ジョン・エントウィッスル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 04:47 UTC 版)
評価
ザ・フーのメンバーによるもの
ピート・タウンゼントはエントウィッスルを深く信頼し、彼が弾くベースの音色は彼にしか出せないとしている。
- 「ジョンのサウンドは本当に大きくて、豊かで、有機的だったからね。ジョンが亡くなってからは、ステージにすっぽり大きな穴が空いちゃってね、実は俺としてはそこに入り込むことでいろいろ隙間をみつけて自分の音を拡げることもできたんだよ。だから、ギター・プレイヤーとしては、仕事はジョンがいない方がやりやすいと言わざるをえないんだよね。だけど、あのとてつもなくて、力強くて、ドライヴのかかった、肉感的な音をなんとか再現したいザ・フーのメンバーとしては、ジョンはいなくなってしまったと諦めざるをえないんだよ。もう俺の力じゃあれを再現することはできないね」[53] - ピート・タウンゼント
- 「ジョンは大事な存在だ。決して俺を見放さない。(死んでしまった)今も勇気づけ励ましてくれる。いいミュージシャンだ、と言ってくれた。俺の元気の素だったよ」[43] - ピート・タウンゼント
他のミュージシャンによるもの
同じベーシストだけに留まらず、他の楽器のプレイヤーからも高く評価されている。
- 「エントウィッスルはロック史上最高のベーシストの1人だと思う。縁の下の力持ちという立場にとどまることなく、凄まじいテクニックとサウンドをもって、ベースという楽器が持つ無限の可能性を証明してみせた」[54] - ゲディ・リー
- 「ジョン・エントウィッスル、そしてクリス・スクワイアがこの世を去った今、私たちはクラシックロック史上最高のベーシスト2人を失ったことになる」[55] - リック・ウェイクマン
- 「俺のようなプレイヤーは他にいないと思う。ずっとジョン・エントウィッスルに憧れてたけど、そのポジションはもう埋まってた。だから俺はその出来損ないになったんだ」[56] - レミー・キルミスター
- 「彼は史上最高のロックンロール・ベーシストだ。永久にね」[57] - レミー・キルミスター
- 「(マイ・ジェネレーションのベースソロは)墓碑に刻むべきさ。驚異的だ」[43]。 - ノエル・ギャラガー
他にも2007年に発表されたザ・フーの伝記ドキュメンタリー『アメイジング・ジャーニー』(Amazing Journey: The Story of The Who)で、ピノ・パラディーノ、スティング、ビリー・シーン、ジ・エッジ、ジェフ・バクスターらが称賛のメッセージを寄せている。
メディアによるもの
ロック史上最高のベーシストの1人という評価が確立している。
注釈
- ^ トロンボーン、チューバ、メロフォン等も含まれる。アルバム『四重人格』(1973年)の収録曲は全てタウンゼント作であるが、エントウィッスルは金管楽器の演奏の為の編曲を担当した。タウンゼントは自伝で、エントウィッスルが『四重人格』の録音の時に20以上もの様々な金管楽器を全て自分で演奏し、編曲を楽譜に書いて細心の注意を払って録音に臨んだ結果、多彩な金管楽器はタウンゼントのシンセサイザーやストリングスと完璧に調和したと記している。またエントウィッスルは、『四重人格』発表に伴なったツアーでは、収録曲の'Helpless Dancer'で金管楽器を演奏した。1973年11月20日にサンフランシスコ近郊のデイリー・シティで開かれたコンサートでメロフォンを演奏する姿が、ツアーのプロモーターだったビル・グラハムの為に撮影された白黒の記録映像に残っている。
- ^ ザ・フーのオリジナル・アルバムに収録されたエントウィッスル単独名義の曲の数は、『セル・アウト』(1968年)と『フー・アー・ユー』(1978年)と『イッツ・ハード』(1982年)が3曲、『ア・クイック・ワン』(1967年)と『トミー』(1969年、2枚組)と『フェイス・ダンシズ』(1979年)が2曲、『フーズ・ネクスト』(1971年)と『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』(1975年)が1曲。シングルB面に収録されてアルバムには収録されなかった曲が6曲。他に、彼とムーンの共作でシングルのB面に収録された曲が1曲ある。
- ^ アルバム『フー・アー・ユー』の再発盤CDのライナーノーツには、エントウィッスルの「もしロジャーが歌う為の曲を書けば、もっと多く採用される。自分が歌う為の曲なら採用されない。それがザ・フーについて自分が抱いている問題だ」という発言が引用されている。
- ^ シングル『サマータイム・ブルース』のB面に収録された。アルバム『トミー』(1969年)発表を挟んだ1968年から1970年までのコンサートのオープニング・ナンバーとして、ウッドストック・フェスティバル(1969年8月16日)、ワイト島音楽祭(1969年8月30日、1970年8月29日)、リーズ大学でのコンサート(1970年2月14日)などで披露された。
- ^ 彼がザ・フーのアルバム『フーズ・ネクスト』(1971年)で発表した「マイ・ワイフ」の再録音が収録された。
