ノイシュトレーリッツ ノイシュトレーリッツの概要

ノイシュトレーリッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/30 17:50 UTC 版)

紋章 地図
(郡の地図)
基本情報
連邦州: メクレンブルク=フォアポンメルン州
郡: メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡
測地系: 北緯53度21分53秒 東経13度03分49秒 / 北緯53.36472度 東経13.06361度 / 53.36472; 13.06361
標高: 海抜 75 m
面積: 138.15 km²
人口: 20,140人 (2018年)
人口密度: 150人/km2
郵便番号: 17235
市外局番: 03981
ナンバープレート: MST
自治体コード: 13 0 71 110
市の構成: 13 市区
市庁舎の住所: Markt 1
17235 Neustrelitz
公式ウェブサイト: www.neustrelitz.de
行政
市長: Andreas Grund

Strelitz は「射手」を意味するポラーブ語の単語 Strelci に由来する[1][2]

歴史

シュトレーリッツの名は1278年に初めて文献に登場し、当時は村であった。14世紀には小さな町となり、17世紀にはメクレンブルク=ギュストロー公国の一部となった。1695年にメクレンブルク=ギュストロー家が絶えると、1701年にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都となった。メクレンブルク=シュトレーリッツ公国は現在のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ラッツェブルク周辺に飛地を持っていた。

1712年、火災により公の居城とシュトレーリッツ市街は焼失した。このため公はシュトレーリッツ北西のツィーアケ湖にあった狩猟小屋に避難したが、この周りに新市街としてノイシュトレーリッツ (ドイツ語の Neu は「新しい」の意) が建設された。1736年には正式にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都に定められた。

ノイシュトレーリッツは1918年まで大公国の首都であり続け、さらに1933年までメクレンブルク=シュトレーリッツ自由州の首都であった。1934年にはメクレンブルク=シュヴェリーン自由州と合併してメクレンブルク州の都市となった。

シュトレーリッツの旧市街は1712年の火災後も残ったが、小さな村となり1931年にノイシュトレーリッツ郊外となった。

1945年4月30日に第2白ロシア戦線の赤軍部隊が侵攻した際には、市民681人が自殺した[3]

観光スポットとモニュメント

市内中心部はバロック建築が特徴となっている。その中心は1768年から1778年にかけて建てられた市教会とマルクト広場、カルル・フリードリッヒ・シンケルの弟子フリードリヒ・W・ブッテルが1841年に建てた市庁舎である。

バロック様式のノイシュトレーリッツ宮殿は1945年に戦禍で破壊されたが、外壁は残っており再建は可能な状態だった。しかし封建主義の残滓として1949年に共産主義政権により爆破された。ドイツ再統一後、宮殿再建の声は絶えずあり、まず宮殿の庭園が整備されて2019年に公開された。同年、宮殿の尖塔の再建計画も始まり、その他の部分も将来の再建に向けての計画がある。夏の離宮として建てられた18世紀のオランジェリーや、1855年から1859年にかけて建てられたイギリス・ネオゴシック様式の宮廷教会、新古典様式のヘーベ寺院 (女神ヘーベー像のレプリカを安置)、さらに1891年にギリシャ神殿形式で建てられたルイーゼ神殿は一見の価値がある。ルイーゼ神殿は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家出身のプロイセン王妃ルイーゼ (フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妃でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母) の墓所として建てられたものである。

グラムベック湖では、夏には保護区域内のみではあるが泳ぐことができ、湖を見下ろすレストランで昼食を摂ることもできる。


  1. ^ Room, Adrian (2006). Placenames of the world: origins and meanings of the names for 6,600 countries, cities, territories, natural features, and historic sites (2 ed.). McFarland. p. 265. ISBN 978-0-7864-2248-7. https://books.google.com/books?id=M1JIPAN-eJ4C 2011年3月17日閲覧. "The basic name is of Slavic origin and means '(settlement of the) archers/shooters,' from Old Slavic strela, 'arrow'." 
  2. ^ ポーランド語では Strzelce といい、ポーランドにはこの名前の町が多数ある。
  3. ^ Lakotta (2005年3月5日). “Tief vergraben, nicht dran rühren” (German). SPON. 2010年8月16日閲覧。
  4. ^ Schwäbisch Hall and its twin towns”. Stadt Schwäbisch Hall. 2013年7月26日閲覧。


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