スローターハウス5 文化的影響

スローターハウス5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 16:55 UTC 版)

文化的影響

  • ケネス・ブラウワーが書いた『宇宙船とカヌー』では、フリーマン・ダイソン博士が息子にヴォネガットの『スローターハウス5』を渡すエピソードが描かれている。

社会的影響

『スローターハウス5』は1969年の発売以来、反社会的、わいせつ、不適切な言葉遣いなどの理由によって保守的な価値観を持つ人々から悪書として批判され[1]、全米図書館協会の調査では出版から30年以上経った1990年から2000年の10年のあいだでも、図書館から排除を求められた本の69位と上位に位置している。1970年代から1980年代には同書を図書館学校から排除する訴訟と、それに反対する市民運動がアメリカ各地で数多く起こされ、その判例は地方教育と司法に大きな影響を与えている[1]

1971年ミシガン州ロチェスター巡回裁判所に『スローターハウス5』を教材から排除することを求める提訴が行われた。提訴の理由は、同書には反宗教・反キリスト教的な内容が含まれており、教材としての使用は特定の宗教を抑圧することになり、合衆国憲法修正第1条と第14条に違反している、というものだった[1]オークランド郡裁判所は原告の訴えを認め、判決によってオークランド学校区の教材としての使用禁止と、同学校区全ての学校図書館からの排除が命令された。被告となったロチェスター・コミュニティ学校区は第一審を不服としてミシガン州の連邦控訴裁判所に控訴した。控訴審は合衆国憲法は学問の自由を制限するものではないこと、同書を使用した授業が特定の宗教を称揚・抑圧するものではないこと、第一審の判断には裁判官個人の感情移入が見られることから、判決を覆し『スローターハウス5』の排除命令を無効とした。

1973年にはノースダコタ州で『スローターハウス5』を教材とした授業に対する保護者からの抗議に応じ、学校区は同書をポルノと判断し、管内の32冊を焼却する焚書事件が起こる[1]。教育長は思想取締りの意図は無いと弁明したが、焚書に対し生徒から抗議の声が上がり、事件を知ったヴォネガットは教育長に対して抗議の書簡を送っている。

1975年ニューヨーク州ロングアイランドで起きた『スローターハウス5』禁書騒動は訴訟問題に発展し、最終的に連邦最高裁まで進んだ。1982年に行われた最高裁での裁判では、学校図書館の蔵書を教育委員会が個人の信条によって排除したことを違憲と判断し、本を読む権利と公立学校の授業のカリキュラムとして本を読む権利は異なるという判断を示した。この裁判は生徒が本を読む権利を明確に認めた点で画期的なものとなり、その後の図書館を巡る裁判の重要な判例となった[1]。しかし、最高裁判決後も、図書購入の審査から恣意的に除外されるなど『スローターハウス5』を巡る排除は各地で発生している。


  1. ^ a b c d e 上田伸治『アメリカで裁かれた本:公立学校と図書館における本を読む自由』 大学教育出版 2008年 ISBN 9784887307988 pp.136-170.






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