モロッコ 交通

モロッコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:37 UTC 版)

交通

国際関係

西サハラを放棄したモーリタニアとは異なり、西サハラを併合したいモロッコと、それを承認しない国際社会の利害対立は有る。 隣国で言えば、西サハラの支援をするアルジェリアとは対立してきた。

一方で、特に地理的に近いスペインやフランスとの関係は深く、貿易の上で重要な地位を占める。

またイスラム教以外を禁止してはいないものの、イスラム教を国教としており、イスラム教圏、特にアラブ諸国との関係も密接である。

アルジェリアとの関係

隣国のアルジェリアとは互いに反政府勢力を支援しているとして、長年緊張関係が続いてきた[14]。2021年8月にアルジェリア政府は国内で発生した山火事に、モロッコが関与していると発表した[14]。2021年8月24日にアルジェリアは、モロッコとの国交断絶を宣言した[14]

日本との関係

  • 在留日本人数 - 350名(2018年10月,在留邦人統計)[32]
  • 在日モロッコ人数 - 637名(2019年06月,在留外国人統計)[32]

国民

1961年から2003年までのモロッコの人口増加グラフ。
モロッコの民族分布地図(1973)。

2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制についても厳しい基準が要求されるようになった。ただし、現在も一夫多妻制は条件を満たせば認められる。特に著名なモロッコのフェミニストとして、イスラーム教をフェミニズム的に読み替えることで男女平等の実現を達成することを主張するファーティマ・メルニーシーの名が挙げられる。新家族法制定で、女性は結婚時に夫に複数の妻(イスラム教徒の男は4人まで妻を持てる)を持たないよう求めることができ、女性から離婚を請求することができ、家庭における夫婦の責任が同等となり、女性は自分自身で結婚を決めることができるようになった[33]

1999年にマイクロクレジット法が成立し、政府やNGO団体の協力により受益者が増えている。

民族

歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多いが、実際は両者の混血が進んでいる。また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり(リーフ共和国)、モロッコ政府としては、あくまでも両者はモロッコ人であるという考え方の元で、敢えて民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。

モロッコのアラブ人には、イベリア半島でのレコンキスタや17世紀のモリスコ追放によってアンダルシアから移住した者もおり、彼等の中には現在でもスペイン風の姓を持つ者もいる。

ユダヤ人はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカに起源を持つ黒人などのマイノリティも存在する。

言語

アラビア語ベルベル語公用語である[1]。国民の大半は学校教育正則アラビア語を学習しつつも、日常生活ではモロッコ特有のアラビア語モロッコ方言を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難である。

なお、山岳地帯では、タマジグトと総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語(モワイヤン、オートアトラス地域)、タスーシッツ語(アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語(リーフ山脈地域)に別れている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるのに対し、ベルベル人自身は自分達をイマジゲン(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つと、ベルベル語は全く理解できない事が多い。これはアラビア語とベルベル語とが、全く異なった言語のためである。

また、かつてモロッコはフランスの保護領であったためにフランス語も比較的有力であり、さらに現在でもモロッコにとっては貿易相手としてフランスが重要なため、第二言語としてフランス語が教えられ、政府、教育、メディア、ビジネスなどで幅広く使われ、全世代に通用するなど準公用語的地位にある。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類はフランス語でも書かれる。商品や案内表記などは、アラビア語とフランス語が併記されている場合が多い。

一方で、タンジールのようなモロッコの北端部の都市はスペインの影響が強く、スペイン語もよく通じる。

宗教

1961年イスラム教国教と定められ、イスラム教スンニ派が99パーセントを占める。しかしながら、キリスト教ユダヤ教も禁止されてはいない。

教育

7歳から13歳までの7年間の初等教育期間が、義務教育期間と定められているものの、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供が、未だに学校に出席していない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。2004年の調査によれば、15歳以上の国民の識字率は52.3%(男性65.7%、女性39.6%)である[34]。このようにモロッコ全体で見れば非識字率は約50%程度だが、農村部の女子に至っては非識字率が90%近くにまで達する。

