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デビッド・ウィートン

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/25 23:12 UTC 版)

デビッド・ウィートン
David Wheaton
デビッド・ウィートン
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・ミネソタ州ミネアポリス
生年月日 (1969-06-02) 1969年6月2日(48歳)
身長 193cm
体重 84kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1988年
引退年 2001年
ツアー通算 6勝
シングルス 3勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 389勝313敗
シングルス 232勝191敗
ダブルス 157勝122敗
生涯獲得賞金 $5,238,401
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1990)
全仏 3回戦(1995)
全英 ベスト4(1991)
全米 ベスト8(1990)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1991)
全仏 3回戦(1996)
全英 2回戦(1990・93)
全米 準優勝(1990)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 12位(1991年7月22日)
ダブルス 24位(1991年6月24日)

デビッド・ウィートンDavid Wheaton, 1969年6月2日 - )は、アメリカミネソタ州ミネアポリス出身の元男子プロテニス選手。1990年全米オープン1991年全豪オープンで、4大大会の男子ダブルスに2大会連続準優勝した選手である。シングルスでも1991年ウィンブルドンでベスト4進出があった。ATPツアーでシングルス3勝、ダブルス3勝を挙げたが、ダブルス準優勝が2度のグランドスラム大会を含めて12度あった。身長193cm、体重84kgの長身選手。

来歴

ウィートンはジュニア時代、1987年全米オープンジュニア男子シングルス部門でアンドレイ・チェルカソフソ連)を破って優勝したことがある。スタンフォード大学の学生テニス選手としてプレーした後、1988年に19歳でプロ転向。2年後の1990年、ウィートンは全豪オープン全米オープンの2大会でベスト8に進出する。全豪オープンの準々決勝では、ウィートンはステファン・エドベリに 5-7, 6-7, 6-3, 2-6 で敗れた。全仏オープンは1回戦で敗退したが、ウィンブルドンブラッド・ギルバートとの4回戦に進み、全米オープンで男子シングルス・ベスト8、男子ダブルス準優勝を記録する。シングルス準々決勝でジョン・マッケンローに敗れたウィートンは、男子ダブルスでポール・アナコーンとペアを組み、決勝で南アフリカペアのピーター・アルドリッチ&ダニー・ヴィッサー組に 2-6, 6-7, 2-6 のストレートで敗れて準優勝になった。ウィートンとアナコーンは、この大会のシングルス3回戦で直接対決をしていた。

1991年全豪オープンで、ウィートンは男子シングルス1回戦でブラッド・ギルバートに当たって敗退したが、男子ダブルスでパトリック・マッケンロー(ジョンの弟)とペアを組んで決勝に進む。ウィートンとP・マッケンローは、3回戦でアンダース・ヤリードスウェーデン)&ジョン・フィッツジェラルドオーストラリア)、準決勝でマーク・ウッドフォードトッド・ウッドブリッジ(ともにオーストラリア)組を破って勝ち進んだが、決勝で同じアメリカのスコット・デービス&デビッド・ペイト組に 7-6, 6-7, 3-6, 5-7 で敗れ、ウィートンは2大会連続でダブルス準優勝に終わった。この年のウィンブルドンで、デビッド・ウィートンはシングルスの自己最高成績を出し、ボリス・ベッカーとの準決勝に進出した。先立つ準々決勝で、ウィートンはアンドレ・アガシと顔を合わせる。第5シードのアガシは、ウィンブルドン選手権の主催者「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」が規定した「ウェアは白基調であること」のルールに反発していたが、1987年以来4年ぶりのウィンブルドン出場に踏み切った。2人のウェアは、アガシが全身すべてを(模様のない)真っ白の服でまとめたのに対し、ウィートンは頭髪のバンダナに米国国旗のデザインがあった。試合はウィートンが 6-2, 0-6, 3-6, 7-6, 6-2 でアガシに勝ったが、準決勝のベッカー戦では 4-6, 6-7, 5-7 のストレートで敗れた。1991年は年末の高額賞金大会「グランドスラム・カップ」で優勝がある。

しかし、ウィートンの好成績はあまり長く続かず、1992年以後は4大大会で4回戦以上に勝ち残れなくなった。1994年7月のニューポート大会が、ウィートンの最後のシングルス優勝になる。1998年全米オープンを最後に、彼は4大大会にも出場できなくなり、最後の数年間は男子ツアー下部組織の大会を回った。2001年に32歳で現役を引退した後は、男子テニスのシニア・ツアーを転戦する傍ら、ラジオのトークショーのホストを務めたり、著述や講演活動にも携わっている。

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