アマビコ
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脚注
- 参考文献
- 長野栄俊「予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに」『若越郷土研究』第49巻第2号、福井県郷土誌懇談会、 1–30、 ISSN 2185-453X、 NAID 120005739812。
- 長野栄俊 著、小松和彦 編「予言獣アマビコ・再考」『妖怪文化研究の最前線』、〈妖怪文化叢書〉、せりか書房、131–162頁、2009年。ISBN 978-4-7967-0291-1 。
- ^ 「田んぼ」が例外 (長野, p. 7)。
- ^ 魚類・鳥類や老人の姿に似ると捉えられる例もある(以下詳述)[10]
- ^ 多くの例では、年次が表記されていても、それは史料成立年(摺られた・書写されたとき)であるかもわからず、当のアマビコ目撃年かは不詳である、しかし「海彦」に限っては干支が出現したのが「当辰年」と原文にあるので、日付の「天保十五年辰年」が出現年と確定できる[21]。この「海彦」の場合は書写の成立年ではありえないので(『国主記』筆写者であるならば、天保にまだ生まれていない)、大元の現本の成立年次である[22]。
- ^ 加えて、その近代摺物には「あま彦」という猿のような3本足の怪獣の絵があり、「これから六年間は豊作だが、病気で人間は六分が死ぬ、しかし我等の姿をかきしるす者は病気に遭わない」と告げたと言う内容の文面が印刷されていたとしていて、安政5年(1858年)に江戸の市中で路上販売されていた摺物をそのまま用いたものだったと報じられている。(長野によれば天保14-15年の例に近い[13])。
- ^ この例は「尼彦」と表記されるが、内容は同じで「御届明治一五年七月」と印刷される[24]。詞書は "肥後之国熊本之元領分真字郡と申所にて夜な〳〵光り物出猿のかたちにて人を呼び同家中柴田五郎左衛門と申もの見届け候処我は海中絵尼彦と申者当年より六ヶ年の間豊作候得共諸国病人多し人間六分通り死すされども我姿を書して張置は病気にあたらず此事諸国へ相触れ申べしと申置何ともなく亡せられけり"と読める。
- ^ 細かく言えば"「見る」「写す」「張り置く」「祭る」「他人に見せる、知らせる」の五つに分けることができる"[28]。
- ^ 長野の2005年論文では9例中7例。
- ^ 『東京日々新聞』。越後国の湯沢近辺。天彦入道の例は詳述に欠ける。
- ^ 熊本の家中武士「しばた」の例では柴田五郎左衛門[1][34]、柴田五郎右衛門[35][36]。明治9年(1876年)に『長野新聞』で報じられた尼彦入道の図(肥後国の海に出たと記されていたとされる)についての話では、芝田忠太郎[4]。名称の異なる同様の例・アリエの場合(柴田某[3]と記されている)でも共通している。
- ^ 「磯野」の誤記かもしれないと考察(長野 2005, p. 8)。
- ^ 長野論文も湯本氏によるアマビコ・アマビエ研究・業績に負うところが大きいとしているので[50]、権威と言えよう。
- ^ 「熊本県」に言及するため。
- ^ a b c d e f g 昔日叢書『長崎怪異書翰之冩』35からの引用:"肥後国熊本の御領分、眞字といふ所..同家中柴田五郎左衛門..見届けし.. 我れ.. アマビコといふ.. 天保十四年八月"(物集高見「予言獣アマビコ・再考」『広文庫』第1冊、広文庫刊行会、1151頁 。。
- ^ a b c d 湯本豪一 『地方発 明治妖怪新聞』柏書房、1999年、196–198頁。ISBN 4-7601-1785-7。
- ^ a b 湯本豪一 『地方発 明治妖怪新聞』国書刊行会、2009年、19–20頁。ISBN 978-4-336-05041-0。
- ^ a b c 『長野新聞』明治9年[1876年]6月21日号。=史料6 「尼彦(新聞)」 (長野 2005, p. 25)だが、原文に尼彦、尼彦入道(あまひこにゅうどう)の表記がありルビが降られている。長野 & 2005, pp. 5–6(考察)。湯本豪一 『地方発 明治妖怪新聞』柏書房、2001年、174頁。ISBN 4-7601-2089-0。
- ^ a b c d 長野 2005, p. 5および長野 2005, p. 22 表1。また、9点をアマビコの表記で大別した列挙が7頁にある。
- ^ a b 長野, p. 7.
- ^ 長野 2005, pp. 5–6で解説されるアマビエと海彦の例。長野 2005, p. 25に掲載の「あま彦」
- ^ 長野 2005, pp. 5, 6.
- ^ 長野 2005, pp. 6, 7.
- ^ 長野 2005, pp. 5, 6, 10.
- ^ a b c d 長野 2005, p. 13.
- ^ a b c d e f g h 長野 2005, p. 7.
- ^ a b c d e 長野 2009.