- ^ ザ・フーが前身のザ・ハイ・ナンバーズ時代の1964年から1973年までの間に録音した未発表曲やアルバム未収録曲を選曲して、アルバム『オッズ&ソッズ』(1974年)を編集した。
- ^ ジ・オックスは4人のホーン・セクションとコーラス・デュオのチャンター・シスターズを含んだ。名前(雄牛の意)の由来は彼の渾名だった。
- ^ 客の不入りなどの理由でホーンセクションは最終的にサクソフォーン奏者1人になり、チャンター・シスターズのドリーンは大音響で聴覚に異常をきたし、医師に諭されて早期に離脱した。
- ^ アメリカ・ツアーではJ. ガイルス・バンドの前座も務めた。1975年3月15日のフィラデルフィアでのコンサートの音源がアメリカのラジオ番組『キング・ビスケット・フラワー・アワー』で放送され、1996年にCDとして発表された。
- ^ エントウィッスルは、ザ・フーのドキュメンタリー映画『キッズ・アー・オールライト』(1979年)のサウンドトラックと、アルバム『四重人格』に基づいて制作された映画『さらば青春の光』(1979年)のサウンドトラックの音楽監督を担当した。
- ^ 1989年に実現したザ・フーの結成25周年記念の再結成ツアーの遠因になったとも噂された。彼はザ・フーのメンバーだった頃と同じような金銭感覚で生活し続けていたという。
- ^ ダルトリーとタウンゼントは、彼の死後の2004年にザ・フーのメンバーとして初来日・初公演を果たした。一方、1978年にムーンの後任としてザ・フーに加入したケニー・ジョーンズは、既に加入前の1974年にフェイセズのメンバーとして来日していた。
- ^ タウンゼントのソロ・アルバムに参加し、彼が1980年代半ばにライブ活動の為に結成したディープ・エンドのメンバーだった。タウンゼントが1989年にディープ・エンドを引き連れて、ダルトリー、エントウィッスルと合流して行なったザ・フーの結成25周年記念の再結成ツアーにも参加した。
- ^ エントウィッスルはザ・フーの「ボリスのくも野郎」と「マイ・ワイフ」、ソロの「最後のヒーロー」を披露した。横浜アリーナでのコンサートの映像が残っている。
- ^ 1998年のツアーの音源を、1999年に"Left for Live"として発表した。
- ^ 俗に「高級娼婦に口淫をされている最中に死亡した」という説が流布されている。
- ^ パラディーノは、1990年代からタウンゼントのソロ・コンサートに出演していた。
- ^ ドラマーもサポート・メンバーであり、正式メンバーはタウンゼントとダルトリーだけである。
- ^ キース・ムーンが在籍していた期間のコンサートでは、「ドゥローンド」(『四重人格』)や「ドリーミング・フロム・ザ・ウェイスト」(『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』)などでベース・ソロを披露した。
- ^ エントウィッスル作でダルトリーがリード・ボーカルを担当したのは5曲。『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』に収録された「サクセス・ストーリー」では、二人でリード・ボーカルを分担した。因みに「トリック・オブ・ザ・ライト」(『フー・アー・ユー』)のリード・ボーカルは、スタジオ録音ではダルトリーが、1989年の結成25周年記念ツアーでは作者のエントウィッスルが、それぞれ担当した。また1975年から76年にかけて行なわれたツアーでは、ムーンが「フィドル・アバウト」(『トミー』)のボーカルを担当した。
- ^ ザ・フーのスタジオ録音でのキーボードの演奏は、シンセサイザ―を含めてタウンゼントが担当することが多かったが、エントウィッスルも自作曲の「マイ・ワイフ」(『フーズ・ネクスト』)でピアノ、「905」(『フー・アー・ユー』)や「デンジャラス」(『イッツ・ハード』)などでシンセサイザーを演奏した。
- ^ 「ボリスのくも野郎」(『ア・クイック・ワン』)、「ウィスキー・マン」(『ア・クイック・ワン』)、「ヘヴン・アンド・ヘル」(シングルB面)、「アンクル・アーニー」(『トミー』)など。エントウィッスルはトミーをもてあそぶ変質者である叔父を歌った「アンクル・アーニー」を、「自分にはとても書けない」というタウンゼントに頼まれて書いた。トミーの意地悪極まりない従兄弟を歌った「従兄弟のケヴィン」と合わせて、彼の曲作りの嗜好とタウンゼントの期待とが見事に一致した例であると言えよう。
- ^ 1972年10月、ロンドン交響楽団とイギリス室内合唱団によって制作され、ムーン以外のザ・フーのメンバー、ロッド・スチュワート、リンゴ・スター、スティーヴ・ウィンウッドらが客演した。エントウィッスルは自作曲「従兄弟のケヴィン」のボーカルを担当した。
- ^ 謝辞に名前が記されている。
出典
- ^ “www.rollingstone.com”. 2024年4月21日閲覧。
- ^ “www.rollingstone.com”. 2024年4月24日閲覧。
- ^ ニール、ケント・pp32-33
- ^ Neill & Kent (2007), p. 13.
