デイヴィッド・レターマン 生い立ち

デイヴィッド・レターマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 23:04 UTC 版)

生い立ち

1947年、インディアナ州インディアナポリスにドイツ系アメリカ人として生まれる。父ハリー・ジョー・レターマン(1974年死去)は花屋を営み、母ドロシーは長老派教会秘書であった。母は「母の日」や彼女の誕生日にインディアナポリスからの中継で番組に出演することがある。姉ジャニスと妹グレッチェンがいる。

彼は幼少期よりコメディに関心を示し、その発端となったのはシンシナティ・トークショーの司会だったポール・ディクソンであった。1969年に、ボールステイト大学(インディアナ州)で電気通信学士を取得、在学中は全米屈指の男子学生のフラタニティー(社交クラブ)、シグマ・カイ(Sigma-Chi)系列の支部のメンバーだった。

コメディアンとしての軌跡

彼は学生時代より「スチューデント・ラン・ラジオ・ステーション(学生運営ラジオ局)」WAGO-AM570(現在はWCRD,91.3)でパーソナリティを務め、卒業後ラジオ・トーク番組の司会とインディアナポリス・テレビジョンの天気キャスターの仕事を得た。

下積み

  • 1977年カリフォルニア州に移りコメディーライターをし、またロサンゼルス・コメディクラブのコメディ・ストアでスタンダップコメディを開始した。生放送のテレビ・シリーズ・ショーでスターランド・ボーカル・バンドという名で出演。名も無い青年が何でここでトークしているのか、という皮肉でスタンダップコメディを行った。
  • 1978年、『メアリー・タイラー・ムーア・バラエティショー』『モーク&マンデー』『ゲームショー』『ザ・$20000ピラミッド』などに出演し、彼のドライで皮肉なスタイルがNBC『The Tonght Show starring Johny Carson』のジョニー・カーソンに認められ、同番組のレギュラー・ゲストとなった。

NBC時代

エミー賞を受賞したレターマン(1987年)

モーニング・ショー

  • 1980年、33歳の時、彼は自身の番組、『デイヴィッド・レターマン・ショー』を持つ。番組は大ヒットし2つのエミー賞を受賞するも、放送時間帯が朝であったこともあり徐々に人気はダウンし短い期間で終了することとなってしまった。

レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン

  • 1982年NBCは彼のために別の時間帯を用意し『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』を立ち上げた。同番組は全ての平日の0:30(東部時間)からの放送であった。番組は開始と共に、彼の皮肉とエッジの聞いた喋りで人気を得、時にはカルト的なファンも存在した。
    彼はゲストに鋭い突込みをする毒舌司会者であったことから、彼の番組に出ることを恐れるセレブリティまで現れたり、またシャーリー・マクレーンマドンナなどは幾度と無く彼と言い争ったが、その司会っぷりは非常に高く評価された。
  • 1992年、11年間NBC放送に居たレターマンに彼の人生で最も大きな転機が訪れる。それは自らが師と仰ぐジョニー・カーソンの突然の引退表明である。早速、彼が司会を務める番組で、最も歴史のあるトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』の司会の座争いが始まった。カーソンは以前「自分の後釜にはデイヴィッド(レターマン)を置く」と言っていたにも関わらず、結局はジェイ・レノが司会の座に付いたのだった。

CBS時代

レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン

2003年9月バグダッドにて
  • 1993年、レターマンはカーソンのアドバイスにより、NBCとの契約を切り、彼が同放送局で持っていた番組の裏番組にあたるCBSのトーク番組を開始することになった、この時46歳。『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』は、2015年5月現在全米で放送中のトーク番組である。
  • 1996年HBO制作のテレビ映画『ザ・レイト・シフト』(The Late Shift)が公開。この映画は『ザ・トゥナイト・ショー』の司会の座を巡り対立したレターマンとジェイ・レノを明らかに描写した内容であった。レターマンは映画公開数ヵ月後に同作品を罵った。

同番組の収録はニューヨークマンハッタンの7番街・53丁目の「エド・サリヴァン・シアター」で昼間行われており、キャパシティーは2階席含め1000席程ある。シアターの入り口には大きく番組の電光掲示板が掲げられている。

この場所には番組にゲスト出演するセレブリティが毎日出入りするため、多くのファンが駆け付け、サインを貰ったり花を渡したりする光景が見られ、アメリカ人にとっては一つの観光スポットともなっている場所である。また隣接しているCBSストアで番組グッズなどの購入も可能。

レターマンショーの鑑賞はアメリカ人のニューヨーク観光の一つの目玉とも言えるものでチケットの入手は困難で毎日常に満席であり、客席インタビューからも判るとおり全米からの観光客が非常に多く年齢層は30代前後とやや高め(日本のテレビの公開収録と違いアメリカのトークショーは観劇に近い要素が多い[要出典])。

なお、ジェイ・レノは2009年に番組を一時降板した(朝のトークショー担当に。その後復帰)が、レターマンは2015年5月現在も継続中。年俸は3900万ドル(約39億円)[要出典]

アメリカ同時多発テロ

『レイト・ショー』は2001年に発生した「9.11」後、初めて放送を再開した番組となった。9月17日に番組が通常通り編成され、彼は番組のオープニング・トークでこう述べた。

