規的な制定がないため、チェコスロバキア製のVz 61のような、NATO加盟国製の銃器で使用されている弾薬を用いたものも公式に採用されていた。
1989年の冷戦終結に伴い東欧革命が始まり、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月にはソ連が崩壊した。
- ^ “Warsaw Pact”. CRW Flags 2018年8月18日閲覧。
- ^ 松葉真美「集団的自衛権の法的性質とその発達 ―国際法上の議論― (PDF) 」 、『レファレンス』第696巻、国立国会図書館、2009年1月 p. 93-95.
- ^ “5 most impressive and important drills of the Soviet Army”. ロシア・ビヨンド (2018年3月19日). 2019年4月27日閲覧。
- ^ “Russia begins its largest ever military exercise with 300,000 soldiers”. ガーディアン (2018年9月11日). 2019年4月27日閲覧。
ワルシャワ条約機構と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- ワルシャワ条約機構のページへのリンク