アントニオ・カルダーラ アントニオ・カルダーラの概要

アントニオ・カルダーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 05:48 UTC 版)

Antonio Caldara

生涯

ヴェネツィアヴァイオリニストの家庭に生まれる(正確な日付は不詳)。聖マルコ大寺院の聖歌隊員となる傍ら、おそらくジョヴァンニ・レグレンツィのもとでいくつかの楽器を習得する。1699年マントヴァフェルディナンド・カルロの招聘を受け、マントヴァ公ゴンザーガ家の宮廷楽長となる。1707年マントヴァスペイン継承戦争の中オーストリアに併合され、ゴンザーガ家が没落したため、1708年にオーストリアのカルル大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)に仕える。1709年ローマに移り、ルスポリ大公(Ruspoli)の宮廷楽長に就任する。1713年、ドイツ皇帝となったカール6世に招かれ、ウィーンの宮廷楽師となる。1715年ウィーンの宮廷楽長マルカントニオ・ジアーニが没すると、カルダーラは自らを宮廷楽長または副楽長とするよう神聖ローマ皇帝カール6世に請願書を送る。これが認められて1716年ウィーンの宮廷副楽長に就任、以降没するまでその地位にあった。

作品

80曲余りのオペラを作曲し、その3分の2がウィーン宮廷のためだった。メタスタージオの台本のオペラや、オラトリオが重要視されている。当時のカトリック圏としてはやや長めの、器楽パートが華麗に活躍するミサ曲を遺しており、バッハの《ロ短調ミサ曲》への影響がしばしば言及されている。




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