ダリル・ホール&ジョン・オーツ メンバー

ダリル・ホール&ジョン・オーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 06:12 UTC 版)

メンバー

ダリル・ホール(Daryl Hall (1946-10-11) 1946年10月11日(77歳)[11]
  • 本名はダリル・フランクリン・ホール(Daryl Franklin Hohl)。長い間、公私ともにサラ・アレンと暮らしていた。
  • ペンシルベニア州チェスター郡ノース・コベントリー生まれ[12]モンゴメリー郡ポッツタウンフィラデルフィア近郊)出身[12]ボーカルギターキーボード担当。
  • ドイツ系アメリカ人で、ペンシルベニア・ダッチの血も受け継ぐ、音楽家のフランク・ホールと声楽教師のベティを両親に持つ。
  • 子供の頃は読書好きで空想好き、スポーツが苦手ということでスクールカーストの下位にいる生徒であり、両親に反抗を持った少年だった。同時にR&Bやソウルに傾倒していた。
  • 1966年、テンプル大学の入学式で、新入生のジョン・オーツと知り合う。または1967年の暮れにバンドとして参加していたダンス会場の楽屋で知り合ったという説もある[13]
  • 1980年代に同棲したロシア系人女性との間に1児を儲けた。
  • 2005年、野生動物に寄生するダニから感染するライム病により一時ライブをキャンセルするなどしたが、現在では完治した模様。
  • 少年時代にR&Bやソウルに関わった経験から、アフリカ系ヒスパニックなど人種を問わずにフレンドリーに接しており、幅広い分野の交流関係を持っている。
  • ニューヨークロンドンなど数軒の邸宅を所持しており、近年は音楽プロデューサーとしても精力を注いでおり、とくに若いアーティストに楽曲を提供している。
  • 近年はR&Bやソウルのテイストを取り入れたポップスで人気を博し、ブルー・アイド・ソウルとして成功したが、若いころは「肌が白く碧い目を持つR&Bやソウルのミュージシャン」と呼ばれることに抵抗感を持ち、音楽に人種は関係ないと振り返って述べている[14]
ジョン・オーツ(John Oates (1948-04-07) 1948年4月7日(76歳)[15]
  • 本名はジョン・ウィリアム・オーツ(John William Oates[13]。ニューヨーク出身[13]。ボーカル、ギター担当。
  • 父親アル・オーツはスペイン系人およびアイルランド系人の血を引き、母親アンはイタリア系人[13]。妹はダイアンで4人家族[13]。父方の祖父はアイルランド系イギリス人移民、祖母はモロッコ系ムーア人スペイン人移民。母方の祖父母はイタリア人シチリア系)移民だった。
  • ジョンが4歳の時に、父親の仕事の関係で一家はフィラデルフィアに引っ越した[13]。5歳の時に遊園地の特設会場で観たビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの演奏をきっかけに音楽に興味を抱いたジョンは、ジュニア・ハイスクールに通う頃からギターを習いたいと思い始め、3年間、民間の音楽学校に通う[13]。9歳の時にエレクトリック・ギターを手に入れ、友達らとバンドの真似事を始めた[13]
  • ハイスクールの頃には、アマチュア・バンドに参加し地元のティーン向けクラブやパーティーで演奏。レパートリーは、ジェイムズ・ブラウンウィルソン・ピケットミラクルズ英語版テンプテーションズなどのソウルだった[13]。その一方、ボブ・ディラン&ジョーン・バエズトム・パクストン英語版などのフォークソングも聴いていた[13]
  • 1966年にハイスクールを卒業したジョンは、地元のテンプル大学に入学しジャーナリズムを専攻[13]。スポーツマンで、テンプル大学にはレスリングで奨学金を得ての入学だった。学業のかたわら、「マスターズ」というセミプロのソウル・バンドのボーカル兼ギタリストとして活躍。1967年の暮れに、西フィラデルフィアのダンス会場「アデルフィ・ボールルーム」で開催されたパーティーに出演した際に、楽屋で「テンプトーンズ」というテンプテーションズのコピーバンドと面識を持ち、その中のメンバーの1人のダリル・ホールが同じテンプル大学の学生だと知って話しかけたのをきっかけに親しくなる[13]
  • ジョンのバンド「マスターズ」は1968年にメンバーの徴兵で解散し、「テンプトーンズ」に加入する予定だったがそこも解散し、ダリルとジョンはそれぞれ別の音楽の仕事を探すことになり、ダリルの方が「ガリバー」というロック・バンドからアルバムを出していた頃、ジョンはヨーロッパ放浪の旅に出ていた[13]。1970年11月に帰国したジョンと、「ガリバー」のアルバムが不発に終わったダリルは、以前から一緒に書き溜めていた曲を2人で演奏して歌うことを決め、12月にフィラデルフィアの小さなクラブで「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」としてスタートした[13]
  • ジョンは1980年代に結婚、その後離婚したが現在では再婚して1児(息子タナー)をもうけ、コロラド州アスペンで生活している。
  • 1987年にはアイスハウスの代表曲エレクトリック・ブルー英語版(全米7位)を、ボーカルのアイヴァ・デイヴィス英語版と共作。ジョン・オーツ自身もコーラスで参加。ソロ・アルバムでは、敬愛するミシシッピ・ジョン・ハートをトリビュートしたものなどを出している。
  • 若いころは口ヒゲがトレードマークであったが、現在はきれいに剃っている(時折、あごヒゲや無精ヒゲを生やす場合もある)。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ(2008年)

