ホヴァーンシチナ ホヴァーンシチナの概要

ホヴァーンシチナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 23:51 UTC 版)

作品

1872年、ムソルグスキーの友人で評論家のウラディーミル・スターソフは『ボリス・ゴドゥノフ』の次の歴史劇の題材として古儀式派について取り上げることを提案した。ムソルグスキーは大いに乗り気になり、スターソフの助言をもとにムソルグスキー自身が台本を製作した。しかしロマノフ朝の皇帝を舞台の登場人物とすることは禁じられていたため、中心人物であるピョートル1世を登場させることができず、勢い筋はわかりにくいものになった。

作曲は断片的に始められたが、1875年には集中して第1幕と第2幕を完成した。しかし第3幕を半分ほど作曲した1876年5月にスターソフは第2幕と第3幕の内容が劇の本筋と無関係であると批判し、改訂を勧める長文の手紙を送ってきた。ムソルグスキーはスターソフの改訂案には従わなかったが、その後は自信を失い、作曲は遅々として進まなくなった。さらに別なオペラ『ソローチンツィの市』の作曲を平行して始めたことも完成を妨げた。作曲者が1881年に他界した時は最終第5幕の古儀式派の最後の合唱の手前まで書かれていた。第2幕の終わりに置かれる予定だった五重唱も書かれずに終わり、また曲の大部分はオーケストレーションが行われていなかった。

作曲者の没後、作曲者の旧友リムスキー=コルサコフによる実用版が作成されたが、この多くの削除や改作、ワーグナー風の重厚壮麗なオーケストレーションなどによって、オリジナルをほとんど書き換えており、帝室劇場がリムスキー=コルサコフ版の上演を拒絶したため、リムスキー=コルサコフの生前にはまれにしか上演されなかった。1886年2月21日サンクトペテルブルクでアマチュア団体によって私的に初演され、公的な初演は1892年11月7日にキエフで行われた[1]マリインスキー劇場で上演されたのはリムスキー=コルサコフの没後、1911年になってからだった[2]

後にムソルグスキーを敬愛したショスタコーヴィチにより、オリジナルのピアノ譜と、作曲者自身の3管編成管弦楽法の手法をもとに、改めて原曲に忠実な実用譜が作り直されたが、オーケストラの規模は当時のムソルグスキーの2管編成の様式ではない。しかしこんにちでは『ホヴァーンシチナ』の上演に用いられる実用譜はたいていショスタコーヴィチ版であり、リムスキー=コルサコフ版は有名な前奏曲「モスクワ河の夜明け」が演奏・録音される程度である。

西欧的な近代化をはかったピョートル大帝に対する、イヴァン・アンドレーヴィチ・ホヴァーンスキー英語版公とその従者たちの謀反が扱われている。結局ピョートルが帝位に就いて謀反は挫折し、ホヴァーンスキー公側の古儀式派教徒の集団自決で幕切れとなる。

『ボリス・ゴドゥノフ』ほど有名ではないが、本作はある意味において、『ボリス・ゴドゥノフ』より親しみ易い。舞台進行は緩やかで、声楽の旋律線は、『ボリス・ゴドゥノフ』のレチタティーヴォ的な構成手法に比べて、より伝統的である。「ペルシャ人奴隷の踊り」などの情熱的な労作もある。旧ソ連以外ではなかなか上演されないが、録音は何度か行われており、日本語訳つきのDVDも出回っている。2007年にはウェールズ・ナショナル・オペラによって、ウェールズとイングランドで上演される運びである。2008年にはヴァレリー・ゲルギエフの来日公演において、下記のゲルギエフ版の上演が行われた。

版の異同

作品が未完のままでムソルグスキーが死んだため、終結部のあり方をめぐっては、作曲者の歿後に多くの問題を引き起こした。結果的に、録音で今のところ確認できるものでは、次の4つの終結が存在している。

