クレーヴェン 歴史

クレーヴェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:12 UTC 版)

歴史

この地域に集落ができたのは12世紀の初頭であり、プリピャチ川の支流ホルィニ川のさらに支流、Stubla川のほとりに人が住み始めたことである[3]。文献上の初出は1458年[4]チャルトリスキ家の所有地としての記録である[3]1654年マクデブルク法が採用された。

クレーヴェンを含むこの地域は歴史的にヴォルィーニと呼ばれている。ヴォルィーニは強国ロシアポーランドの両国の間にあったため、クレーヴェンもたびたび属する国が変わった。ヴォルィーニの他集落同様、クレーヴェンにはユダヤ人の集落があった。1920年からはポーランドに属し、1929年にポーランドで出されたガイドブックには「ユダヤ人が1300人住む」と書かれている。

第二次世界大戦が始まると、1939年からはソビエト連邦に属し、1940年都市型集落の扱いとなった。1941年独ソ戦が始まると一時ナチス・ドイツの支配下となり、シナゴーグ(ユダヤ教の集会場)焼き討ちとユダヤ人虐殺事件が発生している[5]。また、クレーヴェンは第二次世界大戦以後に始まったパルチザン活動、ウクライナ蜂起軍の中心地域の一つになった。

クレーヴェンにはポーランド人も住んでいたが、第二次世界大戦直後に行われたヴィスワ作戦の一環で強制移転させられた[6]1979年の人口は8,400人だった[4]

交通

クレーヴェンの「恋のトンネル」

クレーヴェンにはリウネキーヴェルツィに繋がるクレーヴェン鉄道があり、木材や食品工場からの出荷などに使われている[4]

クレーヴェンを通る主要道路はT1B17とH22で、H22で行くならリウネの北西28.3キロメートル、ルーツィクの南東50.4キロメートルの位置にある[7]ヴォルィーニ地域の南部に当たる。

恋のトンネル

コーヴェル=リウネ線のクレーヴェン駅からオルツィヴ英語版北部のファイバーボード工場を結ぶ専用鉄道の路線があり、この路線の大部分が両側に木が生い茂っていて、きれいなアーチを作っている。この風景が非常にロマンチックなため、この箇所は恋のトンネル(愛のトンネル)と呼ばれている[8][9]


  1. ^ Klevan (Rivne Oblast, Rivne Raion)”. weather.in.ua. 2012年2月5日閲覧。
  2. ^ Klevan, Rivne Oblast, Rivne Raion” (Ukrainian). Regions of Ukraine and their Structure. Verkhovna Rada of Ukraine. 2012年2月5日閲覧。
  3. ^ a b Klevan” (Russian). Attractions of Ukraine. photohunt.org.ua. 2012年2月6日閲覧。
  4. ^ a b c Danylo Husar Struk (1993). Encyclopedia of Ukraine. University of Toronto Press. http://books.google.com/books?id=REcOAQAAMAAJ 2012年2月6日閲覧。 
  5. ^ Bowling Green State University; Popular Culture Association; American Culture Association (1984). Journal of cultural geography. Bowling Green State University in cooperation with the Popular Culture Association and the American Culture Association. http://books.google.com/books?id=e5jjAAAAMAAJ 2012年2月6日閲覧。 
  6. ^ Glantz, David M. (March 2005). Colossus reborn: the Red Army at war : 1941-1943. University Press of Kansas. ISBN 978-0-7006-1353-3. http://books.google.com/books?id=YwBoAAAAMAAJ 2012年2月6日閲覧。 
  7. ^ Maps (Map). Google Maps.
  8. ^ Murano, Grace."10 Most Fascinating Tunnels" Oddee, 25 June 2012. Retrieved: 23 August 2012.
  9. ^ "Tunnel of love" Tourism On The Edge, 8 August 2012. Retrieved: 23 August 2012.
  10. ^ Sergey, Kononov. Sights & Hotels in Ukraine. Kononov Sergey. p. 95. GGKEY:0C6GN58BU4J. http://books.google.com/books?id=ZAlttkfTsR0C&pg=PA95 2012年2月6日閲覧。 


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