ラウデンバッハ (ベルクシュトラーセ) ラウデンバッハ (ベルクシュトラーセ)の概要

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ラウデンバッハ (ベルクシュトラーセ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/29 23:10 UTC 版)

紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区: カールスルーエ行政管区
郡: ライン=ネッカー郡
緯度経度: 北緯49度36分
東経08度39分
標高: 海抜 102 m
面積: 10.29 km²
人口:
人口密度: 593 人/km²
郵便番号: 69514
市外局番: 06201
ナンバープレート: HD
自治体コード: 08 2 26 040
行政庁舎の住所: Untere Straße 2
69514 Laudenbach
ウェブサイト: www.gemeinde-laudenbach.de
首長: ヘルマン・レンツ (Hermann Lenz)
郡内の位置

ラウデンバッハ (Laudenbach) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。自治体としてのラウデンバッハにはラウデンバッハ集落の他、含まれる小集落はない。

地理

オーバー=ラウデンバッハとの境界地図

ラウデンバッハは、バーデン北部のベルクシュトラーセ沿い、同名の川の畔に位置し、ヘッセン州と直接境を接する。町域は、西、北、東をヘッセン州に囲まれている。町の東部ではベルクシュトラーセがライン盆地とオーデンヴァルトとの境をなしている。南にはヘムスバッハ、西にはロルシュ、北にはヘッペンハイムが位置する。東はヘッペンハイムに属すオーバー=ラウデンバッハであるが、歴史的経緯から複雑な境界線が引かれており、オーバー=ラウデンバッハを通って、ラウデンバッハに属す土地まで道路がつながっている。近隣の大都市には、約25km南西のマンハイム、25km南のハイデルベルク、30km北のダルムシュタットがある。

町域は海抜94mから402mで1029ha強の面積を持つ。このうち18.9%が住宅・交通用地、56.3%が農業用地、21.6%が森林である。[2]

歴史

ラウデンバッハは、795年にLutenbachとして、ロルシュ修道院の土地台帳であるロルシュ文書に初めて記録されている。1232年、ラウデンバッハはマインツ大司教の支配下に組み込まれた。1288年、この村はライン宮中伯家のレーエンとされ、このためにライン宮中伯とマインツ大司教との紛争の火種となった。1460年にこの村は焼失した。この村は1485年にマインツ大司教の下位に位置するヴォルムス司教の統治下におかれたが、関税十分の一税の徴収権はプファルツ選帝侯に属すとされた。無数の闘争を経て、プファルツ選帝侯は1705年にラウデンバッハの全統治権を獲得し、この村はオーバーアムト・ラーデンブルクに編入された。

神聖ローマ帝国の終焉とともに1803年にプファルツ選帝侯も廃止された。ラウデンバッハはバーデン領となり、ヘッセンとの国境に主要税関が設けられた。1849年にラウデンバッハはヘッセン軍とバーデン革命軍との戦闘に巻き込まれた。砲弾跡が旧牧師館に今も遺されている。

政治的には、1871年のドイツ帝国発足以来国民自由党が支持を集めたが、1912年にSPDが最有力政党となった。ヴァイマル共和政下でもSPDは1930年までその勢力を保っていた。しかし1933年の帝国議会選挙ではNSDAPが42.5%の票を獲得するに至った。

これ以後、ラウデンバッハは、バーデンのアムト・ヴァインハイムに属したが、1936年にベツィルクスアムト・マンハイムに併合され、これが後にマンハイム郡となった。

第二次世界大戦後ラウデンバッハは、旧ドイツ領の東プロイセンシレジア、チェコ領であったズデーテン地方などからの放逐者を受け容れたことで、人口が大きく増加した。この町は、新しく発足したバーデン=ヴュルテンベルク州の一部となり、1973年の郡の再編によりライン=ネッカー郡に属すこととなった。1995年にラウデンバッハは1200年祭を祝った。

ラウデンバッハ中心部
1496 1777 1834 1905 1950 1967 2006 2007
人口(人)[3] 185 784 1,724 1,753 3,022 3,564 6,091 6,130

宗教

プファルツ選帝侯は、ヴォルムス司教の抵抗に遭いながらも1573年までに宗教改革を断行し、その後、その所領はヴィッテルスバッハ家とともに何度も宗教上の転向を繰り返した。1653年のレーゲンスブルクの和解以後、カトリックプロテスタントで教会を共用することとなった。ラウデンバッハでは、1825年から1945年までプロテスタントが多数であった。しかし第二次世界大戦後の難民の流入によりこの比率が変化し、1951年にはカトリック信者が人口の51%を占めるようになった。

現在、カトリック教会はフライブルク大司教区ハイデルベルク=ヴァインハイム首席司祭区に属し、プロテスタント教会はバーデン地方教会ラーデンブルク=ヴァインハイム教会管区に属している。




  1. ^ Alle politisch selbständigen Gemeinden mit ausgewählten Merkmalen am 30.09.2016 (3. Quartal 2016)
  2. ^ バーデン=ヴュルテンベルク州統計局、2004年12月31日現在
  3. ^ Einwohnerzahlen bis 1967: Kreisbeschreibung Bd. 3 S. 659.
  4. ^ Herwig John, Gabriele Wüst: Wappenbuch Rhein-Neckar-Kreis. Ubstadt-Weiher 1996, ISBN 3-929366-27-4, S. 41


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