注釈

  1. ^ ライチャス・ブラザーズ、65年の大ヒット曲である。
  2. ^ この曲はソウル・チャートでもヒットした。
  3. ^ ラフィンとケンドリクスは87年に「ラフィン&ケンドリクス」のアルバムを発表している。

出典

  1. ^ 北爪啓之 (2007年11月8日). “第20回 ─ BLUE-EYED SOUL(2)”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2024年5月2日閲覧。
  2. ^ Perone, James E. (2021). Listen to Soul!: Exploring a Musical Genre. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 55. ISBN 9781440875267 
  3. ^ Jasen, David A. (2013) [2002]. “Kiss on my List”. A Century of American Popular Music. London: Taylor & Francis. p. 114. ISBN 9781135352646. "Daryl Hall and John Oates were the most successful pop-rock duo of the 1980s." 
  4. ^ Rufo, Yasmin (2023年11月23日). “Daryl Hall and John Oates: Lawsuit filed between 80s pop duo”. BBC. 2024年5月2日閲覧。
  5. ^ Daryl Hall accuses John Oates of ‘ultimate partnership betrayal’ in new legal filings”. CNN (2023年11月30日). 2024年5月2日閲覧。
  6. ^ a b DeRico, Nick (2016年9月1日). “How Hall and Oates Perfected New Wave Soul on 'Private Eyes'”. Ultimate Classic Rock. Townsquare Media, Inc.. 2024年5月2日閲覧。
  7. ^ a b [1]ホール&オーツ解散 ジョン・オーツに続きダリル・ホールも正式に終わったことを認める] - amass・2024年5月4日
  8. ^ Hall and Oates | full Official Chart History | Official Charts Company Officialcharts.com
  9. ^ Sharp, Ken. “HALL AND OATES: Soul Survivors”. American Songwriter. 2021年11月8日閲覧。
  10. ^ ジョン・オーツ、ホール&オーツはもう終わった 「僕はもう前に進んでいる。クリエイティヴな人生を再出発した気分だ」 - amass・2024年4月13日
  11. ^ Daryl Hall - About | Facebook”. 2019年8月17日閲覧。
  12. ^ a b 『ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて』(林洋子著、シンコー・ミュージック、1984年初版、ISBN 4-401-61153-5
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n ファンク・シュウェイ (ライナーノーツ). ジョン・オーツ. インペリアルレコード. 2002. TECI 24127。
  14. ^ 「Pen」 2017年 09月01日号 No.435 p54より
  15. ^ Biography · John Oates”. 2019年8月17日閲覧。
  16. ^ Billboard Database”. 2021年1月3日閲覧。
  17. ^ Daryl Hall full Official Chart History”. 2022年1月3日閲覧。






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