エリザベス朝 エリザベス朝の概要

エリザベス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 06:52 UTC 版)

エリザベス1世

対外的にはスペイン無敵艦隊を破るなど国威を示し、内政的にはプロテスタントカトリックの対立を終息させ、国力を充実させた。これにより、芸術、文芸も栄え、イギリス・ルネサンスの最盛期となった。また、イギリス・ルネサンス演劇も賑わいを見せ、とりわけウィリアム・シェイクスピアによる従来の様式を打ち破った演劇は話題となった。

文学の分野で「エリザベス朝」という言葉が使用される場合、その後のジェームズ1世(1603年 - 1625年)およびチャールズ1世(1625年 - 1649年)の在位期間を含めることが多い。エリザベス1世の頃にはウィリアム・シェイクスピアが現れ、現在に残る戯曲の多くを残した。シェイクスピアはソネットなどにも大きな足跡を残した。クリストファー・マーロウなどによっても多くの詩文が残され、英文学の大きな財産となっている。

なお、テューダー朝の頃の建造物などは「テューダー様式」と呼ばれる。

概要

エリザベス朝の素晴らしさは、その前後の時期と比べると際立って見える。17世紀はイギリス革命(清教徒革命など)やプロテスタントカトリックとの争い、議会と国王の争いに明け暮れていたが、その中でエリザベス朝はつかの間の平和な期間だった。この時期は、プロテスタント・カトリックの分裂は収まり(エリザベスの宗教的解決)、議会には未だ絶対王政を揺るがす程の力がなかった。

イングランドは、他のヨーロッパ諸国に比べても順調だった。イタリア・ルネサンスは、外国に半島を支配されて終わった。フランスではユグノー戦争が起こった(この戦争は1598年ナントの勅令によって終わる)。何世紀も続いてきたフランス対イギリスの闘争は、エリザベス1世の治世の間は収まっていた。これは、フランスが宗教戦争に巻き込まれたことの他に、イングランドがヨーロッパ大陸の領土のほとんどを失っていたことも一因となっている。

この時期に大きなライバルとなったのはスペインだった。スペインとイングランドはヨーロッパとアメリカ大陸で小競り合いを繰り返してきたが、1585年についに戦争となった(1604年まで続く)。スペイン王フェリペ2世が1588年に無敵艦隊を送ったが、イングランドは有名なアルマダの海戦で無敵艦隊に大勝した。しかし、この後にイングランド艦隊がスペインに侵攻した海戦では大敗し、争いの風向きはイングランドに不利に変わった。その後、スペインはアイルランドのカトリック教徒のイングランドに対するゲリラ活動を支援した。また、イングランド軍はスペインの陸海軍に続けて敗北し、イングランドの国庫と経済がかなり悪化した。エリザベス1世は、財政を緊縮して慎重に立て直しを図った。イングランドの植民地政策や貿易が復興するのは、エリザベス1世が死去した翌1604年、ロンドン条約に批准した後である。

この期間のイングランドは、過去のヘンリー7世ヘンリー8世の改革の結果、うまく中央集権化され、政府が効率的に機能していた。経済的には、大西洋貿易によって儲ける新時代の幕開けを迎えていた。

美化された物語と実態

後のヴィクトリア時代や20世紀初頭には、エリザベス朝は理想として美化されて伝えられた。ブリタニカ百科事典には、今日でも「1558年から1603年までのエリザベス1世の長い治世は、イングランドの黄金期であった。人々は生活を楽しみ、音楽や文学、建築、船乗りの冒険にも『愉快なイングランド』が現れている」と記載されている[1]。エリザベス朝を理想化する傾向は、イギリスや北アメリカに共通してみられる(例えば、エリザベス朝の船乗りを主人公にした映画など[注釈 1])。

一方、美化された歴史観の反動により、ヨーロッパ民主化後の歴史家や伝記作者はエリザベス朝について、物語風の脚色を無くして冷静に見る傾向がある。彼らによるとエリザベス朝のイングランドは、軍事面では特に成功はしていない。また、人口の90%を占める地方の労働者階級はそれまでの世代よりも貧困に苦しんだ。エリザベス朝で行われた奴隷貿易やアイルランド・カトリック弾圧(特にデスモンドの反乱や9年戦争)も、歴史家の注目を集める。イングランドはこの時代に絶頂に達したとはいえ、エリザベス1世の死後40年もたたないうちに、内戦に至るまで急落することになる。

