ジョン・ヒューストン 作風

ジョン・ヒューストン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:12 UTC 版)

作風

男性的で骨太なタッチの作品が多く、また、目的を持って行動する主人公たちが徒労の果てに挫折していくというストーリーをしばしば取り上げることも特徴であり、欲望に目が眩んで自滅する黄金探しの山師を描いた『黄金』や、一攫千金を夢見る宝石強盗団の顛末を描いた『アスファルト・ジャングル』、との闘いを通して自然との無謀な争いを描いた『白鯨』、王になるという夢を果たそうと冒険に出る男達を描いた『王になろうとした男』、愛と名誉と狭間で苦悩するマフィアの一員を描いた『女と男の名誉』といった作品が最もたる例である。

また、恋愛物では戦争中における自然の極地を舞台にすることが多く、ジャングルが舞台である『アフリカの女王』や、無人島が舞台となっている『白い砂』がある。

私生活

生涯で5回結婚している。そして1度の死別を除いた4回はすべて離婚した。「人間、5回も結婚すべきでない」と晩年に反省の弁を残している。2人目までは映画界と無縁の女性だが、3人目は女優イヴリン・キース(『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラの妹役を演じた。イヴリンの名は偶然にも『チャイナタウン』でフェイ・ダナウェイが演じたノア・クロスの娘イヴリン・モウレーと同じ)。4人目がバレリーナ、リッキー・ソマ。リッキーの事故死後、5人目の妻はメキシコ人女性。70歳を過ぎても、自分の子供のような年齢のメキシコ人女性と同棲していた。リッキー・ソマとの間の娘アンジェリカ・ヒューストン、俳優ゾーイ・サリスとの子ダニー・ヒューストンは俳優となった。

また、豪快な性格であり、『アフリカの女王』ではロケーション中に映画撮影を放り出して狩猟に没頭してしまうなどの奇想天外なエピソードを多く残し、後年にはキャサリン・ヘプバーンに自伝で批判された上に、クリント・イーストウッドが本作でのエピソードを映画化するほどであった。

自身のデビュー作から何度もタッグを組んできたハンフリー・ボガートとは生涯の親友であり、ボガートの葬式では弔辞を読んだ。

『白鯨』に神父役で出演したオーソン・ウェルズとも監督デビューが同年ということで仲も良く、自身の晩年にはウェルズの監督作品である『風の向こうへ』に今度は自分が役者として出演したが、ウェルズの死により未完のまま終わってしまった。

脚本家としてデビューした頃、ハリウッドのサンセット大通りを車で走行中に人身事故を起こして相手方を死亡させてしまったことがある。裁判では無罪となったものの、ショックでロンドンパリに引っ越し、放浪の暮らしをしていた時期があった。

シャトー・ムートンのラベルデザインを手掛けた。ヴィンテージは1982年。

その他

日本では、1987年サントリーオールドの広告に起用されたことがある。くしくも本人が他界した年に、都内並びに大阪市内の鉄道の駅構内に掲載されている[2]


  1. ^ 大人気テレビシリーズ「アメリカン・ホラー・ストーリー」にダニー・ヒューストン出演へ - ライブドアニュース
  2. ^ この広告のキャッチコピー「近道なんか、なかったぜ。」は小野田隆雄が手掛けた。
  3. ^ ただし、ヒューストン本人はこの第43回ゴールデングローブ賞の式典に出席しておらず、代理人として彼の娘であるアンジェリカ・ヒューストンが受賞している。






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