ウィーン条約 (1656年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウィーン条約 (1656年)の意味・解説 

ウィーン条約 (1656年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ウィーン条約
神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
種類 同盟条約
起草 1656年12月1日
署名 1657年3月30日
署名場所 ウィーン
署名国 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
ヤン2世カジミェシュ
締約国 ハプスブルク家
ポーランド・リトアニア共和国

ウィーン条約(ウィーンじょうやく、英語: Treaty of Vienna)は北方戦争中の1656年12月1日に締結された、ハプスブルク家ポーランド・リトアニア共和国の同盟条約[1]。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世は反スウェーデン側で参戦することに同意し、ポーランド王ヤン2世カジミェシュに援軍4千を提供した[1]。しかし、ヤン2世はより大規模な援軍に期待していたため彼は条約に失望した。さらにフェルディナント3世が条約への署名から3日後に死去したため条約が実効を持つことはなかった[1]。後任の皇帝レオポルト1世は翌年に再びウィーン条約を締結した[1]

脚注

  1. ^ a b c d Frost, Robert I (2000). The Northern Wars. War, State and Society in Northeastern Europe 1558–1721. Harlow: Longman. p. 179. ISBN 978-0-582-06429-4 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィーン条約 (1656年)」の関連用語

ウィーン条約 (1656年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィーン条約 (1656年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィーン条約 (1656年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS