ビニャン 歴史

ビニャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 09:28 UTC 版)

歴史

1571年6月末、フアン・デ・サルセド船長が上陸した場所をビニャンと名付けた。ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピン最大でアジア2位のバエ湖の側にマニラを設置した1ヶ月後だった。

1688年、バエ湖州の州都がバエからパガサンジャンに移った。ビニャンはタブソ(現在のサブヤオ)から分離した。

1791年、ビニャンからサンタ・ロサが分離した。

1869年ホセ・リサール少年と兄のパシアノがビニャンを訪れる。彼らは旧市街地の叔母の家に泊まった。ここでホセは初めて公的教育を受け、マニラで進学するよう勧められる。ビニャン広場にはホセの像が立っている。

人口推移

ビニャンの人口
人口±% 増減
1990 134,553—    
1995 160,206+3.32%
2000 201,186+5.00%
2007 262,735+3.75%
2010 283,396+2.79%

宗教

ローマ・カトリックが多数派だが、モルモン等の他のキリスト教を信仰する者もいる。

姉妹都市

外部リンク




  1. ^ Official City/Municipal 2013 Election Results”. Intramuros, Manila, Philippines: Commission on Elections (COMELEC) (2013年9月11日). 2013年11月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年11月18日閲覧。
  2. ^ Province: LAGUNA”. PSGC Interactive. Makati City, Philippines: National Statistical Coordination Board. 2007年10月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年11月18日閲覧。
  3. ^ a b Total Population by Province, City, Municipality and Barangay: as of May 1, 2010 (PDF)”. 2010 Census of Population and Housing. National Statistics Office. 2013年10月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年10月24日閲覧。
  4. ^ 2007 Financial Statements Highlights for Local Government Units (PDF)”. Commission On Audit Philippines. 2009年9月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年8月26日閲覧。
  5. ^ Weatherbase: Historical Weather for Philippines”. Weatherbase (2008年). 2009年5月27日閲覧。


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