プラーサート・ワット・プー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/26 08:19 UTC 版)
プラーサート・ワット・プー(英語:Vat Phou / Wat Phou、ラーオ語:ວັດພູ、プーは山の意)はラオス南部チャムパサック県プーカオ山の麓に位置する古代クメールのヒンドゥー教寺院遺跡群である[1]。学術的には複数の宗教的機能を持つ建造物群が一体となって存在していることからワット・プー複合体(ラーオ語:ກູ່ມຜາສາດຫີນວັດພູ 英語:Vat Phou Complex)と称される[2]。ここでは山腹の斜面に東西軸に1,400メートルにわたって配置された一連の建造物群を指す[3]。
2001年に、ユネスコ世界遺産「チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」(ラーオ語: ວັດພູພ້ອມພື້ນທີ່ບູຮານແຫ່ງພູມິທັດວັດທະນະທຳຈຳປາສັກ)に登録された[1]。
概要
ワット・プーは、標高1,416メートルのプーカオ山(古名:リンガパルヴァータ、Liṅgaparvata)を背景とした宗教施設群である[1]。その最大の特徴は、山頂にあるシヴァ神の象徴である男根状の巨大な自然石(リンガ)を焦点とし、そこから東側のメコン川へと伸びる全長1,400メートルの直線的な軸線上の配置にある。この配置は、自然の地形を最大限に活用してヒンドゥー教の宇宙観を地上に具現化したもので、東南アジアでも稀な例とされる[3]。
歴史
起源(5世紀 - 7世紀)
遺跡の歴史は紀元5世紀後半に遡り、デーヴァニーカ王(Mahārājādhirāja Śrīmāñ Śrī Devānīka)の碑文(ワット・ルアン・カオ石碑(目録番号:VLK I 736 石碑番号:K.365)がその最古の証拠である[4]。この時期は6世紀後半から9世紀初頭に栄えた初期クメール国家「チェンラ(真臘)」の揺籃の地クルクシェートラ (別名:シュレスタプラ(Shrestapura))であったと考えられている。
アンコール期(9世紀 - 13世紀)
ワットプーに現存する主要な石造建築の多くは、11世紀から12世紀にかけて、アンコールの支配者たちによって再建・拡張されたものである[3]。
クルクシェートラは、創始王朝がクメール全土に支配を広げるにつれて政治的首都としての役割を失った。彼らは政治的中心を移し、最終的にアンコールに首都を定めた(10世紀初頭)。それにもかかわらず、歴代のクメール支配者たちは自らの起源を忘れることはなく、最後の王(ジャヤーヴァルマン7世、12世紀末)に至るまで、ワット・プー周辺に宗教施設を寄進した[1]。
仏教化(13世紀 - 現在)
13世紀後半以降、クメール帝国の衰退とともにヒンドゥー教から上座部仏教へと転換された。現在も活発な信仰の対象であり、毎年2月(陰暦3月)の満月には、ラオス国内でタートルアン祭りに次いで規模が大きい「ワット・プー祭り」が開催される[1]。
建築と構成
遺跡は主に6つのテラス(段状の基壇)で構成され、下層から上層へと階段で結ばれている。
バライ(貯水池)
遺跡の東端の低層レベルに位置する巨大な貯水池で、現在は、寺院の軸上に直接位置する600m×200mの中バライのみが水をたたえている。おそらくスーリヤヴァルマン2世(1113-1150)によって建設された[1]。かつてはこの南北に貯水池があった。西側には、掘削ではなく土塁を築いて囲い込んだ、さらに2つの大きなバライがある[3]。
参道と石柱(ナン・リアン)
バライから第1テラスにかけて、儀礼用の道を飾る砂岩の柱が並ぶ参道が続く。
方形回廊(宮殿)
第1テラスの広場の南北に配置された2つの長方形の石造建築物。通称「北宮殿」および「南宮殿」、もしくは男性の館を意味する「ホーン・タオ(ラーオ語:ໂຮງທ້າວ)」、南側の建物を女性の館を意味する「ホーン・ナン(ラーオ語:ໂຮງນາງ)」と呼ぶ[5]。各建物は中央に広い中庭を持つ長方形の構造をしており、全体の寸法は約62メートル×42メートルに及ぶ[3]。中央参道に面した側には、精巧な彫刻が施されたポーチ(玄関)があり、ここから内部にアクセスする設計となっている。主に砂岩とラテライト(紅土)が使用されており、一部にレンガも見られる[1]。かつては木製の梁で支えられた瓦屋根で覆われていたが、現在は失われており、壁体のみが残存している状態である[3]。
装飾は、アンコール・ワット様式初期に近い、極めて質の高い彫刻で飾られている。建築様式(コー・ケー様式)の観点から判断すると、これらの方形建造物は紀元11世紀初頭のものと推定されている[3]。通風のための窓が設けられていた。