主な高等教育機関としては、アル・カラウィーン大学(859年)やムハンマド5世大学(1957年)などが挙げられる。

文化

食文化

アガディール中央市場のスパイス。

モロッコで主食としている作物は、コムギである地域が目立つ[35]。 ただし、地域によって特色も見られる。例えば、モロッコは漁業が重要な産業の1つであり[26]、海岸部では魚介類を利用した料理が見られる[36]。 また、乾燥地帯の多い土地柄で、水が貴重な地域も有り、水を節約すべく蒸し煮を行うためのタジン鍋を多用する[35]。 モロッコでは牧畜も行われており、モロッコで最も一般的に食される赤味の肉は牛肉であり、モロッコ産の羊肉は好まれるが相対的に高価である。特に沙漠地域では、食肉をタジン鍋で調理した料理を食べる頻度が比較的高い[35]

主なモロッコ料理としてはクスクスタジン、ハリーラなどが挙げられる。

ただし、数世紀に及ぶモロッコと外部世界の相互作用の結果として、モロッコの料理は多様である。モロッコ料理はベルベル、スペイン、コルシカ、ポルトガル、ムーア、中東、地中海、アフリカの各料理の混合である。モロッコ料理は土着のベルベル料理、スペインから追放されたモリスコがもたらしたアラブ・アンダルシア料理、トルコ人によってもたらされたトルコ料理、アラブ人がもたらした中東料理の影響を受けており、ユダヤ料理の影響も同等である。

なお、香辛料はモロッコ料理に広く使われる。香辛料は数千年来モロッコに輸入され続けたが、ティリウニのサフラン、メクネスのオリーブミント[注釈 7]、フェスのオレンジレモンなどの多くの材料はモロッコ産である。

文学

モロッコ文学はアラビア語、ベルベル語、フランス語で書かれる。アル=アンダルスで発達した文学もまた、モロッコ文学に位置づけられる。ムワッヒド朝下のモロッコは繁栄の時代を経験し、学術が栄えた。ムワッヒド朝はマラケシュを建設し、同時に書店を設立し、これが後世の者に「史上初の書籍市」とも評された。ムワッヒド朝のカリフであったアブー・ヤアクーブは、本の収集をこの上なく好んだ。彼は偉大な図書館を設立し、その図書館は最終的にカスバとなり、公立図書館となった。中世においてタンジェ出身のイブン・バットゥータはアフリカ、アジア、 ヨーロッパに巡る大旅行の体験を述べた紀行文学『大旅行記』(『三大陸周遊記』、1355年)を著した。

近代モロッコ文学は1930年代に始まった。モロッコがフランスとスペインの保護領だった事は、モロッコの知識人に他のアラブ文学やヨーロッパとの自由な接触の享受による、文学作品の交換と執筆の余地を残した。

1950年代から1960年代にかけて、モロッコにはポール・ボウルズテネシー・ウィリアムズウィリアム・S・バロウズのような作家が滞在して作品を仕上げていった。モロッコ文学はモハメド・ザフザフ、モハメド・チョークリのようなアラビア語作家や、ドリス・シュライビ、タハール・ベン=ジェルーンのようなフランス語作家によって発達した。現代の文学においては、モロッコ出身のフランス語文学者としてムハンマド・ハイル=エディンヌ、モハメド・シュクリ、ライラ・アブーゼイド、アブデルケビル・ハティビ、そして1987年に『聖なる夜』でゴンクール賞を獲得したタハール・ベン=ジェルーンなどが挙げられる。また、アラビア語モロッコ方言やアマジーグでなされる口承文学は、モロッコの文化にとって不可欠の存在である。

音楽

モロッコ音楽は、アラブ起源の楽曲が支配的である。ただし、その他にもベルベル人のアッヒドゥースやアブワース、黒人のグナーワ(「ギニア」に由来)、イベリア半島のイスラーム王朝からもたらされ、ヌーバと呼ばれて高度に体系化されたアル=アンダルス音楽など、多様な音楽の形態が存在する。

世界遺産

モロッコ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が8件存在する。

スポーツ

サッカー

サッカーが盛んであり、代表チームは過去ワールドカップに4回出場し、アフリカネイションズカップの優勝経験もあり、アフリカの強豪国の1つとして数えられている。著名なプロクラブとしてはウィダド・カサブランカラジャ・カサブランカなどの名が挙げられ、イスマイル・アイサティナビル・エル・ザールなどのように欧州で活躍している選手も存在する。2013年2014年にはモロッコでTOYOTA Presents FIFA Club World Cupが開催された。