リムスキー=コルサコフ版
遺稿をすべて引き取ったリムスキー=コルサコフによって1882年加筆され完成された。古いものは新しいものにとって変わるという、スターソフも納得するテーマのもとにピョートル軍を肯定。古儀式派教徒が自ら火をつける集団自殺の後にピョートル軍が登場し、プレオブラジェンスキイ行進曲で肯定的に終わる(ハイキン盤のCDなど)。演奏時間は約2時間40分。
ストラヴィンスキー版
1913年6月にセルゲイ・ディアギレフパリで上演するにあたって、ストラヴィンスキーがラヴェルの助けを借りて編曲した版。終曲の合唱のボーカルスコアが1914年に出版された他は断片のみが残る。スターソフへの手紙をもとに、音楽が次第に消えていくのに合わせて古儀式派教徒たちが退場して幕になる終結部をムソルグスキーは考えていた、とパーヴェル・ラムは推論した[3]。1913年ストラヴィンスキーは、厳かで悲壮な古儀式派教徒の合唱が次第に弱まって幕になる(ラムの見解と一致する)終結部を完成させた(アバド盤のCD)。演奏時間は約3時間5分。
ショスタコーヴィチ版
1959年、映画製作のため完成させた。三管編成。リムスキー=コルサコフ版の流れを踏襲しているが、プレオブラジェンスキイ行進曲のあと、そのあまりの悲惨さに唖然とするかのように音楽が弱まる。その後に悲しいロシアの運命を嘆く第1幕の「民衆の合唱(リムスキー版では省略されたもの)」をもう一度繰り返し、さらに序曲「モスクワ川の夜明け」を繰り返して静かに終わる。ロシアの本当の夜明けは革命を待たなければならなかったというプロパガンダが背景にあるようだ(チャカロフ盤のCD)。アバドのウィーン国立歌劇場はこの版の上演による。演奏時間は約3時間15分。
ゲルギエフ版
底本にショスタコーヴィチ版を使うが、プレオブラジェンスキイ行進曲以下はカット。その代わり古儀式派教徒の合唱の音楽がブラスによって重々しく奏されて、悲劇的に終わる(ゲルギエフ盤のCD)。演奏時間は約3時間15分。

  1. ^ 神竹喜重子 (2021). 「ホヴァーンシチナが日の目を見るまで──一九八二年のキエフ初演」大西由紀・佐藤英・岡本佳子編『オペラ/音楽劇研究の現在:創造と伝播のダイナミズム』. 水声社. p. 63-87 
  2. ^ Alfred Loewenberg (1978) [1943]. Annals of Opera 1597-1940 (3rd ed.). London: John Calder. p. 1121. ISBN 0714536571 
  3. ^ Richard Taruskin (1996). Stravinsky and the Russian Traditions. University of California Press. pp. 1054-1058. ISBN 0520070992 
  4. ^ 第3幕、「マルファの恋の歌」及び「酔い覚ましの合唱」の2箇所。
  5. ^ リムスキー=コルサコフ編曲版ではこの設定は表れてこない。
  6. ^ 1672年に始まる古儀式派の抵抗から数えればおよそ四半世紀にわたる。
  7. ^ 例えば、教会周囲の練り歩きの方向を逆にする、十字は2本指ではなく3本指で切る、祈拝は投身ではなく腰までで行う、など。
  8. ^ 本来は1870年に構想されたオペラ「水呑百姓」(Бобыль)のために作曲された。
  9. ^ フョードル3世が最晩年(1682年)に行った門地制(メストニチェストヴォ、Местничество)の廃止のことを指す。
  10. ^ ゴリーツィン公が指揮した二度のクリミア遠征失敗のことを指す。
  11. ^ 若き日のムソルグスキーはプレオブラジェンスキー連隊の将校であった。
  12. ^ 記載あるもののみ。
  13. ^ DreamLifeのDVD版ではカットされているが、131分の全長版ではこの場面は存在する。したがって、この映画としての改変とは考えられない。


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