「北宮殿」東側偽扉には、牡牛ナンディンに乗ったシヴァ神と女神パールヴァティーの浮き彫りがある[6]。「南宮殿」入口の破風にはリンテルがあり、そのリンテルには 遊戯坐(Maharajleelasana) の姿勢で蓮の花を持つ人物が刻まれている。その人物は三角形の舌を突き出す (Kala) の上に立ち、口から花輪を吐き出し、その花輪を両手で持っている[5]。
本来の用途については確定していないが、以下のような説が挙げられている[5][7]。
- 王族の休憩所: 宗教儀式に参列する王や王族が着替えや休憩を行うための施設。
- 儀礼施設: 幸運の祈願や特定の宗教儀式を執り行うための場所。
- 宿泊施設: 祭礼の期間中に、遠方から集まった高位の僧侶を収容するための施設
ナンディン堂(Nandin Hall)
第1テラスの西端に位置する小さな建物で、アンコール時代の11世紀中頃に建設されたと推定されている[7]。本来の目的は不明であるが、名称はその近くで牡牛(ナンディン)の像が発見されたことに由来する[7]。保存状態はあまり良くなく、一部が崩壊・荒廃している。
ナンディン堂は、単なる宗教施設としての機能以上に、ワット・プー遺跡群の空間構成において重要な役割を果たしていたことが指摘されている。この建物は、アンコール(現在のカンボジア)からワット・プーへと続く「古代街道(王道)」の終点を非常に正確に示す位置に建てられている。
7段の擁壁と階段
第5テラスから最上段の第6テラスにには15メートルにおよぶラテライトブロックで作られた7段の擁壁がある。擁壁を貫く形で、中央の東西軸線上に砂岩の階段が設置されている。この階段は11段ずつの階段が7つのセクションに分かれており、各セクションの間には狭い踊り場(プラットフォーム)が設けられている[7]。遺跡全体の中でも特に自然環境による損傷が激しい箇所の一つである。
ドヴァーラパーラ(守門神)像
第5テラスから最上段の第6テラス(中央聖堂)へと続く通路の両脇には、かつて小堂が置かれ、その下に2体の大きなドヴァーラパーラ像が配置されていた。これらの像はバイヨン様式(12世紀末〜13世紀初頭)に属するとされ、ジャヤーヴァルマン7世がワット・プーに寄せていた関心を証明する遺物となっている[8]。 このうちの1体は、地元住民からワット・プーを建設したと信じられている神話上の王カンマターとして崇拝されている。この像は現在も「生きた遺産」として、線香や花といった供物が捧げられる信仰の対象となっている[6]。
中央聖堂(Central Sanctuary)
最上段の第6テラス中央に位置するシヴァ神に捧げられた聖域で、遺跡の中枢を成す建造物である。この遺跡で最も古い構造物であり、現在の本殿は紀元7世紀の初期の祠堂に取って代わったもの、おそらく紀元9世紀から10世紀のものであることが示されている[7]。全体の寸法は、幅13.26メートル、長さ33.00メートルに及ぶ。一部は、基壇と壁を除いてすでに崩壊している。平面図は十字型で、砂岩、ラテライト、煉瓦で造られている[1]。
前室(マンダパ): 内陣に増設する形で建設された砂岩造りの広間である。彫刻の質は非常に高く、通常11世紀のものとされる「バプーオン様式」である[7]。東側には3つの入り口があり、南から北へ向かって、そのペディメントには「ナーガのカリヤを倒すクリシュナ」「アイラーヴァタに乗るインドラ」「ガルーダに乗るヴィシュヌ」。東の壁にはドヴァーラパーラ(守門神)とデヴァター(女神)が描かれている[9]。現在は現在4体の仏像が安置されている[1]。
内陣(セラ): 聖堂の背後に位置する長方形の構造物で、主に煉瓦で造られている。前室よりも古い時代のものと考えられている。かつてはここに中央リンガが安置されていた[1]。至聖所の南西約60メートルの崖から湧き出る泉の水は、石の水道を通って後室に引かれ、常にリンガを清めていた[1]。
聖なる水の供給システム:聖堂の南西約60メートルにある張り出した崖の麓に、岩の亀裂から絶えず滴り落ちる「聖なる泉」がある。そこから砂岩で作られた蓋付きの導水管を用い、水を直接聖堂の内部へと導いていた。聖堂の西壁に設けられた穴から入り、内陣中央のリンガを常に濡らして聖別していた。これは神の霊薬「ソーマ」を象徴する行為であった。水は、北壁の「ソーマスートラ(聖水の排水溝)」を通じて外部へ排出された[6]。
建立当時はヒンドゥー教の最高神シヴァ(バドレーシュヴァラ神)に捧げられていたが、13世紀以降のクメール帝国の衰退とともに上座部仏教の寺院へと転換された[7]。
今日でも信仰の対象となっている。
経蔵
中央聖堂(本殿)の南側に隣接する幅約6メートル、長さ約8メートルの石造建造物である[5]
トリムルティ(三神一体)のレリーフ
中央聖堂の北側に位置する岩壁には、ヒンドゥー教の三神一体を表現したトリムルティ(Trimurti)のレリーフが刻まれている。中央に破壊と変容の神シヴァ、向かって左に創造の神ブラフマー、右に維持の神ヴィシュヌが配置されている[6]。
