アーブー山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 02:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アーブー山 マウント・アーブー | |
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愛称: ラージャスターンのシムラー | |
座標:北緯24度35分33秒 東経72度42分30秒 / 北緯24.5925度 東経72.7083度座標: 北緯24度35分33秒 東経72度42分30秒 / 北緯24.5925度 東経72.7083度 | |
国 | インド |
州 | ラージャスターン州 |
県 | シローヒー県 |
行政 | |
• 種別 | 観光 |
標高 | 1,220m |
人口 (2011)[1] | |
• 合計 | 60,000人 |
等時帯 | UTC+5:30 (インド標準時) |
局番 | +02974 |
ISO 3166コード | RJ-IN |
ナンバープレート | RJ 38 |
近傍の都市 | シローヒー、アーブー・ロード、アフマダーバード |
アーブー山はジャイナ教の聖地であり、ディルワーラー寺院群は主に11世紀から13世紀に作られた大理石彫刻で知られる。同時にヒンドゥー教の聖地でもある[4]。
歴史
アーブー山の古代の名前はアルブダーチャラ(arbuda-acala)といった。プラーナ文献ではこの地域はアルブダーラーニヤ(アルブダの森)と呼ばれ、アーブーはこの古代の名前が縮まったものである。ヴァシシュタ仙がヴィシュヴァーミトラ仙との争いの後に引退してアーブー山の南の麓に住んだと信じられている。別の伝説によれば、アルブダという名前の大蛇がナンディー(シヴァの乗り物)の命を救ったと伝えられ、この事件によって山が「アルブダーラーニヤ」と命名され、それが変化してアーブーになったとされる。
1311年、デーオーラー・チャウハーン朝のラーオ・ルンバがアーブー山を征服した。これによってパラマーラ朝による支配が終わり、アーブー山は衰退した。ルンバは首都を平地のチャンドラヴァティーに移した。1405年にチャンドラヴァティーが破壊された後、ラーオ・シャースマルはシローヒーに遷都した。その後、英国政府が当時のシローヒーのマハーラージャからアーブー山を租借した。
アーブー山とグルジャル人
アルブダ山地(アーブー山)一帯は有名なグルジャル人の故地と言われる。アーブー山とグルジャル人の関係はダナパーラ『ティラカマンジャリー』や多数の碑文によって見てとれる[5]。これらのグルジャル人はアルブダ山地から移動し、すでに6世紀にラージャスターン州とグジャラート州にいくつかの公国を建てていた。この2つの州の大半は、ムガル朝時代以前には何世紀にもわたってグルジャラトラー(グルジャル人によって支配または保護される土地)またはグルジャラブーミ(グルジャル人の地)として知られていた[6]。
アーブー山とラージプート
伝説によれば、ヴァシシュタ仙はアーブー山の頂上でヤジュナの祭祀を行い、神々に世界の正義を守るための備えを求めた。祈りに答えてアグニクンダ(火の祭壇)から若者が現れた。これが最初のアグニヴァンシャ・ラージプートであるという[7]。
見どころ
アーブー山はラージャスターン州唯一の避暑地であり、標高1,220mの高さにある。ラージャスターン州および隣接するグジャラート州の熱を避けるために、アーブー山は何世紀にもわたって人気のある場所であった。アーブー山野生生物保護区は1960年に設立され、山の290km²の範囲を覆う。
アーブー山にはアーダール・デーヴィー石窟寺院(アルブダ・デーヴィーとも)、シュリー・ラグナート・ジー寺院、およびグル・シカル峰の頂上に建てられたダッタートレーヤの寺院など、いくつかのヒンドゥー教寺院がある。また、11世紀から13世紀にかけて白い大理石を彫って建てられた複合寺院であるディルワーラー寺院群(デルワーラー、デルワーダーとも)を含む多数のジャイナ教寺院がある。ディルワーラー寺院群でもっとも古いヴィマル・ヴァーサーヒー寺院は、1021年にヴィマル・シャーによって建てられ、最初のジャイナ教ティールタンカラに捧げられた。
15世紀にメーワール王国のクンバーによって建てられたアチャルガル城砦が近くにある。中心には旅行客に人気のあるナッキー湖がある。蛙岩は湖近くの丘の上にある。城砦の近くには有名なシヴァ寺院であるアチャレーシュワル・マハーデーヴ寺院がある。
アーブー山にはブラーマ・クマリスという、世界128か国に展開する教団を代表する精神的本部がある[8][9]。毎年約250万人がこの精神的運動の複雑に広がったキャンパスを訪れる[10]。
夏には何千人もの人々が訪れる。アーブー山へ行くためのもっとも近い町はアーブー・ロードで27kmの距離である。
アーブー山の日没の景色は旅行客に有名であり、映画『カヤーマット・セー・カヤーマット・タク』(破滅から破滅へ)で描写されている[要出典]。
- ^ “Census of India Search details”. censusindia.gov.in. 2015年5月10日閲覧。
- ^ Physiography of Rajasthan, Government of Rajasthan
- ^ Agarwal, Deepesh. “How to reach Mount Abu by Road, Air Or Rail”. www.mountabu.com. 2017年6月22日閲覧。
- ^ 渡辺研二『ジャイナ教』論創社、2005年、296頁。ISBN 4846003132。
- ^ Sudarśana Śarmā (2002). Tilakamañjarī of Dhanapāla: a critical and cultural study. Parimal Publications. p. 214
- ^ Ramesh Chandra Majumdar; Achut Dattatrya Pusalker; A. K. Majumdar; Dilip Kumar Ghose; Vishvanath Govind Dighe; Bharatiya Vidya Bhavan (1977). The History and Culture of the Indian People: The classical age. Bharatiya Vidya Bhavan. p. 153
- ^ Barua, Pradeep (2005). The State at War in South Asia. University of Nebraska Press. p. 24. ISBN 9780803213449
- ^ 中牧弘允 (2010). “グローバル宗教の経営とマーケティング:アジア系宗教を中心に”. 東アジア文化交渉研究別冊 (国立民族学博物館) 6: 63-75. NAID 110007645555.
- ^ “Brahma Kumaris”. 2013年11月20日閲覧。
- ^ “Brahma Kumaris, Spiritual Headquarters: Mount Abu”. 2014年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月20日閲覧。
- ^ “Station: Abu Climatological Table 1981–2010”. Climatological Normals 1981–2010. India Meteorological Department. pp. 1–2 (2015年1月). 2020年2月18日閲覧。
- ^ “Extremes of Temperature & Rainfall for Indian Stations (Up to 2012)”. India Meteorological Department. p. M173 (2016年12月). 2020年2月18日閲覧。
- ^ a b “Mount Abu City Population Census 2011 - Rajasthan”. www.census2011.co.in. 2017年6月22日閲覧。
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