陸上競技

陸上競技のうち男子中距離走長距離走は、同じアフリカのエチオピアおよびケニアと並んで屈指の強さを誇る。概してオリンピックや世界陸上においては、エチオピアは5000 m、10,000 m、ケニアは3000 m障害そして、モロッコは800 m、1500 mで世界一を輩出した事例が多い。1980年代の男子中長距離界を席巻したサイド・アウィータヒシャム・エルゲルージは、とりわけ日本の陸上競技ファンや関係者の中でも有名であり、ヒシャム・エルゲルージの出した1500 m1マイル2000 mの世界記録は未だに破られていない。

格闘技

バダ・ハリIT'S SHOWTIMEヘビー級王者)はK-1世界ヘビー級王者戴冠後に「モロッコは世界的に自慢できる物が無い国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に“モロッコ?ハリの母国だよね”と言ってもらえるようにしたい。世界王者という部分が重要なんだ」と語った。

テニス

テニス1986年に当時の国王ハサン2世の名を冠したモロッコ初のATPツアー大会、ハサン2世グランプリが開催されるようになってから次第に同国でも人気の盛り上がりを見せるようになった。1990年代に入るとユーネス・エル・アイナウイカリム・アラミヒチャム・アラジという3人の男子選手が同時期に現れ、モロッコ初の国際的プロテニス選手として目覚しい活躍を残していった。1961年に参加を開始したデビスカップのモロッコ代表も参戦以降、長らく地域ゾーンの1チームに過ぎない弱小国であったが、代表を務めるようになった3人の活躍と共に次第に強くなっていき、彼らが全盛期を迎えた1990年代後半から2000年代前半には最上位カテゴリのワールドグループに、通算で5回の出場を果たしたテニス強国の一角を占めるまでになった。ただ3人の引退に伴う2000年代後半以降は、次世代が育たなかったため低迷したが、2010年代に入り上記の3選手以来では久しぶりにシングルスランキングで100番台に乗せてきたレダ・エル・アムラニのような若手も現れ始めている。

女子テニスにおいても2001年からラーラ・メリヤム王女の名を冠したWTAツアー大会SARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリを開催している。しかし、その一方で国内女子選手の育成は、ほとんど進んでいない。2011年現在グランドスラム出場やツアーレベルに到達した女子選手は、1人として現れておらず、世界レベルとの隔たりが大きい状況にある。フェドカップのモロッコ代表も大会参戦開始は1966年と中東諸国の中でも最も早かったが、この年の出場後、1995年に再び参加するまで30年近く国際舞台の場に出なかった。その後も断続的な参加を続けた程度に過ぎず、2010年現在までの通算参加年数は、わずか9年に留まっている。


注釈

  1. ^ EUによる国際経済に占める「優先的地位」は、欧州近隣政策における行動計画の成果に基いて、EU側が付与する。モロッコに付与されたそれは、FTA締結から一段踏み込み、財・サービス・資本の完全な自由移動と専門職の自由移動の実現や、モロッコの国内法がEU法の総体(アキ・コミュノテール)を受容させる事などを、目標としている。
  2. ^ 最も狭い部分では幅14 kmしかない
  3. ^ いわゆる「北東貿易風」と呼ばれる風である。
  4. ^ モロッコの固有種のアルガンノキから採取するアルガンオイルは、モロッカンオイル、つまり「モロッコの油」といった意味の別名でも知られる。
  5. ^ 原油の採掘量は1万トンと極めてわずかである。一方で、天然ガスは比較的多く産出する。
  6. ^ 特に、リン鉱石は、採掘量は世界第2位ながら、埋蔵量世界1位と言われている。なお、リン酸肥料だけではなく、モロッコでは窒素肥料の製造も行っている。
  7. ^ ミントに関しては、アッツァイと呼ばれるミント緑茶に、大量の砂糖を加えて飲む習慣が見られる。
  8. ^ 例えばフィクションでは、1998年にディレクTVで放映されたアニメ『BURN-UP EXCESS』第8話で、登場した誘拐犯(オカマバーの元店長と元従業員)が身代金の使い道の1つとして「モロッコに行って性転換」する事を挙げた。