象やワニの形をした巨石
中央聖堂の北側、自然の岩棚に沿ってさらに進んだ場所には、動物の姿をかたどった巨大な彫刻岩(巨石)が点在している[1]。「ワニの巨石」は、その人身御供の儀式に使われた犠牲台であると推測されており、ワニの彫刻の寸法が人間の大きさと合致することが、この説に信憑性を与えている[1]。
ワットプー博物館
ワットプー博物館(ラーオ語:ຫໍພິພິທະພັນ ວັດພູ、英語:Vat Phou Museum)はワットプーの入口に位置し、同遺跡および周辺の遺跡から出土した貴重な遺物を収蔵・展示している考古学博物館である。プレ・アンコール期(5世紀〜8世紀)からアンコール期(9世紀〜13世紀)、さらには後代のラオス仏教美術(17世紀〜20世紀)に至るまで、約1500点に及ぶ膨大なコレクションを収蔵している。そのうち約225点から300点が常設展示されており、ラオス国内でも最高水準の考古学コレクションを誇る[8]。
2003年、日本の資金を用いて、世界遺産事務所(WHSO/DPV)を収容するためのエントランス棟として建設され、翌2004年に博物館として一般公開された。 2009年以降、フランス極東学院(EFEO)などの国際的な協力により、コンピュータデータベースを用いた体系的な目録作成、収蔵庫の再編、現地スタッフの研修が進められている[8]。
碑文
デヴァニーカ王の石碑(K. 365): 5世紀後半のサンスクリット語碑文。古代都市「クルクシェートラ」の創設を記録する最重要史料の一つである。
シヴァ教とヴィシュヌ教
シヴァ神の象徴である様々な形態のリンガや、メコン川床のカン・マーク・フックから回収された彫刻、さらに11世紀から13世紀のヴィシュヌ神の青銅像などが展示されている。
古代仏教
7世紀から8世紀に遡るドヴァーラヴァティー様式の影響を受けた仏頭や、ノン・ヴィエン遺跡から出土した円形構造物の装飾パネルなどが含まれる。
建築部材や生活用具
砂岩製のまぐさ石(リンテル)、装飾柱(コロネット)、瓦などの建築部材のほか、石臼(ペサニ)などの古代の生活用具も紹介されている。
ワットプーの再発見と研究
ワット・プーの「再発見」と研究の歴史は、19世紀中盤のフランス人探検家による報告に始まり、碑文解読や航空写真解析を経て、クメール文明の揺籃の地としての重要性が解明されるまでの多段階のプロセスをたどってきた。
西洋人による再発見(1866年 - 1868年)
ワット・プーが西洋の知識層に広く知られるようになったきっかけは、1866年から1868年にかけて行われたフランスのメコン探検隊(ドゥダール・ド・ラグレ(フランス語:Ernest Doudart de Lagrée)探検隊)の訪問である。その名は知識層の間で急速に広まることとなった[10]。
エルネスト・ドゥダール・ド・ラグレ中佐率いる6人のフランス人一行は、1866年9月から12月までチャンパーサックに滞在し、植生に覆われたワット・プーを調査した。隊員の一人フランシス・ガルニエは、1871年にル・トゥール・デュ・モンド誌で遺跡を紹介し、1873年には詳細な遺跡地図を公刊した。また、ルイ・ド・カルネ(フランス語:Louis de Carné)は日記に遺跡の荒廃に対する深い哀愁「「かつての王たちの子孫が今なお暮らすこの首都に、自分が身を置いているのだと思うと、この荒れ果てた寺院を訪れながら、私は悲しみに圧倒されるのを感じる」と記した[11]。
ルイ・ドゥラボルテ(フランス語:Louis Marie Joseph Delaporte)は1870年に建築の威厳と彫刻の美しさを伝えるスケッチを発表した[10]。
ジュール・アルマンの貢献
探検隊の通過からわずか10年後、ジュール・アルマン(フランス語:Jules-Armand)がメコン川下流域での単独旅行に着手した。1875年から1877年にかけて現地を訪れたアルマンは、バン・タット碑文(K. 366、直後にシャム人によって持ち去られた)を複写した[5]。これをもとに、1882年にヘンドリック・ケルン(Johan Hendrik Caspar Kern)が最初の翻訳を発表した[5]。これはアンコール文明の歴史に光を当てた最初期の古代文献資料の一つとなった[10]。
エティエンヌ・エモニエの体系的調査
1883年、エティエンヌ・エモニエ(フランス語:Étienne François Aymonier)は詳細な現地調査を行い、ホアイ・トモ(K.362)やプー・ロコン(K.363)で新たな碑文を発見した[10]。これらは後に、6世紀末のマヘンドラヴァルマン王や9世紀のヤショーヴァルマン1世の事績を裏付ける貴重な史料となった[5]
科学的・建築学的調査の確立(1900年 - 1930年代)
