イリオモテヤマネコ 発見の経緯

イリオモテヤマネコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 06:58 UTC 版)

発見の経緯

イリオモテヤマネコの発見は1965年の戸川幸夫、記載は1967年に当時の国立科学博物館動物部長であった今泉吉典による[26]

西表島に野生ネコがいることは以前から現地では知られており、「ヤママヤー」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)、「メーピスカリャー」(目がぴかっと光るもの)などと呼称して、「ピンギマヤー」と呼ぶ野良猫や、単に「マヤー」やあるいは「マヤグヮー」と呼ぶ飼い猫とは区別していた[27][28]。一方で、飼い猫が野生化した野猫ではないかとも考えられていた[2][3]。沖縄がアメリカの占領下にあった頃に、アメリカの大学による総合調査が行われたが、その時もイリオモテヤマネコの発見には至らなかった[12]

標本の入手まで

1962年にこれらの情報を基に琉球大学高良鉄夫が幼獣を捕獲したが、成獣の標本は入手できなかった[2]。1964年には早稲田大学探検部の高野凱夫がヤマネコが生息しているという噂を今泉らに伝えた[12]。沖縄の本土復帰に先立つ1965年2月、八重山を訪れることになった動物文学作家の戸川幸夫が、那覇市琉球新報の記者から「西表島ではヤマネコがいるという噂がある」ことを聞いた[28]。戸川はこれをよくあるヤマイヌ(ニホンオオカミ)発見談のようなものであり、飼い猫が野生化したものであると考えたが、知人であった高良に相談したところ、彼はその噂を知っており、しかも一定の信頼性が感じられることを説明した上で、戸川に証拠集めを依頼した[12][28]。戸川は当時担当していた記事の取材を兼ね西表島に渡り、ヤマネコの情報の入手や標本の収集に奔走した[28]。しかし西表島では食糧不足のため捕獲されたヤマネコは焼いて汁にして食べるか、捨てていたためにヤマネコの標本の入手は容易ではなかった[28]。その後、島の西部にある網取部落を訪れた際に、高良に師事していた中学校の教師が、イノシシ用の罠で捕獲されたヤマネコの死体を入手し、皮を高良に送り、その他は埋めたことを聞きつけ、戸川らはこれを掘り起こし、頭骨を入手した[28]。また網取部落付近で手に入れた2個の糞を発見している[28]。同時に、浦内川沿いにあるイナバ部落の漁師が皮を保管しており、これも手に入れた[28]。この3つの標本を手に再び琉球大学の高良のもとを訪れ、網取部落の中学校教師が高良に送ったヤマネコの皮を入手し、これらの標本を国立科学博物館の今泉のもとに送り、日本哺乳動物学会に鑑定を依頼した[28]。1965年3月14日に日本哺乳動物学会において、これらの標本の鑑定がなされた[12]。鑑定の結果、新種もしくは新亜種らしいということにはなったが、標本が足りなく、完全な標本もしくは生体の入手が求められた[12]。この発表の後も、哺乳動物学会員の中には、単なる奇形であるか、もしくは過去に船乗りが海外産のヤマネコを西表島に放したものであると考えるものもいた[28]

生体の捕獲から発表まで

タイプ標本が発見された南風見田の浜の小さな滝

1965年6月に戸川は、生態情報の収集や、完全な標本の入手、生け捕りを目標とし、再び高良とともに西表島を訪れた[29]。この時に戸川らは、生け捕りをするために箱罠マタタビを持ち込んでいる[29]。しかし、猟師によって捕らえられるのは多くて年に1、2頭であったことや、生息個体数がさほど多くはないと推定していたため、戸川はヤマネコを生け捕りできることには期待はしていなかった[29]。これに先立つ1965年5月5日に、島南部の南風見田の浜にある、通称“マーレー”と呼ばれる小さな滝の下で、遠足にきていた大原中学校の生徒がけがをして弱っているオスを発見し、引率の教諭が捕獲した[12][29]。別の教諭がこの個体の皮をホルマリン標本に、頭骨や骨格を木箱に入れ学校の裏に埋め、後に戸川らにより掘り起こされ、この個体がイリオモテヤマネコのタイプ標本となった[12][29]。その後も、由布島で砕けた幼獣の頭骨を手に入れ、今泉により復元されている[29]。また、戸川はこの調査時に、イリオモテヤマネコよりも大きいオオヤマネコ(後述)の噂を聞きつけ、調査を行っている[29]。戸川は帰京前に、ヤマネコに生体は100ドル、死体は30ドルなどと懸賞金をかけ、竹富町長や八重山毎日新聞の協力を得て、西表島の掲示板などで告知した[30]。なおこの時、オオヤマネコにも生体には200ドル、死体には100ドルの懸賞金をかけている[30]。この調査では、2体分の全身骨格、頭骨2つ、毛皮3枚などを持ち帰った[30]。この毛皮の内1枚は大原中学校の学生らが捕獲した個体のもので、ヤマネコのものと鑑定されたが、由布島で手に入れたものは標本が小さく鑑定は保留され、残りの石垣島で手に入れた1枚はイエネコのものと鑑定された[30]