「我々は攻撃された。あそこ(現場)にいた人々は皆死んだ。あそこにいた人々は行方不明になり、そして死んだ。彼らは何も悪いことはしていない。彼らは彼らの人生を生きていた。彼らは仕事をしていた。彼らは旅行中だった。彼らは日常生活を送っていた。あぁ…理解できるよ! でも、その「理解」は曖昧すぎる。飛行機をハイジャックしビルに突っ込んだ…私達は彼らを“宗教による過激集団”だと呼ぶね。宗教による、ね…。でも…もしあなた達が1000年生きられるとしても、これを理解できるようになるのか? このバカげた行為を! 理解できるようになるのか!?」

この日、通常番組冒頭に流されるバンドのオープニング・テーマはなく、レターマンもテレビ出演中のコメディアンとは思えないほど険しい表情で淡々と述べた。

ゲストは『CBSイブニングニュース』のキャスターだったジャーナリストのダン・ラザーと、ベテラン・トークショー司会者のレジス・フィルビン。ラザーも非常に険しい表情であったが、救助に当たった消防士、警察官の勇気に対し「America The Beautiful」という詩を詠った。この詩を締めくくるときラザーは「サンキュー、神様。レジス・フィルビンもここにいる。だから番組も楽しくなるさ」と述べ、この時初めてレターマンも笑顔を見せた。9.11以前からの番組イントロダクションを変更、アナウンサー、アラン・カルターによる「From New York, the greatest city in the world. It's the Late Show with David Letterman!」になり、現在に至る。映像は世界貿易センターが映っているものではなく自由の女神になった。

ABCからの誘い

2002年3月、レターマンのCBSとの契約更新が近づいたときABC放送が彼を引き抜く計画を練っていた。ABC放送が同じ時間帯に放送している報道番組『ナイトライン』をトーク番組に変えよう、というものだった(視聴者もこれを望んでいた)。しかしこの計画はレターマンがCBSと再び契約したことにより終了。レターマンはCBSで満足であるということに加え『ナイトライン』の司会であるテッド・コッペルの仕事に賞賛を述べた。

降板

2014年4月3日の収録中、レターマンはCBSの会長であるレスリー・ムンヴスに2015年で『レイト・ショウ』の司会を降板すると伝えたと語った[1][2]

その後

2018年からはNetflixの番組『デヴィッド・レターマン: 今日のゲストは大スター』に、2022年には同じくNetflixの番組『デイヴィッド・レターマン: 今日のゲストはコメディアン』に出演している。

人間関係

ジョニー・カーソン

長年カーソンとの(日本式に言えば)師弟関係を持ち、互いに才能を認め合っていたレターマンは『ザ・トゥナイト・ショー』の司会がジェイ・レノになったことに深く失望し、ジェイ・レノとは未だに不仲とされている。しかし、現在彼の番組内でレノとの不仲や『ザ・トゥナイト・ショー』との対立(視聴率争い)をネタに喋ってしまうところは正にコメディアンといえる(通常番組でこの手のネタが出ると観客は非常に盛り上がる)。

ジェイ・レノ(2006年)

またカーソンは引退後もしばしばレターマンと連絡を取り合い、時々ギャグを伝授したりしていた。このカーソンのギャグをレターマンは番組のオープニングトークで使用するとCBSの前副社長ピーター・ラサリーが述べ、又、ラサリーはカーソンはレターマンを常に信用しておりレノではなかった、とも述べている。2005年のカーソンの死まで二人の関係は続いた。

また、この番組が開始して数年後、「Top 10 list」というコーナーにリストを渡す役としてかつての師ジョニー・カーソンが登場(同コーナーのゲスト出演はロサンゼルスでの収録であってエド・サリヴァンシアターに来たわけではない)。かつての『ザ・トゥナイト・ショー』のテーマで登場し、カーソンが同番組のように司会者席に座り、レターマンがゲスト席に座るなど盛大な拍手で盛りあがったが、カーソンはあまりの声援にジョークを飛ばせず、すごすごと退散してしまった。これがカーソン最後のテレビ出演となった。

ジェイ・レノ

2009年までライバル番組『ザ・トゥナイト・ショー』の司会を務めたのがジェイ・レノ。彼は同番組の司会になる前はレターマンの番組(NBC)に出演していたが、ジョニー・カーソンの引退後は二人の交流は一切無し、2005年10月にはレノはNew York Daily Newsに「レターマン氏とはもう13年間連絡を取っていない」と発言した。深夜番組の司会者であったレターマンと、人気スタンダップ・コメディアンであったレノ、コメディアンとしての功績はレターマンの方がはるかに上だったが歴史あるトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』の司会の座争いでレノが司会になったことはアメリカ中が驚いた。不仲とはいえレターマンはしばしばレノをネタにする。

コナン・オブライエン

コナン・オブライエンはレターマンがかつて司会を務めていた『レイト・ナイト』(NBC)の現在の司会であり、ある種レターマンの後釜となった弟子のような人物である。レターマンはオブライエンが初めて司会になり緊張しているとき様々なサポートを行い、また自分の番組にゲストとして招いたりもした。2006年、ジェイ・レノが次の契約を更新しないことを発表、オブライエンは2009年に『ザ・トゥナイト・ショー』の司会へと格上げになる。レターマンは彼を祝福した。


  1. ^ David Letterman Makes Big Announcement”. CBS News (2014年4月3日). 2014年4月3日閲覧。
  2. ^ “David Letterman to Retire From CBS' 'Late Show' in 2015”. Hollywood Reporter. (2014年4月3日). http://www.hollywoodreporter.com/live-feed/david-letterman-retire-cbs-late-693420 2014年4月3日閲覧。 






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