レンジファインダーカメラ 代表的な機種

レンジファインダーカメラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 07:30 UTC 版)

代表的な機種

135フィルムを使用するカメラ

戦前~1950年代前半まで、ライカ判を使用するレンジファインダーカメラを代表する機種といえばライカ(Lマウントライカ、現在はM型に対してバルナック型ライカといった通称でも呼ばれている)であった。小型軽量で機動性に富み、故障が少なかった。

当時のライカは、ドイツ国内に「コンタックス」というライバルが存在した。特に後のM型ライカ(1954年、M3を発表)の特長点のうち、コンタックスが先行していたものを挙げると、バヨネットマウントは1932年発売のコンタックスI型、距離計一体型ファインダーと一軸不回転式シャッターダイヤルは1936年発売のコンタックスII型ですでに実現している。しかしそのために、当時は高額商品であった小型精密カメラの中でも、ライカよりさらに高額なカメラであった。そもそも小型カメラばかりでなく、メーカーのツァイス・イコンは1930年代当時ドイツ最大の光学機器メーカーのカール・ツァイスのカメラ部門であり、ライカを製造していたエルンスト・ライツ(現ライカ)とは、開発競争や販売合戦を繰り広げていた仲であった。極論すればドイツの戦前のライカ判高級カメラはライカとコンタックスの2機種であり、日本のメーカーも大きな影響を受けた。

Lマウントライカは多数のコピー機が作られ、コピーライカと呼ばれた。コピーに当たって一番問題になったのは「距離計の2つの窓の間にファインダーを入れる」というライカが持っていた特許だったが、精機光学(現キヤノン)は飛び出し式ファインダー、昭和光学精機(レオタックス)は基線長が短くなるのを覚悟で距離計の外側にファインダーを持って来てライツの特許を回避した。また第二次世界大戦中ドイツからの輸入が止まり軍用カメラの必要性から各国で軍部が「特許を無視して製造せよ」と命じてアメリカのカードン、日本のニッポンカメラが作られた。戦後はドイツの特許が無効化されキヤノンニッカカメラ(後のヤシカ)、レオタックスカメラ、イギリスのリード&シギリスト(リード)などがこぞってライカを模倣し、互換機ないしはデッドコピーを作り続けて技術を磨き、さらには改良した機種を作り始めた。なお、こういったコピー機のブランド刻印等を削り取ってライカの刻印を偽装した偽物はフェイクライカと呼ばれている。

第二次世界大戦の終結は新たな形の戦争である東西冷戦の幕開けでもあった。東西に分割されたドイツは離散家族など多くの悲劇を見ることとなったが、その拠点が両ドイツに分散してしまったツァイス・イコン他の企業の運命もそのひとつに数えられ、カメラは軍事面との繋がりもあることなどから東ドイツのカメラについての情報は従来不十分であったが、リヒャルト・フンメルらの『東ドイツカメラの全貌』にドレスデンと一眼レフカメラを中心として詳細が述べられている。

ライカM3

一方で西ドイツの復興と軌を一にして復活したライツだが、日本メーカー等各社が独自の改良を続けて利便性を高める中、ライカは「伝統と信頼性は高いものの時代遅れなカメラ」になりかけていた。1954年のフォトキナで、ライツは設計のほとんどを刷新し、バヨネットマウント、装着レンズに応じて枠を自動で切り替える実像式距離計一体型ブライトフレームファインダー、一軸不回転等間隔シャッターダイヤル、等といったスペックのライカM3を発表した。

旧型ライカを至上として「追いつけ追い越せ」であった日本のカメラメーカー各社にとって、この新型ライカは衝撃であり、日本光学はその後の「ニコンSP」以降レンジファインダー機の大幅な改良は止め、一眼レフの「ニコンF」へと進んだ。ミノルタのM型ライカ対抗機「ミノルタスカイ」は生産されず「幻のカメラ」となり、同社もやはり一眼レフに進んだ。キヤノンは1959年の一眼レフ「フレックス」の後もしばらくレンジファインダー機の改良型を出し続けたが、1965年の「7S」が最後となった。

