パット・ドッドソン パット・ドッドソンの概要

パット・ドッドソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 15:30 UTC 版)

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パット・ドッドソン
Pat Dodson
ボストン・レッドソックス時代
(1986年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州
生年月日 (1959-10-11) 1959年10月11日(62歳)
身長
体重
192 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1980年 MLBドラフト6巡目
初出場 MLB / 1986年9月5日
NPB / 1989年4月9日
最終出場 MLB / 1988年6月22日
NPB / 1989年4月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

1980年MLBドラフト6巡目でボストン・レッドソックスに入団。1986年メジャー初昇格。かつてカールトン・フィスクが付けていた背番号27を与えられ期待されていたが、メジャーでは3年で52試合の出場にとどまった。

1989年近鉄バファローズに入団。前年に退団したベン・オグリビーの後釜として期待されたが、いざ来日すると192cm・100kgの巨体に似合わず左右に打ち分ける柔らかいバッティングで、大砲を欲しがっていた球団の思惑とは違う形となり、また金村義明の怪我の回復が思わしくなく、代わりとなる三塁手を求めていた球団は、シーズン開幕前に新外国人の獲得に動き出した。

開幕後、6~7番を打っていたドッドソンの成績は決して悪くなかったが、4月12日にハーマン・リベラが来日すると即二軍落ち。それでも退団せず、一軍からお呼びがかかるのを待ち続けていたが、チームが三つ巴の優勝争いを展開する中、ラルフ・ブライアントが本塁打を量産し、リベラも4番打者として勝負強さを発揮し続け、ドッドソンも二軍で48試合で打率.276、7本塁打と目立った成績を残せず、一軍登録が再度来ることのないままシーズンは終了し、同年限りで退団、帰国した。

引退後は教育者に転身し、オクラホマ州デラウェア郡グローブ市の中学校の校長を経て現在は同校の教育長を務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 BOS 9 15 12 3 5 2 0 1 10 3 0 0 0 0 3 0 0 3 0 .417 .533 .833 1.367
1987 26 52 42 4 7 3 0 2 16 6 0 0 0 2 8 1 0 13 0 .167 .288 .381 .669
1988 17 51 45 5 8 3 1 1 16 1 0 0 0 0 6 0 0 17 0 .178 .275 .356 .630
1989 近鉄 6 21 16 1 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 4 0 1 4 0 .313 .476 .375 .851
MLB:3年 52 118 99 12 20 8 1 4 42 10 0 0 0 2 17 1 0 33 0 .202 .314 .424 .738
NPB:1年 6 21 16 1 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 4 0 1 4 0 .313 .476 .375 .851

記録

NPB

背番号

  • 27 (1986年 - 1988年)
  • 25 (1989年)

関連項目




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