出典

  1. ^ a b c モロッコ王国 外務省 Ministry of Foreign Affairs of Japan
  2. ^ The World Factbook/Morocco”. 中央情報局 (2017年5月9日). 2017年5月23日閲覧。
  3. ^ a b UNdata”. 国連. 2021年11月7日閲覧。
  4. ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月16日閲覧([1]
  5. ^ Note sur les premiers résultats du Recensement Général de la Population et de l’Habitat 2014”. モロッコ王国 (2014年). 2017年5月23日閲覧。
  6. ^ 外務省: 外交史料 Q&A その他外務省、2010年4月21日閲覧。
  7. ^ 「モロッコ軍部クーデーター失敗 国王殺害企てる 宮殿襲い銃撃戦」『中國新聞』 1971年7月12日 5面
  8. ^ 高崎春華 「EU広域経済圏の形成と金融FDI」 日本国際経済学会第70回全国大会
  9. ^ “モロッコ、AUに復帰へ=西サハラ問題で30年前脱退” (html). 時事通信社. (2016年7月18日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071800044&g=int 2016年7月24日閲覧。 
  10. ^ “アフリカ連合に復帰へ モロッコ国王が表明” (html). 産経新聞. (2016年7月18日). http://www.sankei.com/world/news/160718/wor1607180028-n1.html 2016年7月24日閲覧。 
  11. ^ Morocco Asks to Re-join African Union After 4 Decades”. Voice of America. 2016年9月24日閲覧。
  12. ^ モロッコの加盟承認=西サハラ問題で30年超対立-AU AFPBB News 2017年1月31日
  13. ^ モロッコ、イランと断交『日本経済新聞』夕刊2018年5月2日掲載の共同通信配信記事。
  14. ^ a b c d アルジェリア、モロッコと国交断絶 「敵対行為」めぐり” (日本語). AFP. 2021年8月25日閲覧。
  15. ^ “モロッコにおける憲法改正に係る国民投票について”. (2011年7月19日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/23/dga_0719.html 2011年7月19日閲覧。 
  16. ^ 「モロッコ王国」『世界年鑑2016』(共同通信社、2016年)272頁。
  17. ^ NEWS25時:モロッコ 穏健派が勝利宣言 毎日新聞 2011年11月27日
  18. ^ モロッコ下院選、イスラム穏健派が勝利 初の第一党に 朝日新聞 2011年11月28日。
  19. ^ モロッコ 都市人口(全体の%),1960-2020-knoema.com
  20. ^ a b c d e f g h i j k en.m.wikipedia.org>Morroco
  21. ^ 二宮書店編集部 『Data Book of The WORLD (2012年版)』 p.124、p.125 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6
  22. ^ a b 日経産業新聞「モロッコ 産業に厚み」2016年11月17日
  23. ^ 「【新興国ABC】モロッコの産業フリーゾーン 車・航空機の産業集積」 日経産業新聞 2018年5月14日(グローバル面)。
  24. ^ a b c d e f g h 二宮書店編集部 『Data Book of The WORLD (2012年版)』 p.317 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6
  25. ^ a b 二宮書店編集部 『Data Book of The WORLD (2012年版)』 p.316 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6
  26. ^ a b 二宮書店編集部 『Data Book of The WORLD (2012年版)』 p.124 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6
  27. ^ フェルダウス投資担当閣外相によるコメント。『日経産業新聞』2018年5月29日(環境・素材・エネルギー面)掲載、モロッコ「再生エネ52%に」。
  28. ^ 【旅】ケラア・ムグーナ(モロッコ)砂漠の中の「バラの谷」香り芳潤 美容にも一役『読売新聞』夕刊2018年5月16日。
  29. ^ モロッコで行くべき観光スポットTOP10とモロッコの基本情報”. ワンダーラスト (2016年1月15日). 2018年7月6日閲覧。
  30. ^ 菅澤彰子. “モロッコのリヤドとは”. 2018年7月6日閲覧。
  31. ^ a b モロッコ基礎データ”. 外務省(日本). 2018年7月6日閲覧。
  32. ^ a b 外務省 モロッコ基礎データ
  33. ^ 2018年1月8日19時30分NHK総合放送「世界プリンス・プリンセス物語」
  34. ^ CIA World Factbook 2009年12月26日閲覧。
  35. ^ a b c 石崎 まみ 『クスクスとモロッコの料理』 p.7 毎日コミュニケーションズ 2010年10月20日発行 ISBN 978-4-8399-3626-6
  36. ^ 石崎 まみ 『クスクスとモロッコの料理』 p.6、p.7 毎日コミュニケーションズ 2010年10月20日発行 ISBN 978-4-8399-3626-6
  37. ^ a b モロッコ海軍、「人工妊娠中絶船」の入港阻止 CNN.co.jp 2012年10月5日(金)12時53分配信






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