レオポルド・ストコフスキー 録音

レオポルド・ストコフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 07:17 UTC 版)

録音

1917年から1977年まで、およそ60年のも及ぶストコフスキーの数多い録音歴。以下の演奏は個性的な演奏として名高い。

戦前期(フィラデルフィア管弦楽団、NBC交響楽団、全米青年交響楽団)

ブラームスの交響曲全集を初めて作ったのはストコフスキーである。1927年から1931年にかけて作られた。また、SP盤のサイズでLPレコードなみの録音時間を実現した長時間レコードへの録音にも積極的だったが、世界恐慌のあおりでレコードそのものの生産が中止になってしまった。ライヴ録音も戦後期ほど多くないが、前述「グレの歌」初演ライヴやNBC交響楽団とのものを中心に残している。

戦後期(ロンドン交響楽団ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団アメリカ交響楽団など)

ストコフスキーの最後の録音はビゼーの交響曲メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」であった。BBCなどから多数のライヴ録音もリリースされている。


  1. ^ Leopold Stokowski - Hollywood Star Walk - Los Angeles Times
  2. ^ Abram Chasins "Leopold Stokowski, a profile" p.313, Hawthorn Books, 1979.
  3. ^ オーマンディ指揮のメンデルスゾーン夏の夜の夢』のCD(BVCC-38285)のブックレットに記載されているオーマンディのインタビューによると、ストコフスキーは理事会と諍いを起こしてフィラデルフィアを去ったが、オーマンディが理事会にストコフスキーの復帰を求め、ストコフスキーにも「以前のあなたのオーケストラに戻ってきてほしい」と手紙を書いた結果、ストコフスキーの復帰が実現したと語っている。
  4. ^ 「ラジオ技術」1981年8、10月号に詳細が記されている。
  5. ^ ブロムシュテット(2018)、66頁。
  6. ^ 「武道館で軟弱な西洋音楽とはもっての外」と、ビートルズの有名な一件より前に同じようなことがあった。ストコフスキーは武道館で演奏会を開いた最初の外国人音楽家となった。
  7. ^ バレンボイム(1994)、80頁。






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