アレクサンドル・ヴェデルニコフ (指揮者) アレクサンドル・ヴェデルニコフ (指揮者)の概要

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アレクサンドル・ヴェデルニコフ (指揮者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 07:39 UTC 版)

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ヴェデルニコフ
基本情報
出生名 Александр Александрович Ведерников
生誕 (1964-01-11) 1964年1月11日
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
死没 (2020-10-29) 2020年10月29日(56歳没)
ロシアモスクワ
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック
職業 指揮者
共同作業者 モスクワ市交響楽団
ボリショイ劇場
オーデンセ交響楽団
ミハイロフスキー劇場

父親はバス歌手ボリショイ劇場ソリストアレクサンドル・ヴェデルニコフ。母親はピアニストオルガニストモスクワ音楽院教授のナタリヤ・グレエワ(ナタリヤ・ヴェデルニコワ)。

概要

モスクワ音楽院でレオニード・ニコラーエフ英語版に学び1988年に卒業する。卒業後は、1988年から1991年までモスクワ・スタニスラフスキー=ネミローヴィチ-ダンチェンコ音楽劇場の指揮者陣に加わり、1988年から1995年まではモスクワ放送交響楽団の指揮者(当初はアシスタント、最終的に次席指揮者まで昇格)としても活動した。

1995年に新設された現在のモスクワ市交響楽団(ロシア・フィルハーモニー交響楽団、ロシア語: Симфонический оркестр Москвы«Русская филармония»)[3]の初代芸術監督兼首席指揮者に就任し、2004年までの10年間在任した。

2001年からは、かつて父親がホーム・グラウンドとしていたボリショイ劇場の音楽監督として活躍した。

2009年にマネージメントとの軋轢からボリショイ劇場の職を辞任した後は、デンマークオーデンセ交響楽団の首席指揮者に、2019年ミハイロフスキー劇場の音楽監督・首席指揮者に就任した。

2020年10月29日新型コロナウイルスによる合併症のため、モスクワで亡くなった[1][2]

イタリアスカラ座フェニーチェ劇場イギリスロイヤル・オペラ・ハウスなど外国の歌劇場からの招聘も数多くこなした。


  1. ^ a b Alexander Vedernikov - In memoriam”. IMG Artists. 2020年10月31日閲覧。
  2. ^ a b アレクサンドル・ヴェデルニコフ氏死去 ロシアの指揮者」『時事ドットコム』(コペンハーゲンAFP時事)、2020年10月31日。2020年10月31日閲覧。
  3. ^ 設立当初はボリス・ベレゾフスキーがオーナーである放送局TV-62002年閉局)所属であったが、後にモスクワ市へ所管が移った。なお、ナクソス・レーベルに録音しているドミトリー・ヤブロンスキーの指揮するロシア・フィルハーモニー管弦楽団とは別団体である。


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