ポストモダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 07:25 UTC 版)
文学
社会学
社会学では、ポストモダン哲学の影響を強く受け、従来の部分/全体の二元論的発想、近代的自我に根ざした社会分析を離れつつも、難渋かつ抽象的な哲学論議に深入りすることなく、「主体と客体の脱中心化」のテーマに則った経験的記述の方法論が彫琢されている。
代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、「非表象理論」のナイジェル・スリフト、そして、レジス・ドブレに始まるメディオロジーを挙げることができる。
日本ではバブル時代に流行し、当時の社会を讃えるナルシスティックな言説にしばしばポストモダンの論法が引用された。平成ポストモダン論の中心人物であった東浩紀も2001年に『動物化するポストモダン』において楽観的な未来予想図を表明していたが、その予測が裏切られたことは東自身認めており、平成という時代に何もかも裏切られたと語っている[7][8]。
法学
法学では、ポストモダン哲学の影響を受けて、懐疑主義的なポストモダン法学がある。そこでは、従来の法学ではその前提を疑われることはほとんどなかった、法の中立性や自由にも重大な疑問が向けられる。
批判
ポストモダンに対しては、それ自体はプロパーな科学の領域にあった構造主義を哲学や思想が継承した経緯をさして、アナロジー(類推)で一部借用したにすぎない、との批判がなされた。また、物理学者ソーカルによって、いわゆるポストモダニストやカルチュラル・スタディーズを標榜する人々が、衒学的であると指摘された[注釈 1]。ソーカルは、ポストモダンの学者の文体や数式、科学的理論を模倣した上で、彼らの志向は行き過ぎた認識的相対主義である、として非難した[9]。
社会学者の富永健一は、『近代化の理論』で、産業化、民主主義化といった近代を成立させる条件は、いかなる意味でもなくなっておらず、ポストモダンという時代はまったく到来してはいないと批判している[10]。
ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、非西洋文化圏への強い偏見が残っていると指摘され、批判された。
なお、ヨーロッパ史では、1989年の東欧革命・ベルリンの壁崩壊を境に「近代」と「現代」に分けるべきだという議論が行われており、この議論に従えば、「近代」に対する批判から発生した1960年代以降のポストモダンが「近代」の事象の1つになるという一種の矛盾が生じることになる。
脚注
注釈
- ^ 読者がわからないことをいいことにデタラメな科学知識や専門用語で根拠づけている。
出典
- ^ 「ポストモダニズム」 - デジタル大辞泉、小学館。
- ^ 平野和彦. “ポスト・モダニズム”. コトバンク. 2019年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月30日閲覧。
- ^ シム 2002, pp. 5–6
- ^ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
- ^ 足立和浩. “構造主義”. コトバンク. 2016年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月30日閲覧。
- ^ シム 2002, pp. 21–27
- ^ 菅野博史「ポストモダン再考」『帝京社会学』第20号、帝京大学文学部社会学科、2007年3月、55-59頁。
- ^ 東浩紀が時代の節目に自らを振り返る――「平成という病」 | 特集 | Book Bang -ブックバン-
- ^ ソーカル ポストモダン批判 gendai.media 2024年1月6日閲覧
- ^ 富永 1996 [要ページ番号]
ポストモダンと同じ種類の言葉
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