そのようにして高価格帯レンズ交換式35mmカメラの主流は一眼レフに移ったため、M型ライカはほぼ唯一の高級レンズ交換式レンジファインダーカメラとしてその後も改良を続け、主なモデルとしてはM4~M7まで進んだ後、M8でディジタルカメラとなった。他に小型化と一部電子化を図ったモデルとして、ミノルタとの提携によるライツミノルタCL(1973年)とミノルタCLE(1981年)があったが、直接の後続は無かった。

低価格帯のレンズ固定式のカメラでは、その後も下位モデルはビューファインダー・上位モデルは虚像式レンジファインダーというようにしてレンジファインダーモデルが存続したが、「ピッカリコニカ」(1975年)に始まる1970年代後半からのストロボ内蔵とほぼ入れ替わりにレンジファインダーモデルが消え始め、続く「ジャスピンコニカ」(1977年)や「キヤノンオートボーイ」(1979年)に代表されるオートフォーカス化によりレンジファインダーモデルはほぼ消滅した。

しかし皆無というわけでもなく、初代オリンパスXA(1978年)[5]、Agfa Optima 1535 Sensor、京セラの初代コンタックスT(1984年、1990年のT2はオートフォーカス)といったレンジファインダー機があった。コンタックスT2からその後1990年代のいわゆる「高級コンパクト機」というジャンルが広がったが、それらはいずれもオートフォーカス機であった。

ベッサR3A

1990年代にちょっとしたクラシックカメラブームがあり、その波に乗って2000年前後にいくつかのレンズ交換式カメラが現れた。京セラのコンタックスG(1994年)はオートフォーカスレンジファインダーと銘打ったが、撮影者が目視して使える距離計は備えていない。コニカの高級機「ヘキサー」のレンズ交換式上位モデルである「ヘキサーRF」(1999年)、コシナのフォクトレンダーブランドの「ベッサ」シリーズ(1999年~、コシナ・フォクトレンダーのカメラ製品一覧を参照)、「安原一式」(1999年)などがまず挙げられる。続いてニコンが、ニコンS3を2000年、ニコンSPを2005年に、ともに限定品として復刻販売した。2005年にはコシナのツァイスブランドで「ツァイス・イコン」が発売された(ツァイス・イコン#新生ツァイスイコン)。コシナ「ツァイス・イコン」にはボディ左右端の形状に、前述のミノルタCLE及びミノルタの高級コンパクト機TC-1の影響がある。以上に挙げた機種は、コシナベッサのマニュアル機械式シャッター機であるR2M・R3M・R4Mの各機(モデルはファインダー倍率の違い)の2015年9月を最後に、全て生産終了している。

120/220フィルムを使用するカメラ

スーパーベッサII

中判カメラでは、戦前からツァイス・イコンの「スーパーイコンタ」、フォクトレンダーの「スーパーベッサ」、プラウベルの「プラウベルマキナ」などが著名で、主に上位機種に搭載された。なお、これらの製品もライカ判カメラと同様に各国でコピー・模倣機が製造され、日本でも六桜社(コニカを経て現コニカミノルタホールディングス)の「セミパール」、千代田光学(ミノルタを経て現コニカミノルタホールディングス)のオートセミミノルタ、マミヤ光機(現マミヤ・オーピー)のマミヤ6など、数多くの製品が作られた。

ただし蛇腹を用いたフォールディングカメラが多い120フィルム使用カメラは構造上レンジファインダーをレンズに正確に連動させることが難しく[6]、連動レンジファインダーの装備は一部上位機種にとどまり、単体距離計を内蔵しただけのカメラも多かった。

戦後になって二眼レフカメラを除く120フィルムを使用するカメラが高級機・プロ用機に限定されていくと、蛇腹カメラが通常の固定鏡胴のカメラに置き換わっていき連動機構の制約がなくなった。135フィルムと比較して重厚長大になりやすい120フィルムの分野では小型軽量化しやすいレンジファインダー式は有利であり、オートフォーカスが実用化されても長らくその必要性が薄いとされてきた経緯から、比較的遅い時期まで一般的であり続けた。戦後の日本の代表製品としてはマミヤプレス、ニューマミヤ6、フジカG690、トプコンホースマンプレス、プラウベルマキナ67シリーズ、ブロニカRF645等が挙げられる。

