フレディ・ビュアシュへの手紙 フレディ・ビュアシュへの手紙の概要

フレディ・ビュアシュへの手紙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/15 00:52 UTC 版)

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フレディ・ビュアシュへの手紙
Lettre à Freddy Buache
監督 ジャン=リュック・ゴダール
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
出演者 ジャン=リュック・ゴダール
音楽 モーリス・ラヴェル
撮影 ジャン=ベルナール・ムヌー
編集 ジャン=リュック・ゴダール
配給 フランス映画社
公開 1985年6月23日
2002年8月17日 再映
上映時間 13分
製作国 スイス
言語 フランス語
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概要

スイスローザンヌ市創設500年記念映画として、市の発注でつくられた。ローザンヌは、1972年の「ジガ・ヴェルトフ集団」解散と製作会社「ソニマージュ」設立以来のゴダールの公私にわたるパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルの生誕の地である。ゴダールとミエヴィルは、同じヴォー州で、ローザンヌから見てニヨン寄りの小村ロール1979年、工房を構えた。ニヨンは、ゴダールが両親の離婚までの期間を過ごした土地でもある。

タイトルに用いられたフレディ・ビュアシュは、ローザンヌのフィルム・アーカイヴシネマテーク・スイス」の創設者・館長(1951年 - 1996年)。また、作中ゴダールが呼びかける「イヴ」とは、ローザンヌ生まれの映画監督イヴ・イェルサンを指す(ゴダール監督の『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で録音技師を務めたリュック・イェルサンは従弟にあたる)。

録音技師のフランソワ・ミュジーは、1980年の『パッション』以来のゴダール組の常連である。

作品データ

スタッフ・キャスト

日本での受容

日本では2回、商業公開がなされている。初公開は1985年6月23日、『カルメンという名の女』と併映で当時東京のシネフィルのよりどころとなっていたシネ・ヴィヴァン六本木で、2002年8月17日には『JLG/自画像』と併映で東京・渋谷のユーロスペースでそれぞれ公開された。いずれも配給はフランス映画社、字幕は柴田駿。

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