セヴリーヌ
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フェミニズム
セヴリーヌは『ラ・フロンド』でフェミニストらと活動を共にしたが、女性参政権運動などに積極的に関わっていたわけではない。これもジャーナリストとしての中立性おとび無政府主義・反議会主義のためであったが、1890年に文芸誌『ジル・ブラス』に中絶権を擁護する記事を掲載するほか[10]、ブルジョワ家庭の既婚女性がトゥーロン市長の子を妊娠し、中絶手術を受けたことで禁錮2年を求刑されたときには、彼女を支援する記事を多くの新聞に掲載した[4]。
また、一度だけ、1914年7月5日に女性参政権を訴えるデモ行進を組織した。この行進には男性も含めて約2,400人が参加し、各自、フランス革命で女性参政権を擁護したコンドルセの像に桜草の花束を捧げた[11][12]。
無政府主義
行為によるプロパガンダ - 極悪法
セヴリーヌは弱者・労働者を支援する社会主義者・無政府主義者の立場から、「常に貧しい人々と共に。その過ちや犯罪にもかかわらず」として、「行為によるプロパガンダ」すら擁護した。最初は1887年1月30日付『人民の叫び』に無政府主義者クレマン・デュヴァルを支援する記事を掲載した。彼は「自分の自由を守るため」として強盗、殺人未遂などの「行為によるプロパガンダ」に訴え、死刑判決を受けた(最終的には長年投獄された後、脱出に成功し、ニューヨークにたどり着いた)[1]。
1893年には同じく「行為によるプロパガンダ」として無政府主義者オーギュスト・ヴァイヤンが国民議会に爆弾を投じて逮捕された。死者が出たわけではなかったが、デュヴァルの事件と同様に死刑判決を受けた。セヴリーヌは恩赦を要求し、エミール・ゾラも前年、「行為によるプロパガンダ」により2人の死者を出したラヴァショル事件の際には、「アナーキストは詩人である。それは人類や病気や苦痛と同じように古い、永遠の黒いポエジーである。彼らは見者の頭脳をもち、夢を節に求める、心優しい人々である。アナーキストが生まれたのは最近のことではない。彼らは社会そのものと同時に生まれたのである」として、無政府主義者を擁護していたが、ヴァイヤンは翌94年に絞首刑に処された。この事件は「行為によるプロパガンダ」を禁じる法律「極悪法」の成立につながり、さらに、無政府主義サント・ジェロニモ・カゼリオ、エミール・アンリによる同様のテロ事件を受けて「極悪法」が強化された。この結果、無政府主義の新聞を主宰したセバスチャン・フォール、ジャン・グラーヴ、エミール・プジェ、ポール・ルクリュ、美術評論家のフェネックス・フェネオン、画家マクシミリアン・リュスら多くの無政府主義者が逮捕され、うち30人が1894年8月6日から12日にかけて30人裁判にかけられた。特にフェネオンがマザス刑務所に未決囚として拘留され、予審を受けていたときには、セヴリーヌ、ベルナール・ラザールのほか、マラルメ、ヴェルレーヌ、美術評論家のアルセーヌ・アレクサンドル、オクターヴ・ミルボー、アンリ・ロシュフォール、ルイーズ・ミシェル、詩人ギュスターヴ・カーンらがフェネオンを弁護する記事を書いた。被告は3人の強盗を除いて全員釈放された[13][14][15]。
サッコ・ヴァンゼッティ事件
こうした「極悪法」の適用と処刑によってテロリズムは終息したが、セヴリーヌの無政府主義者に対する支援は終生続き、1919年から1920年にかけて起こったサッコ・ヴァンゼッティ事件でイタリア移民の無政府主義者ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが死刑判決を受けたときにも、記事や講演を通じて最後まで釈放を求め続けた。1927年7月24日、セヴリーヌはすでに70歳を過ぎ、ほとんど外出できない状態であったが、パリ11区のシルク・ディヴェールで二人の釈放を求める最後の講演を行った。二人はこの1月後に処刑された[4]。
その他の人権擁護活動
セヴリーヌはこの他にも、オスマン・トルコ帝国軍によるアルメニア人虐殺を非難し、「正義の夜明けが、白人を偏見という鉄の鎖から解き放ち、自ら残酷な過去から解き放つのはいつのことか」と黒人差別を非難し、すでに1925年から「脅かされた利益、恐怖、特権、怨恨、偏見、旧弊、無理解が同盟を結んだ」としてファシズムを批判し、ヴァレスが提唱した児童の人権連盟を支持し(児童の権利に関する条約が国連総会で採択されたのは1989年11月20日のことである)、1891年にレオ13世に謁見して反ユダヤ主義とフランスの政教分離法(ライシテ)について意見を求め、「カトリック教会は政治に関わることはない」ことを確認するなど(セヴリーヌはローマ教皇に謁見した最初の女性記者である)、幅広い活動を行った[4]。
1929年4月24日、コンピエーニュの森のはずれにあるピエールフォン(オワーズ県)で死去した。享年73歳。1899年のドレフュス事件の再審を取材したときに滞在したホテルの名前に因んで「トロワ・マルシュ(三段)」と名付けられた彼女の家は、建築家ヴィオレ=ル=デュックにより再建されたピエールフォン城を正面に臨む場所にあり、彼女の没後、マルグリット・デュランが買い取った。セヴリーヌの著書、書簡等はマルグリット・デュラン図書館に寄贈された[4]。