110フィルムを使用するカメラ

Kodak Pocket Instamatic 60
Minox 110 S
キヤノン 110ED
キヤノン 110ED 20
  • コダック ポケットインスタマチック 60(1972年発売) - コダック社が提唱したポケットインスタマチックシステム初の5機種のラインアップのうちの最上位機種。レンジファインダー機能付き、Ektar 26 mm /F2.7、EE露出、マジキューブフラッシュソケット付き。ISO(当時ASA/JIS)400には対応していない。
  • コダック トリムライト 48(1975年発売) - (: Kodak Trimlite 48) レンジファインダー機能付き、Ektar 26 mm /F2.7、EE露出、フラッシュ接点をフリップフラッシュソケットに変更、ISO400に対応した。[7]
  • ミノックス 110 S(1974年発売) - ミノックス社唯一のレンジファインダー機能付きカメラ、Minoctar 25mm/F2.8、EE露出、マジキューブフラッシュソケット、専用エレクトロニックフラッシュF110用X接点特殊ホットシュー付き。ISO400に対応。[8]
  • キヤノン 110ED1975年3月発売) - レンジファインダー機能付き、26mm/F2.0のレンズを搭載したカメラで、当時110フィルムを使用するカメラの中では高級機に属した。デート機能付き。
  • キヤノン 110ED 201977年9月発売) - 110EDをモデルチェンジしたもの。ISO400のフィルム感度設定に対応。
  • ポケットフジカ600(1975年3月発売) - レンジファインダー機能付き、FUJINON 25mm/F2.8、EE露出、セルフタイマー、X接点フラッシュホットシュー付き。ISO400に対応しておらず、フジカラー400ポケットフィルム発売時に外装はめ込み式のND(減光)フィルターが発売された。
  • ポケットフジカ600ブラック(1975年7月発売) - 上記機種のブラック外装版。
  • ポケットフジカ350ワイド1976年10月発売) - 基本的に固定焦点のFUJINON 20mm/F4.0のワイドレンズカメラであるが、クローズアップレンズ切替時のみ菱形の二重像合致式レンジファインダーが使えるようになる。被写体に対してカメラ本体を前後して撮影距離40cmで合焦する。

シートフィルムを使用するカメラ

リンホフスーパーテヒニカ45

リンホフ・スーパーテヒニカシリーズやグラフレックス・スピードグラフィックシリーズ、ホースマン45Hシリーズなど蛇腹プレスカメラでも連動距離計を装備するものがある。これらはピントグラスによる測距やアオリ撮影対応など、フィールドカメラとレンジファインダーカメラの両方の性格を持ったカメラといえる。

スピードグラフィックシリーズは1950年代頃以降レンジファインダーに照明を組み込み、被写体に照射することで完全な暗闇でもピント合わせができる機構を持っている。

レンジファインダー式デジタルカメラ

エプソンR-D1

2004年にエプソンから世界初のレンジファインダー式デジタルカメラR-D1」が発売された。同機のシリーズは2014年のR-D1xG生産終了まで続いた。

また、ライカMシリーズがM7を最後のフィルムモデルとし、2006年のM8以降、レンジファインダー式デジタルカメラとして、M9、2013年の「ライカM」とシリーズを続けている。


  1. ^ 一眼レフのファインダーを距離計に換算した場合、有効基線長がレンズ焦点距離の2乗に比例する。
  2. ^ 例外的に最大1.5倍程度までファインダー倍率を可変できるものがある。またM型ライカではファインダーと距離計窓の対物側に一種のテレコンバージョンレンズを追加してファインダー倍率を上げるアクセサリが用意された。
  3. ^ 二眼式レンジファインダーにおいては、距離計側は視野全体が二重像となるため実像式にするメリットがなく、すべて虚像式である。
  4. ^ つまり、その場所にフィルムを入れれば像が得られる、ということ。
  5. ^ 初代以外、XA2~の後継機や廉価版のXA1などは全てレンジファインダーではないので注意
  6. ^ スプリングカメラに詳しい記事がある。
  7. ^ Kodak Trimlite 48”. An Introduction to 110 Film Format Cameras. 2023年11月6日閲覧。
  8. ^ Minox 110S”. The Sub Club. 2023年11月6日閲覧。


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