ジョン・ドルトン 死後

ジョン・ドルトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 07:15 UTC 版)

死後

Chantrey作のドルトンの胸像

1837年脳梗塞を患い、1838年の2度目の脳梗塞で言語症となったが、実験を続けた。1844年5月、3度目の脳梗塞を発症し、同年7月26日に最後の気象観測記録を震える手で日記に記した。7月27日、マンチェスターの自室でベッドから落ちて亡くなっているのを同居人が発見した。

ドルトンの carte de visite1840年ごろ)

マンチェスターの墓地に埋葬されたが、その墓地は今では運動場になっており、もともとの墓は出版物に写真で残っているだけである[7][8]

フランシス・レガット・チャントリー がドルトンの胸像を作り[9]、それが Royal Manchester Institution の玄関ホールに置かれた。チャントリーはドルトンの全身像も作り、現在はマンチェスターの市庁舎にある。

統一原子質量単位はドルトン (Da) とも呼ばれている。月にはドルトンの名を冠したクレーター (en) がある。 マンチェスターにはジョン・ドルトン通りがある。

マンチェスター・メトロポリタン大学の工学部にはドルトンの名を冠した建物があり、その前にドルトンの彫像がある(1855年、William Theed作)。マンチェスター大学にもドルトンの名を冠したホールがあり、ドルトンの名を冠した化学と数学の奨学金がある。Manchester Literary and Philosophical Society はこれまでに12回、ドルトン・メダルを授与したことがある。クェーカー教徒の学校でもドルトンの名を冠している講堂がいくつも存在する。

1940年12月24日、Manchester Literary and Philosophical Society の建物が爆撃を受け、ドルトンに関する資料の大部分が失われた。残った資料はマンチェスターの John Rylands Library が所蔵している。

王立化学会の無機部会はDalton Division[10]、同学会の無機化学に関する学術誌は Dalton Transactionsと呼ばれている[11]


  1. ^ Smith 1856, p. 279
  2. ^ George Hadley Encyclopedia Britannica. Accessed 2009-04-30.
  3. ^ Roscoe 1896
  4. ^ Roscoe 1896, p. 248
  5. ^ Roscoe 1896, pp. 50–51
  6. ^ "Dalton; John (1766 - 1844)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧
  7. ^ Patterson 1970
  8. ^ Elliott, T. Lenton (1953). “John Dalton's Grave”. Journal of Chemical Education 30: 569. doi:10.1021/ed030p569. 
  9. ^ Millington 1906, pp. 201–208
  10. ^ Dalton Division”. 2021年2月18日閲覧。
  11. ^ Dalton Transactions”. 2021年2月18日閲覧。






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