- ^ a b c d “SÉVERINE (Caroline RÉMY) - Dictionnaire des anarchistes” (フランス語). maitron-en-ligne.univ-paris1.fr. Maitron. 2019年4月13日閲覧。
- ^ a b c Michel Winock (2016-08-29) (フランス語). Les voix de la liberté. Les écrivains engagés au XIXe siècle. Le Seuil
- ^ Schlumberger, Béatrice (1927). “« La Rue à Londres » par Jules Vallès”. Revue d’Histoire Moderne & Contemporaine 2 (7): 36–47. doi:10.3406/rhmc.1927.3391 .
- ^ a b c d e f Évelyne Le Garrec (2009) (フランス語). Séverine (1855-1929), Vie et combats d'une frondeuse. l'Archipel
- ^ a b c 間野嘉津子「世紀末文化とジェンダー ― 日刊紙〈ラ・フロンド〉と新聞記者セヴリーヌに関する一考察」『大阪経大論集』第55巻第1号、2004年5月。
- ^ “Incendie de la deuxième Salle Favart” (フランス語). Opéra Comique (2014年11月18日). 2019年4月13日閲覧。
- ^ “Il était une fois Séverine”. www.forez-info.com (2007年5月18日). 2019年4月13日閲覧。
- ^ Alain Rustenholz. “Séverine, Jules Vallès, et un mari ramenant sa femme gréviste chez Lebaudy le fouet à la main: ça vibre à la Villette!” (フランス語). 2019年4月13日閲覧。
- ^ 鈴木重周「19世紀末フランスにおける反ユダヤ主義の拡散とジャーナリズム:エドゥアール・ドリュモン『ユダヤのフランス』をめぐって」『ユダヤ・イスラエル研究』第28巻、日本ユダヤ学会、2014年、 12-23頁、 doi:10.20655/yudayaisuraerukenkyu.28.0_12、 ISSN 0916-2984、 NAID 130005568052。
- ^ Christine Bard, Sylvie Chaperon (2017) (フランス語). Dictionnaire des féministes. France - XVIIIe-XXIe siècle. Presses Universitaires de France
- ^ “Manifestation en l'honneur de Condorcet, terrasse de l'Orangerie des Tuileries à Paris, le 5 juillet 1914 : (photographie) : une femme montée sur une échelle dépose des primevères sur le piédestal de la statue de Condorcet”. Bibliothèques spécialisées de la Ville de Paris. 2019年4月13日閲覧。
- ^ “La marche du 5 juillet 1914 pour le droit de vote des femmes | Histoire et analyse d'images et oeuvres” (フランス語). www.histoire-image.org. 2019年4月13日閲覧。
- ^ “"Plutôt la mort que l'injustice. Au temps des procès anarchistes", de Thierry Lévy : ils croyaient dynamiter l'injustice” (フランス語). Le Monde. (2010年1月21日) 2019年4月13日閲覧。
- ^ “FÉNÉON Félix (Louis, Félix, Jules, Alexandre, Élie) - Dictionnaire des anarchistes”. maitron-en-ligne.univ-paris1.fr. Maitron. 2019年4月13日閲覧。
- ^ 尾崎和郎「世紀末fin de siecleの4人のテロリスト ― ラヴァショル, ヴァイヤン, E・アンリ, カゼリオ」『成城文藝』第147号、成城大学文芸学部、1994年7月、 59-81頁、 ISSN 02865718。
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