すべてを考慮すると、エリザベス1世の統治はイングランドに長期間の(完璧ではないにせよ)平和をもたらし、繁栄を増したといえる。彼女は、過去の統治者から事実上の財政破綻状態を受け継いだが、倹約方針に従って財政を立て直した。緊縮財政によって1574年までには負債を解消し、その10年後には30万ポンドにおよぶ余剰金を蓄えた[2]。経済面では、トーマス・グレシャム為替取引所を設立した(1565年)。ここで、イングランドでは初の、またヨーロッパでもまだ少なかった株式交換が行われ、やがてイングランドはもとより世界の経済にも重要なものに発展した。エリザベス朝当時の税金は他のヨーロッパ諸国より低かった。経済は発展し、所得の配分は明らかに偏っていたものの、エリザベス朝が終わる頃には、初めに比べる明らかに多い富が蓄積されていた[3]。このように概ね平和で繁栄していたため、この時期を「黄金期」とよぶ人達が強調する魅力的な発展が可能となった[4]

人道主義の観点でも、この時期のイングランドには良いところがあった。同時期のヨーロッパ大陸の社会とは違い、拷問がほとんどなかった。厳しい身体刑もあったが、イングランドの法律制度ではそのような拷問は、反逆罪のようにきわめて重大な犯罪にしか認めてられていなかった[5]。魔女裁判も比較的まれだった。魔女として弾劾された事件もあったが、同時期のヨーロッパ社会で発生したような極端に熱狂的な動きにはならなかった[6]。社会における女性の役割は、この時代にしては比較的自由だった。当時のイングランドを訪れたスペイン人やイタリア人たちは、母国と正反対に自由を享受する女性について必ず何かしら(あるときは詭弁的に)論評した。

それまでのテューダー朝の治世で、ヘンリー8世エドワード6世はカトリックを弾圧し、メアリー1世はプロテスタントを弾圧するなど、宗教の弾圧が行われていた。しかしエリザベス1世は「心までは統治しない」と決めて宗教弾圧を弱め、これによってイングランドの社会をやわらげる効果を生んだようである。その一方で、エリザベス1世の統治は無神論者による「冷厳な独裁制」としても記述される[7]


注釈

  1. ^ 『女王エリザベス』(The Private Lives of Elizabeth and Essex, 1939年)や『シー・ホーク』(The Sea Hawk, 1940年)など

出典

  1. ^ Britannica Online.
  2. ^ Melissa D. Aaron, Global Economics, Newark, DE, University of Delaware Press, 2005; p. 25.統治の後半の数十年間に、戦費の出費(1589年の艦隊とオランダ戦役)によって余剰金は失われた。1603年にエリザベスが亡くなったとき、イングランドは35万ポンドの負債を抱えていた。
  3. ^ Ann Jennalie Cook, The Privileged Playgoers of Shakespeare's London, 1576–1642, Princeton, NJ, Princeton University Press, 1981; pp. 49-96.
  4. ^ Christopher Hibbert, The Virgin Queen: Elizabeth I, Genius of the Golden Age, Reading, MA, Perseus, 1991.
  5. ^ George Macaulay Trevelyan, England Under the Stuarts, London, Methuen, 1949; p. 25.
  6. ^ Charles Mackay, Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds, London, Richard Bentley, 1841; reprinted New York, Farrar Straus & Giroux, 1974; pp. 462-564.
  7. ^ Alfred Hart, Shakespeare and the Homilies, Melbourne, 1934; reprinted New York, AMS Press, 1971.
  8. ^ Ann Jennalie Cook, Privileged Playgoers of Shakespeare's London, pp. 81-2..
  9. ^ Ellis Waterhouse, Painting in Britain 1530 to 1790, fourth edition, New York, Viking Penguin, 1978; pp. 34-9.


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