ダリル・ホール&ジョン・オーツ 来歴

ダリル・ホール&ジョン・オーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 06:12 UTC 版)

来歴

1972年にレコード・デビュー。音楽業界は厳しく、なかなか成功をつかむことができなかったが、74年にタヴァレスが「シーズ・ゴーン」をカバーし、作者の二人も注目されるようになった。1975年8月に発表した4枚目のアルバム『Daryl Hall & John Oates』がBillboard 200の17位を記録。翌1976年1月にシングルカットされた「サラ・スマイル」(1976)も全米4位を記録。それから「シーズ・ゴーン」(1976)、「リッチ・ガール」(1977)(初の全米1位)、「イッツ・ア・ラーフ」(1978)、「ウェイト・フォー・ミー」(1979)などのヒットを連発した[8]

1980年代以降も、「ふられた気持ち」[注 1](1980)、「キッス・オン・マイ・リスト」(1981)、「プライベート・アイズ」(1982)、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」[注 2](1982)、「マンイーター」(1983)「アウト・オブ・タッチ」(1984)などがヒットし、ブルー・アイド・ソウルのジャンルで特に成功したデュオとなった[9]。1985年に行われたライヴエイドに出演。長年憧れ、また友人でもあった元テンプテーションズエディ・ケンドリックスデヴィッド・ラフィンと共演している[注 3]。その後、1991年に活動停止したが、1995年に活動再開。二人はグループ活動の傍ら、ソロ活動やプロデューサーなどで地道に活動していた。

また、全米トップ10入りした楽曲(16曲)のうち半数(7曲)はダリルの元恋人であるサラ・アレンとその妹ジャンナ・アレン(1993年に白血病で亡くなっている)との共作である。

USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

また、ふたりは1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、チャリティ・シングルの「ウィ・アー・ザ・ワールド」のブリッジ部分でダリルはリードボーカルもとった。

2009年にソングライターの殿堂、2014年にロックの殿堂入りを果たした。キャリア40年超で、TOP40ヒット29作、TOP10ヒット16作、No.1ヒット6作、プラチナアルバム8作、ゴールドアルバム6作、ゴールドシングル6作。総売上枚数は推定4000万枚以上の実績を残している。

2023年、2人が設立した版権管理会社「ホール・オーツ・エンタープライズ」の株式の半分をオーツが投資ファンドに売却しようとしたことに端を発し、ホールがオーツを訴えるなど関係が険悪化した。2024年4月にはオーツがメディアに対し「ホール&オーツはもう終わった」と発言し[10]、5月にはホールも「グループを見ることはもうない」と語るなど[7]、事実上グループは解散状態となっている。


注釈

  1. ^ ライチャス・ブラザーズ、65年の大ヒット曲である。
  2. ^ この曲はソウル・チャートでもヒットした。
  3. ^ ラフィンとケンドリクスは87年に「ラフィン&ケンドリクス」のアルバムを発表している。

出典

  1. ^ 北爪啓之 (2007年11月8日). “第20回 ─ BLUE-EYED SOUL(2)”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2024年5月2日閲覧。
  2. ^ Perone, James E. (2021). Listen to Soul!: Exploring a Musical Genre. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 55. ISBN 9781440875267 
  3. ^ Jasen, David A. (2013) [2002]. “Kiss on my List”. A Century of American Popular Music. London: Taylor & Francis. p. 114. ISBN 9781135352646. "Daryl Hall and John Oates were the most successful pop-rock duo of the 1980s." 
  4. ^ Rufo, Yasmin (2023年11月23日). “Daryl Hall and John Oates: Lawsuit filed between 80s pop duo”. BBC. 2024年5月2日閲覧。
  5. ^ Daryl Hall accuses John Oates of ‘ultimate partnership betrayal’ in new legal filings”. CNN (2023年11月30日). 2024年5月2日閲覧。
  6. ^ a b DeRico, Nick (2016年9月1日). “How Hall and Oates Perfected New Wave Soul on 'Private Eyes'”. Ultimate Classic Rock. Townsquare Media, Inc.. 2024年5月2日閲覧。
  7. ^ a b [1]ホール&オーツ解散 ジョン・オーツに続きダリル・ホールも正式に終わったことを認める] - amass・2024年5月4日
  8. ^ Hall and Oates | full Official Chart History | Official Charts Company Officialcharts.com
  9. ^ Sharp, Ken. “HALL AND OATES: Soul Survivors”. American Songwriter. 2021年11月8日閲覧。
  10. ^ ジョン・オーツ、ホール&オーツはもう終わった 「僕はもう前に進んでいる。クリエイティヴな人生を再出発した気分だ」 - amass・2024年4月13日
  11. ^ Daryl Hall - About | Facebook”. 2019年8月17日閲覧。
  12. ^ a b 『ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて』(林洋子著、シンコー・ミュージック、1984年初版、ISBN 4-401-61153-5
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n ファンク・シュウェイ (ライナーノーツ). ジョン・オーツ. インペリアルレコード. 2002. TECI 24127。
  14. ^ 「Pen」 2017年 09月01日号 No.435 p54より
  15. ^ Biography · John Oates”. 2019年8月17日閲覧。
  16. ^ Billboard Database”. 2021年1月3日閲覧。
  17. ^ Daryl Hall full Official Chart History”. 2022年1月3日閲覧。






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