- ^ a b c d 長野 2005, p. 3.
- ^ 長野 2005, p. 12.
- ^ a b 長野 2005, p. 8.
- ^ 長野 2009, p. 155: "文章と図像とで構成される予言獣資料.. 転写者(かわら版の板行者も含む)の絵の技量"
- ^ 長野 2009, pp. 136–137.
- ^ こっちが元祖? 病よけ妖怪「アマビコ」 福井で江戸期の資料発見 『デジタル毎日』 毎日新聞社 2020年6月3日。 2020年6月3日閲覧。
- ^ a b 長野 2005, p. 5.
- ^ a b 長野 2005, p. 9.
- ^ 長野 2005, pp. 2–3.
- ^ a b 長野 2005.
- ^ a b c 常光徹「連載〈歴史の証人-写真による収蔵品紹介-〉風説と怪異・妖怪-流行病と予言獣」『歴史系総合誌「歴博」』第170号、187–192頁、2012a年1月30日 。 図4「猿のかたちの光物(熊本)、明治15年 本館蔵」、および本文参照。
- ^ 6年間が多いが、天日子尊(『東京日々新聞』)では7年[5]。
- ^ 長野 2005, p. 9;
- ^ 長野 2005, p. 9; 長野 2005, p. 154
- ^ 長野 2005, p. 10.
- ^ 湯本 1999, pp. 178-180頁.
- ^ 少なくとも5例。長野 2005の9例のうち4例だが[5]、長野が触れていない上掲の『広文庫』引用例もある[1]。
- ^ 長野 2009, pp. 138, 148–149.
- ^ 長野 2009, p. 148: "資料二・三には真寺郡という郡名が記載される。しかし、実際には肥後国に真寺郡という郡は存在しておらず、話に信憑性を持たせるためにそれらしい郡名を捏造したか、あるいは転写の際に誤記したか"
- ^ 長野 2005, p. 20.
- ^ 長野 2009, pp. 136, 142.
- ^ 『郵便報知新聞」明治15年[1882年]7月10日号=史料 3「あま彦」長野 2005, p. 24
- ^ 長野 2009, p. 138.
- ^ a b 『東京日日新聞」明治8年[1875年]8月14日号=史料 5「天日子尊」長野 2005, pp. 24–25; 湯本『#明治妖怪新聞|明治妖怪新聞』、1999年、178–180頁
- ^ 『東京曙新聞」明治14年[1881年]10月20日号=史料 7「天彦(新聞)」長野 2005, p. 25。解説 p. 8
- ^ 「尼彦入道(摺物)」、長野 2005, p. 25に文を掲載。
- ^ 長野 2005, pp. 5–6, 12–13等;新聞記事の再掲 pp. 24–25。
- ^ 長野 2005, p. 21.
- ^ a b 長野 2005, pp. 5–6.
- ^ 長野(2005年)は、アマビコ/アマビエ9例のうち、図像が視認できるのが5例とするが、直後の分類の説明ではアマビエも含めおり、アマビエも込みだと6例になる[41]。三本足は3例で「海彦」、「アマビエ」と「尼彦・尼彦入道(長野新聞)」(ヒレ状の三本)。四本足が2例で「天日子尊」と「尼彦(肉筆)」。九本足が「「尼彦入道(摺物)」の1点[42]。体毛や、顔や頭頂が有毛かについても解析する[42]。
- ^ 長野 2005, p. 6.
- ^ 原文の振り仮名は「あまひこ」であるが、これは「あまびこ」ともとらえることができるとする[14]。江戸時代の読物のカナ表記は濁点が省略される場合が多い。長野栄俊は文中では一貫して「アマビコ」の読みを取っている[12]。
- ^ 長野 2005, pp. 3–8、p.21の図2.
- ^ “アマビエに続け 疫病封じる「予言獣」SNSで話題 鳥や鬼…姿や形さまざま”. 毎日新聞. (2020年6月7日)(長野栄俊に取材している)
- ^ 「越後国浦辺」だが、長野 2005「浦辺」は"特定地名"でないとしており (p. 8)、「浦辺」を普通名詞に使っている(p.7)
- ^ 長野 2005, p. 1.
- ^ a b 長野 2005, p. 4.
- ^ 長野 2005, pp. 4–8, 24.
- ^ 長野 2005, p. 24.
- ^ 川崎市市民ミュージアム 『日本の幻獣 未確認生物出現録』図録 川崎市市民ミュージアム 2004年 46頁。「予言と除災の幻獣」のひとつとしてアマビコたちがまとめられている。
- ^ 湯本豪一 著、小松和彦 編「予言する幻獣—アマビコを中心に—」『日本妖怪学大全』、小学館、112頁、2003 。ISBN 4-09-626208-0 。。
- ^ 湯本 2003「予言する幻獣—アマビコを中心に—」、103–126頁。
- ^ 常光 2012b, p. 184.
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