1900年のフランス極東学院(EFEO)設立により、ワット・プーは学術的な定点観測の対象となった[10]。
アンリ・パルマンティエによる集成'
1914年、アンリ・パルマンティエ(フランス語:Henri Parmentier)は図面や写真を含む最初の本格的な建築学的記述を発表した[12]。彼は1939年の改訂版において、聖なる泉から主室(セラ)のリンガへ水を引く独自の導水システムなど、遺跡の例外的な特質を完全に明らかにした[10]。
ジョルジュ・セデスの研究
1918年にジョルジュ・セデス(フランス語:Georges Cœdès)は、ワット・プー地域がクメール最初の王朝(真臘)の揺籃の地「カンプ(Kambu)の地」であるという仮説を立てた[5]。 1956年、セデスは5世紀後半の「デーヴァニーカ王の石碑(K.365)」を解読し、この地が古くからシヴァ信仰の聖地(リンガパルヴァータ)であったことを証明した[10]。同時期、シャルル・アルシャンボー(フランス語:Charles Archambault)らが提供した航空写真により、メコン川沿いに二重の城壁を持つ広大な「古代都市(クルクシェートラ)」の遺構が発見され、ワット・プーが大規模な都市文明の中心であったことが物理的に確認された[10]。
現代の再発掘と世界遺産(1990年代以降)
長年の政治的混乱による中断を経て、1990年代に国際的な協力による再調査が始まった。1991年より「ラオス考古学研究プロジェクト(PRAL)」が開始され、古代都市内の二重仏塔の発見や、聖なる泉の構造の再確認が行われた。これらの積年の研究成果と保存の必要性が認められ、2001年にユネスコの世界遺産に登録された[12]。
ワットプー祭り
ワット・プー祭り(ラオス語: ບຸນວັດພູ、英語: Wat Phou Festival)は、ワット・プーを舞台に開催される、ヒンドゥー教の伝統と仏教の儀礼、そして地域固有のアニミズム信仰が融合した同国最大級の宗教祭典である[6]。毎年、陰暦3月の満月の日(通常太陽暦の2月または3月)に合わせて3日から5日間にわたり執り行われ、ラオス国内のみならず、隣接するタイ、カンボジア、ベトナム、さらには遠方から10万人を超える巡礼者が訪れる。ビエンチャンのタート・ルアン祭りに次いで、ラオスで2番目に重要な宗教行事と見なされている[6]。
遺跡の起源は5世紀に遡り、当初はヒンドゥー教のシヴァ神を祀る「シヴァラートリ(シヴァの夜)」が祝われていたと考えられている。13世紀に寺院が仏教に転換された後、祭りは仏陀の生涯を称えるマカブーチャ(万仏節)へと発展した[6]。
托鉢
祭りの最終日(満月)の早朝、何千人もの参拝者が並び、数百人の僧侶に供物を捧げる。
ろうそく行列
最終日の夜間、手に蝋燭を持った参拝者の列が、麓の広場から最上段の本殿へと向かう幻想的な光景が繰り広げられる[6]。
伝統行事と娯楽
昼間には象のパレード、ボートレース、伝統舞踊、歴史劇、スポーツ大会が行われ、夜にはモーラム(ラオス歌謡)などの音楽イベントが開催される[13]。
保存・修復
法的保護と管理体制
評価機関資料によれば、保護区は主記念物のみならず広域の保護ゾーンを含む枠組みとして設定され、1988年の地方規程、1997年の国家的枠組み(大統領令)などが言及されている。さらに、複数省庁にまたがる所掌と調整体制、1998年に公式採択された管理計画(Champasak Heritage Management Plan)が、開発規制・考古学調査・保全・景観管理等の規程を含むものとして説明される。また、日本の拠出によるUNESCO信託基金事業(1996–1997年)では、ゾーニングおよび環境管理計画の策定、管理体制の整備、研修、緊急的保全等が実施された旨が報告されている。[14]
近年の保全課題
世界遺産の保全状況報告では、道路計画・インフラ整備、管理調整機構、来訪者施設、専門人材不足などが継続的課題として整理され、2015年の合同ミッションが道路計画の影響評価、管理計画・マスタープランの進捗、規制運用等を点検したことが示されている。[15]
アクセス
パクセーからは車、公共バス、公共または民間のツアーを利用して到達できる。
場所:北緯14度50分54秒 東経105度49分00秒 / 北緯14.848365度 東経105.8165547度座標: 北緯14度50分54秒 東経105度49分00秒 / 北緯14.848365度 東経105.8165547度
入場料:55,000キープ(2025年12月時点)
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m Dokras, Dr Uday (2022-01-01). “Aestheitics of Shrestapura,Laos”. Indo Noirdic Author's Collective.
