スタリー・グラード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 13:51 UTC 版)
スタリー・グラード Stari Grad | |
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スタリー・グラード | |
座標 : 北緯43度11分 東経16度35分 / 北緯43.183度 東経16.583度 | |
行政 | |
国 | クロアチア |
郡 | スプリト=ダルマチア郡 |
市 | スタリー・グラード |
市長 | Visko Haladić |
地理 | |
面積 | |
市域 | 52,59 km2 |
人口 | |
人口 | (2001年現在) |
市域 | 2,817人 |
その他 | |
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) |
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) |
郵便番号 | 21212 |
ナンバープレート | ST |
公式ウェブサイト : http://www.stari-grad-faros.hr/ |
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スタリー・グラード平原 | |||
英名 | Stari Grad Plain | ||
仏名 | Plaine de Stari Grad | ||
面積 |
1,376.53 ha (緩衝地域 6,403.13 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2),(3),(5) | ||
登録年 | 2008年(ID1240) | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
スタリー・グラードはクロアチア語で「古い町」を意味し、フヴァル島で最も古い集落であり、アドリア海の島々の中でも最古の集落の一つである。スタリー・グラードには古代より人が居住しており、古くはフヴァル文化の担い手たちが、後にはギリシャ人が居住した。紀元前384年、ギリシャ人の哲学者アリストテレスがトラキアで生まれたのと同じ年、エーゲ海のパロス島からイオニア人が移住し、この島をパロス(Pharos)と名づけた[2]。
スタリー・グラードはルネサンス時代の作家・ペータル・ヘクトロヴィッチ(Petar Hektorović)の生まれた地である。
2008年7月7日、オリーブとブドウの栽培が盛んであるスタリー・グラード平原はUNESCOの世界遺産に登録された(ID1240)[2]。スタリー・グラード平原はクロアチアで7番目の世界遺産となった[3][4][5]。
- ^ Zann, Lenore (2015年1月30日). “Croatia: Journey to my ancestral home” (英語). The Chronicle-Herald (Halifax, Nova Scotia, Canada) 2015年2月1日閲覧。
- ^ a b “Stari Grad Plain” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月6日閲覧。
- ^ Starigrad na UNESCO-ovoj listi
- ^ UNESCO includes eight new monuments into the world heritage list
- ^ UNESCO - Stari Grad Plain
- ^ 社団法人日本ユネスコ協会連盟 - 世界遺産活動
- 1 スタリー・グラードとは
- 2 スタリー・グラードの概要
- 3 登録基準
- 4 関連項目
- スタリー・グラードのページへのリンク