ウィーン条約 (1738年) ウィーン条約 (1738年)の概要

ウィーン条約 (1738年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:50 UTC 版)

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ウィーン条約(1738年)
署名 1738年11月18日
署名場所 ウィーン
言語 ラテン語
主な内容 ポーランド継承戦争講和条約
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概要

条約により、スタニスワフ・レシチニスキはポーランド王位を放棄し、ザクセン選帝侯アウグスト3世を承認した[1]。補償として、死後フランス王国に割譲されることを条件に、スタニスワフはロレーヌ公国バル公国を受け取った[1]。スタニスワフは1766年に死去した。当時のロレーヌ公フランツ・シュテファンは補償として、メディチ家最後の男子ジャン・ガストーネが1737年に死去した後空位となっていたトスカーナ大公国を受け取った。またフランスは1713年の国事詔書を承認し、ハプスブルク家ナポリ王国シチリア王国をスペイン王フェリペ5世の息子のパルマ・ピアチェンツァ公カルロに割譲した。その代わり、カルロはパルマ公国をハプスブルクに割譲、トスカーナ公国への請求も放棄した。


  1. ^ a b Lindsay, J. O. (1957) The New Cambridge Modern History Cambridge University Press, Cambridge, England, page 205, ISBN 0-521-04545-2


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