- ^ Neill & Kent (2007), p. 16.
- ^ Neill & Kent (2007), p. 17.
- ^ a b c ニール、ケント・pp35-36
- ^ Neill & Kent (2007), p. 18.
- ^ Townshend (2012), p. 250.
- ^ a b c アルティミット・ガイド・p154
- ^ ニール、ケント・pp225-226
- ^ “Discogs”. 2023年5月11日閲覧。
- ^ Neill & Kent (2007), p. 302.
- ^ Neill & Kent (2007), pp. 323, 328.
- ^ Rees (2020), pp. 174–175.
- ^ Rees (2020), pp. 191–192.
- ^ McMichael & Lyons (2004), pp. 222, 224–225.
- ^ McMichael & Lyons (2004), p. 225.
- ^ “Discogs”. 2023年5月11日閲覧。
- ^ Neill & Kent (2007), pp. 367–370.
- ^ Rees (2020), pp. 257–259.
- ^ Rees (2020), p. 280.
- ^ Rees (2020), pp. 289–290.
- ^ Rees (2020), pp. 292–293.
- ^ アルティミット・ガイド・p152
- ^ Stripper found Entwistle dead after heart attack triggered by cocaine:
- ^ Rees (2020), p. 322.
- ^ Rees (2020), pp. 323–324.
- ^ ザ・フーのジョン・エントウィッスル、死の前に“アダルトエンターテイナー”と一夜を過ごしていた? | The Who | BARKS音楽ニュース:
- ^ フー・アイ・アム・p.413
- ^ Daltrey (2018), p. 221.
- ^ Jones (2019), p. 297.
- ^ ピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリー、ケニー・ジョーンズらがジョン・エントウィッスルの葬儀に参列 | The Who | BARKS音楽ニュース:
- ^ アルティミット・ガイド・p139
- ^ アルティミット・ガイド・p153
- ^ ニール、ケント・p56
- ^ ニール、ケント・p55
- ^ John Entwistle | Awards | AllMusic:
- ^ 映画『キッズ・アー・オールライト』より。
- ^ ビル・ワイマン、サミー・ヘイガー、ヴァン・ヘイレンのマイケルらがジョン・エントウィッスルを偲ぶ | The Who | BARKS音楽ニュース:
- ^ ニール、ケント・p117
- ^ ニール、ケント・p102
- ^ a b c ザ・フーの伝記ドキュメンタリー『アメイジング・ジャーニー』(2007年)より。
- ^ ロジャー・ダルトリー2003年インタビュー。DVD『キッズ・アー・オールライト』(2004年)収録。
- ^ シンコー・ミュージック・ムック『天才ギタリスト ジミー・ペイジ 完全版』、2004年。ISBN 978-4401618552、p210。
- ^ ニール、ケント・p148
- ^ ニール、ケント・p242
- ^ Rees (2020), p. 236.
- ^ Rees (2020), pp. 226–228.
- ^ Rees (2020), pp. 281–282.
- ^ Rees (2020), p. 286.
- ^ John Entwistle - Biography - IMDb:
- ^ ザ・フーのピート・タウンゼント、ステージでキース・ムーンやジョン・エントウィッスルの霊を感じると語る (2012/10/12) | 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト:
- ^ a b 史上最高のベーシスト50選
- ^ 史上最高のベーシスト50選
- ^ 史上最高のベーシスト50選
- ^ Thunderfingers: A Tribute to the legendary John Entwistle - promo
- ^ Rolling Stone Readers Pick the Top Ten Bassists of All Time Pictures | Rolling Stone:
- ^ John Entwistle Gear: 1960-1966 | John Entwistle Bass Gear | Whotabs:
- ^ ジョン・エントウィッスルのベースギター - 梅雀のひとりごと:
- ^ a b John Entwistle Gear: 1971-1974 | John Entwistle Bass Gear | Whotabs:
- ^ John Entwistle Gear: 1974-1985 | John Entwistle Bass Gear | Whotabs:
- ^ a b John Entwistle Gear: 1986-2002 | John Entwistle Bass Gear | Whotabs:
- ^ “Discogs”. 2023年5月27日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年5月27日閲覧。
- ^ Neill & Kent (2007), pp. 443–444.
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年6月10日閲覧。
固有名詞の分類
ポピュラー音楽の音楽家一覧 (個人) |
ミシェル・ブランチ カーティス・フラー ジョン・エントウィッスル ゲイリー・シェローン ジョアン・ボスコ |
イギリスのベーシスト |
クリス・ウォルステンホルム ジョン・マクヴィー ジョン・エントウィッスル デニス・ボーヴェル ジョン・ウェットン |
- ジョン・エントウィッスルのページへのリンク