VizieR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 20:47 UTC 版)
VizieR(ヴィズィアー)は、 ストラスブール天文データセンター (仏: Centre de données astronomiques de Strasbourg, CDS) が提供する天体カタログの閲覧サービス。2022年1月時点で20000件以上のカタログが収蔵されている[1]。
沿革
このサービスの前身は、1993年に欧州宇宙機関 (ESA) が設立したESISカタログブラウザ (European Space Information System Catalogue Browser) である[2][3]。当初から宇宙科学界への貢献を目的としていたESISプロジェクトは、データの形式も種類も全く異なる各種天体カタログや観測データに対して、同じようにアクセスできるネットワークデータベースとして、WWWに先行して開発された。のちにESIS Catalogue Browserは、長年にわたって天文データを収集・配布してきたCDSに移設されることとなった。
1996年のサービス開始以来、VizieRは天文学の学術誌に定期的に掲載されるカタログデータに世界中の研究者たちがアクセスするための基準点となってきた。1997年、CDSは検索能力とデータ量の点でより良いサービスを提供するために、新たなVizieRのサービスを改修した[4]。2021年2月現在、VizieRには2万件以上のカタログデータが収録されており、バーチャル天文台の主要なデータソースとなっている。
利用法
CDSのウェブサイトにあるVizieRのホームページから、カタログの名称や制作者、天体の天球上の位置などから検索することができる。また、同じくCDSが提供する天体検索サービスSIMBADでは、検索対象とした天体のデータが掲載されたカタログへのリンクが自動生成されるため、そのリンクからVizieRにアクセスすることも可能である。
出典
- ^ “https://vizier.cds.unistra.fr/viz-bin/VizieR”. CDS. 2022年2月1日閲覧。
- ^ Ochsenbein, F. (1996). “VizieR, the new catalogue interface at CDS”. Bulletin d'Information du Centre de Donnees Stellaires 48: 47. Bibcode: 1996BICDS..48...47O.
- ^ Ochsenbein, F.; Bauer, P.; Marcout, J. (2000). “The VizieR database of astronomical catalogues”. Astronomy and Astrophysics Supplement Series 143 (1): 23-32. arXiv:astro-ph/0002122. Bibcode: 2000A&AS..143...23O. doi:10.1051/aas:2000169. ISSN 0365-0138.
- ^ “Transfer of ESIS to Scientific Institutes” (1996年5月). 2022年2月1日閲覧。
外部リンク
ワズィール
(Vizier から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ワズィール(アラビア語: وزير Wazīr)は、イスラーム王朝における「宰相」「大臣」などを意味するアラビア語。行政長官として書記官僚(カーティブ)集団を統率した。
近世ペルシア語ではワジーレ(vazīr)、トルコ語ではヴェジール(vezīr)であらわす。ヨーロッパ地域ではトルコ語が変化してヴェズィール(Vizier)と称された。アラビア語の動詞ワザラ(وزر wazara、「重荷を負う」の意)に語源をもとめ、「重責を負うもの」という原義をもつものと解釈する説もあるが、中世ペルシア語のウィチル(vičir)(判決・判官)に語源を求める説もある。
概要
ウマイヤ朝時代以前には存在せず、アッバース朝時代に入ってから任命されるようになった。11世紀前期のイスラーム法学者アル=マーワルディーは、ワズィールには無制限の権限を持つものと権限に制限を受けるものがあると指摘している。後者の形式がワズィールの初期の形であり、当初は単なるカリフの私的秘書官あるいは相談役・補佐役に過ぎなかったが、アッバース朝の官僚システムが肥大・複雑化した9世紀頃から、文官を指揮する責任者としての権限を拡大し、カリフの名において官吏を任免して諸官庁の監督し、ハラージュ地および私領地からの徴税、最高裁判所の判事などの業務を担当するようになり、前者の性格を持つウィザーラ・アッ=タフィーズ(Wizāra al-Tafīz)(大執政)と呼ばれるようになった。これはフランク王国における宮宰に相当するものであった。ただし、後者の系統を引き、皇子や将軍などに仕える書記官僚の筆頭としてのワズィールも依然として存在した。ワズィールの職務は行政全般に関する高度な知識を必要とするため、特定の家系が同職を排他的に独占しようとする傾向も見られたが、政治的な争いに巻き込まれることも多く、長期政権を維持した例は少ない。これはワズィールが国制上地位ではなく、カリフの個人的な信任を背景としていることに大きな要因があり、カリフの信頼を失えばたちまち失脚した。これは同様にカリフを補佐したハージブ(侍従)やライース・アル=ジャイシュ(大将軍)などとも共通している。更に10世紀中期のカリフ・アッ=ラーディーの時代にアミール・アル・ウマラー(アラビア語: أمير الأمراء Amīr al-Umarāʾ)(大執政)が台頭してワズィールの権限を奪った。更に各地に軍事政権が樹立されるようになると、おのおのの文官の統率者・執政官をワズィールと称した(ただし、ファーティマ朝後期のように軍人のワズィールも存在した事例がある)。その後、セルジューク朝の支援を受けたアッバース朝においてワズィールが実権を回復させるものの、カリフの没落とともにその地位の実質も喪失した。その後、イスラーム世界を支配したオスマン朝でも14世紀前期以後にワズィールが設置されたが、最大定員は7名までとされて、筆頭である大宰相をウル・ヴェジール(Ulu Wezīr)、その他の執政をクッベ・ヴェジール(Qubbe Wezīr)と呼んで区別した。
参考文献
- 佐藤圭四郎「ワジール」『アジア歴史事典 9』 平凡社、1984年
- 高野太輔「ワズィール」『歴史学事典 12王と国家』 弘文堂、2005年 ISBN 978-4-335-21043-3
- アル=マーワルディー『統治の諸規則』 湯川武訳、慶應義塾大学出版会、2006年。
関連項目
- Vizierのページへのリンク