- ^ 『Layout of Vat Phou Complex (説明パネル,2025-12-05確認)』Lao-India Cooperation Project。
- ^ a b c d e f g 『[https://whc.unesco.org/uploads/nominations/481.pdf Nomination of VAT PHOU AND ASSOCIATED ANCIENT SETTLEMENTS WITHIN THE CHAMPASAK CULTURAL LANDSCAPE for inclusion on the UNESCO World Heritage List]』GOL、2000年。
- ^ Michel Lorrillard (2010). “Vat Phu dans les études sur l'espace khmer ancien”. Bulletin de l'École française d'Extrême-Orient (l'École française d'Extrême-Orient) (97-98): pp. 187-204.
- ^ a b c d e f g h Hawa Wongpongkhama (2020). “The Reconstruction of Architecture in Vat Phou, Champasak District, Lao PDR”. International Journal of Innovation, Creativity and Change 14 (11).
- ^ a b c d e f g h 『Exploring the World Heritage sites of Cambodia, Laos and Viet Nam』UNESCO、2015年。
- ^ a b c d e f g 『[https://whc.unesco.org/uploads/nominations/481.pdf Nomination of VAT PHOU AND ASSOCIATED ANCIENT SETTLEMENTS WITHIN THE CHAMPASAK CULTURAL LANDSCAPE for inclusion on the UNESCO World Heritage List]』GOL、2000年。
- ^ a b c Christine Hawixbrock (2013). “The Vat Phou museum and the archaeological collections of Champasak”. BEFEO 97-98: p. 271-314..
- ^ Dokras, Dr Uday (2022-01-01). “Aestheitics of Shrestapura,Laos”. Indo Noirdic Author's Collective.
- ^ a b c d e f g h Michel Lorrillard『Autour de Vat Phu : De l'exploration à la recherche (1866-1957)』EFEO、2012年。
- ^ 『LES ROIS DE CTIAMPASSAK』Inspection générale du royaume du Laos、1972年。
- ^ a b Pierre Pichard (2013). “Preservation of Vat Phou monuments: results and perspectives”. BEFEO 97-98: pp.315-330.
- ^ “Wat Phou Festival 2025 Kicks Off with Spectacular Celebrations” (英語). kpl.gov.la. 2026年1月1日閲覧。
- ^ “Wat Phu Project, in the Lao People's Democratic Republic”. Permanent Delegation of Japan to UNESCO. Permanent Delegation of Japan to UNESCO. 2026年2月25日閲覧。
- ^ State of conservation of properties inscribed on the World Heritage List (WHC-15/39.COM/7B.Add) (Report). UNESCO World Heritage Centre. 2015. 2026年2月25日閲覧.
関連項目
固有名詞の分類
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