ジョン・デューイ 東アジアにおける影響

ジョン・デューイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 09:18 UTC 版)

東アジアにおける影響

  • 日本最初の心理学者元良勇次郎ジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、デューイの講座を受講し、1888(明治21)年に帰国してからは、東京英和学校、帝国大学文科大学にて精神物理学講義にてデューイやジェイムズの思想を紹介した。
  • 日本の哲学者田中王堂(1868-1932)や帆足理一郎(1881‐1963)はデューイに学んだ。また田中王堂に学びのち憲法研究会の一員として日本国憲法の作成に関わった杉森孝次郎もデューイの思想に影響を受けた。
  • 玉川学園小原國芳はデューイ本人とは実際に対談することは叶わなかったが、デューイ婦人との交流について同学園のサイトでエピソードとして紹介している他、小原が長年に渡って実践してきた教育哲学は非常にデューイの思想に近く、京都大学の教授だった鰺坂二夫は『デューイの教育学』の中で、デューイ本人に小原が長年に渡って行ってきた実践を紹介したらデューイは驚愕するだろうと書いている[15]
  • 中国の哲学者胡適コロンビア大学でデューイの指導を受け、帰国後に北京大学で、プラグマティズムを講義した。
  • アメリカに留学した鶴見俊輔は、デューイをはじめとするプラグマティズムに深い影響をうけ、日本での啓蒙活動に従事するとともに、市民的な思考、市井の思想家として独自の「プラグマティズム」を実践した。また鶴見の著書「アメリカ哲学」などの影響で一時「思想の科学」にも所属していた上山春平は初期においてデューイ、パース、ジェイムズらプラグマティズムを研究紹介した[16]
  • 戦後教育界の指導的立場にあった梅根悟も、デューイの教育思想に影響を受け、コアカリキュラム運動の際などには、問題解決的学習というデューイのアイデアに則った提案をした[17]

日中訪問

中国訪問時のデューイ(右下)。左隣から時計回りにアリス、史量才、胡適蔣夢麟陶行知。1919年

デューイは、日本中国ソ連にも招聘講義に出かけた。日本へは1919年の2月9日に妻のアリスとともに来日し、帝国ホテルののち友人であった新渡戸稲造が学長をつとめる東京女子大学の宿泊施設(新渡戸の文京区小日向の邸宅[18])に滞在した[19]。2月25日から3月21日まで東京帝国大学で八回の講演が開催され、タイトルは、「現在の哲学の位置一哲学改造の諸問題The Position of Philosophy at the Present:Problems of Philosophic Reconstruction」だった。のち『哲学の改造』として岩波書店より刊行した[20]。滞在中は日本の社会や教育に深い関心をもち、日本人がデモクラシーを口にしつつも、天皇を絶対視していることを帰国後に語ったといわれる[21]

また日本滞在中にアメリカの生徒であった中国人研究者によって北京大学清華大学で講演することを求められ、4月28日に中国へ向かう。当時は日本の中国支配に対する学生たちの運動(五・四運動)が展開されていた。デューイは中国を大変気に入り、コロンビア大学に一年間の休暇を申請して[22]、滞在期間は延長され1921年7月まで滞在した。デューイにとっての中国は「第二の国」であったといわれる[23]。日中滞在中に留守宅の家族宛てに出した書簡集は“Letters from China and Japan”として1920年に刊行された(邦訳『ジョン・デューイが見た大正期の日本と中国』梓澤登訳・論創社、2024年1月)。


注釈

  1. ^ 1858-1942、のち経済学者・統計学者。

出典

  1. ^ 機能主義 (心の哲学)参照
  2. ^ John Dewey and the High Tide of American Liberalism. New York, W.W.Norton, 1995
  3. ^ 「リベラルユートピアという希望」岩波書店12頁
  4. ^ 「哲学と自然の鏡」産業図書、24ページ
  5. ^ ヒラリー・パトナム『存在論抜きの倫理』法政大学出版局
  6. ^ a b c d デューイ『学校と社会』宮原誠一訳、岩波文庫、訳者解説
  7. ^ The Phantom Public, (Harcourt, 1925).河崎吉紀訳『幻の公衆』(柏書房, 2007年)
  8. ^ John R. Shook and Andrew Backe (eds.) The Chicago School of Functionalism Thoemmes Press, 2003 - facsimiles of source documents in Functional Psychology (3 vols.)
  9. ^ A Common Faith, p. 42
  10. ^ 魚津郁夫訳、上山春平・山下正男訳『世界の名著48:パース ジェイムズ デューイ』、中央公論社、1968
  11. ^ ヒラリー・パトナム『存在論抜きの倫理』法政大学出版局、8頁
  12. ^ のち第二版が刊行されている。Ethics, second edition (with James Hayden Tufts) (1932)
  13. ^ ヒラリー・パトナム『存在論抜きの倫理』法政大学出版局、9頁
  14. ^ ヒラリー・パトナム『存在論抜きの倫理』法政大学出版局、11頁
  15. ^ ジョン・デューイと同夫人
  16. ^ 上山春平・山下正男訳『世界の名著48:パース ジェイムズ デューイ』、中央公論社、1968、39ページ
  17. ^ 梅根悟「梅根悟教育著作選集」第七巻「問題解決学習」、明治図書。杉浦宏編『日本の戦後教育とデューイ』世界思想社1998年
  18. ^ 『デューイが見た大正期の日本と中国 家族への手紙』梓澤登訳、論創社、2024、p25
  19. ^ 中野光・平原春好『教育学』有斐閣, p.47
  20. ^ 日本語版がオリジナルで、英語版は翻訳
  21. ^ G. ダイキューゼン『ジョン・デューイの生涯と思想』三浦典郎・石田理兵訳、1977年、清水弘文堂
  22. ^ 『デューイが見た大正期の日本と中国 家族への手紙』梓澤登訳、論創社、2024、p3
  23. ^ 娘ジューン・デューイによる。デューイ夫妻が日本・中国から娘にあてた書簡集は“Letters from China and Japan”(1920)として公刊。
  24. ^ Dewey worked on this book from 1939 before its loss in 1947. For a full account of this publication's history, see Philosophy Now magazine, here (link), accessed 3rd June 2014.
  25. ^ 杉浦宏編『現代デューイ思想の再評価』世界思想社、2003年、p5


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