コルナイ・ヤーノシュ コルナイ・ヤーノシュの概要

コルナイ・ヤーノシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/27 22:54 UTC 版)

コルナイ・ヤーノシュ
制度派経済学
生誕 1928年1月21日
ハンガリー王国 ブダペスト
死没 (2021-10-18) 2021年10月18日(93歳没)
 ハンガリー ブダペスト
国籍  ハンガリー
研究機関 ハーバード大学
コルヴィヌス大学
中央ヨーロッパ大学
研究分野 計画経済
母校 カール・マルクス経済大学
学位 博士(カール・マルクス経済大学・1961年)
論敵 新古典派
実績 不足の経済英語版
ソフトな予約制約
情報 - IDEAS/RePEc
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経歴

1928年、ブダペストユダヤ人家庭に生まれる。1944年、ドイツ軍がハンガリーに進駐し矢十字党が権力を掌握すると、自身は労働キャンプに入れられるが逃亡、修道院に匿われてソ連軍による解放を迎えた[1]。父はアウシュビッツで殺害された。

1945年にギムナジウムを卒業すると、ハンガリー共産党の指導下にあった青年組織・ハンガリー民主青年同盟に入り活動、その中で共産党に入党する[2]。1948年にはハンガリー勤労者党の中央機関紙『自由な人民』 Szabad Nép に採用され[3]、経済部記者として活躍する。1955年、『自由な人民』から追放され、ハンガリー科学アカデミー付属経済研究所に移った。

1982年にはハンガリー科学アカデミー正会員になっている。

1983年に来日している。

1984年からハーバード大学教授。

1985年には中国政府系シンクタンクと世界銀行に招かれ、ジェームス・トービンらと中国に1カ月滞在し、趙紫陽首相を筆頭とした当時の高官らに経済を講義している。国営企業改革もテーマであった[4]

2001年までハンガリー国立銀行(中央銀行)の理事を務めた。

2002年にハーバード大学を引退、2011年にはコルヴィヌス大学から名誉教授の称号を授与された。

2019年晩年はハンガリー在住。

2021年10月18日死去

業績

1956年の博士候補論文『経済管理の過度集権化』は1958年に英語版が出来上がり大きなセンセーションを巻き起こした[5]。この論文は、社会主義経済が政府主導の集権的管理下にあり、それがシステムを効率的に機能させる刺激・報酬体系を生み出していないことを分析したものである[6]

ついで数理経済学に転じ、1971年の著書『反均衡』では、サイバネティックス的手法を用いて、新古典派経済学、特に一般均衡理論を批判している。この著作は一般均衡論を超える経済理論の構想を示したもので、これによって理論経済学の世界でコルナイはその足場を固めた[7]

1980年の著書『不足』は、社会主義制度下においては物資やサービスの不足が恒常的に起きることを示して、東西の経済学界に衝撃を与えた。ハンガリー国内で「『不足』が不足」と新聞が報じるほどのベストセラーになり、英語、フランス語、ポーランド語に翻訳された。中国語版は、非文芸部門の年間ベストセラー賞を受けた。ロシア語訳は、まず非合法で流通、ゴルバチョフ政権により合法化された[8]。校閲(検閲)を通過するため、あえて記述をしていないにもかかわらず、多くの人がこの本から「体制転換が必要」というメッセージを受け取った。エリツィン時代首相代行を務めたこともあるロシアのガイダルは、「1980年代の誰もが、市場社会主義の不可能性を証明するコルナイから最大の影響を受けた」と賛辞を呈している[8]

1992年には『社会主義経済システム―共産主義の政治経済学』を著した。

著作

以下日本語訳された著書を記す。

  • 『反均衡の経済学―経済システム理論の形成をめざして』 岩城博司・岩城淳子訳、日本経済新聞社、1975年
  • 『反均衡と不足の経済学』 盛田常夫・門脇延行編訳、日本評論社、1983年
  • 『「不足」の政治経済学』 盛田常夫編訳、岩波書店、1984年
  • 『経済改革の可能性―ハンガリーの経験と展望』 盛田常夫編訳、岩波書店、1986年
  • 『資本主義への大転換―市場経済へのハンガリーの道』 佐藤経明訳、日本経済新聞社、1992年
  • 『コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て』 盛田常夫訳、日本評論社、2006年。ISBN 978-4535554733
  • 『資本主義の本質について』 溝端佐登史堀林巧・林裕明・里上三保子訳、NTT出版、2016年

  1. ^ コルナイ 2006, pp. 12–17.
  2. ^ コルナイ 2006, p. 24.
  3. ^ コルナイ 2006, p. 39.
  4. ^ モンスター・中国の世界的脅威と日本がすべきこと”. 朝日新聞デジタル (2019年9月23日). 2021年8月29日閲覧。
  5. ^ コルナイ 2006, p. 110.
  6. ^ 盛田 2009, p. 2.
  7. ^ 盛田 2009, p. 3.
  8. ^ a b [1] (PDF)


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