1966年1月に仲間川流域でイノシシ罠で捕獲されたヤマネコの死体が、琉球大学の高良のもとに送られているが、その後しばらくは捕獲されたという情報は入らなかった[30]。1966年12月に仲間川中流域で猟師である黒島宏により、オスの成獣が生け捕られたが、これは直後に逃げられた[30]。しかし、そのすぐ後に再び黒島が別のオスを捕獲した[12]。同年1月15日には、仲間山付近でメスの若い個体が捕獲された[12][30]。報奨金については国立科学博物館の庭園の修繕費を回すことになったが、捕獲した猟師や地元の人々は1頭に付き1000-3000ドル程度を期待していた[30]。しかし、営林署長の説得により、日当及び礼金として予算内での謝礼金を支払っている[30]。一方、時の竹富町長は日本政府南方連絡事務所琉球政府に掛け合い、昭和天皇へこの2頭のヤマネコを献上し、西表島の名を広めかつ、産業開発の促進をすることを目的に、那覇市へと渡った[30]。と同時に、竹富町役場は、琉球政府から飼育許可を得ていることを理由に、国立科学博物館職員の手からヤマネコを取り上げ、役場へと持ち帰った[30]。結局、戸川の新聞社への働きかけや、今泉の文部省(当時)を通じた琉球政府や南方連絡事務所への働きかけにより、南方連絡事務所は天皇への献上手続きを拒否し、琉球政府は竹富町長を説得し、最終的に国立科学博物館へと運ばれることが決定した[30]

この2頭は、1967年3月20日に東京・羽田空港へと空輸された[30]。翌日には今泉吉典宅にしばらく飼育され、発見者である戸川幸夫宅で国立科学博物館の委託を受け約2年間飼育され、生態が観察された[12][31]。その後、国立科学博物館に移され生態が観察され、オスは1973年4月25日に、メスは1975年12月13日に死亡した[12]。オスの皮は仮剥製に、血は染色体研究用に、その他の体は液浸標本に、メスは本剥製にされ、展示されている[12]

1967年5月に発行された哺乳類動物学雑誌の第3号・第4号で、ネコ科内でも原始的な分類群であるメタイルルス属 Metailurus に近縁な新属新種として英文で発表された[12]。旧属名 Mayailurus は、前半の maya は生息地である西表島での方言でネコを意味し、-ailurus は古代ギリシャ語でネコを意味する[12]iriomotensis は「西表の」という意味である[12]。和名は、今泉は発見者の戸川の名を取って、トガワヤマネコと名付けるよう提案したが、戸川はこれを辞退し、ツシマヤマネコに倣い発見地の西表島の名前を取って名付けるよう提案をし、高良の賛成もあって、イリオモテヤマネコと名付けられた[28]

ヤマピカリャー

一般には、現地でヤマピカリャーなどと呼ばれてきたネコ科動物は、イリオモテヤマネコであったと考えられている。しかし体長がイエネコの倍ほど、尾が約60センチメートルほどで、イリオモテヤマネコとは模様の違う大型のネコ科動物が現地の人によって幾度か目撃されている[27]。この“大ヤマネコ”はヤマピッカリャー(新城島)、クンズマヤー(祖納地区)、トウトウヤー(古見地区)などと呼ばれて、イリオモテヤマネコやイエネコ(野良猫)とは区別されてきた[27][32]。1965年には戸川が地元猟師の話を受け、猟師が数ヶ月前に虎毛のオオヤマネコを殺し、死体を捨てたという南風見を調査している[29]。10日前までは白骨化してそこにあったと言うが、折からの雨により流失していた[29]。その猟師は寸法を計測しており、肩高は大人の膝くらい、尾長は約60センチメートル、全長はイエネコの2倍ほどであり、イリオモテヤマネコのようなヒョウ柄ではなく、緑がかった虎毛であったという[29]

1982年6月2日の読売新聞には、ヤマピカリャーの目撃談の記事があり、長年イノシシ猟をしている猟師がテドウ山にかけての山中で10回にわたり目撃しうち1回は捕らえて食べているほか、子連れのヤマピカリャーの目撃談も寄せられている[27]。その後も目撃談は存在し、例えば2007年9月14日には魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄島根大学教授によって、イリオモテヤマネコより大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島内でも人跡まれな南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられている[33]。一方、今泉(1994)は、地元猟師が保有していた、“大ヤマネコ”とされる頭蓋骨を見聞したところ、実際はイエネコであったという[27]

一般に体の大きさと行動圏の広さは比例し、体の大きさが大きいほど行動圏も広くなる[27]。一般的にイリオモテヤマネコの行動圏は6.5平方キロメートルほどであるが、目撃されているオオヤマネコの大きさから考えると行動圏は約30平方キロメートルの行動圏が必要となり、面積が約290平方キロメートルの西表島には、10頭弱のオオヤマネコしか生息できない計算となる[27]


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