サールヴァ・ナラシンハ・デーヴァ・ラーヤとは? わかりやすく解説

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サールヴァ・ナラシンハ・デーヴァ・ラーヤ

(Saluva Narasimha Deva Raya から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 03:10 UTC 版)

サールヴァ・ナラシンハ・デーヴァ・ラーヤ
సాళువ నరసింహదేవ రాయలు
ヴィジャヤナガル
在位 1486年 - 1491年

死去 1491年
子女 ティンマ・ブーパーラ
インマディ・ナラシンハ・ラーヤ
王朝 サールヴァ朝
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サールヴァ・ナラシンハ・デーヴァ・ラーヤテルグ語:సాళువ నరసింహదేవ రాయలు, タミル語:சாளுவ நரசிம்ம தேவ ராயன், Saluva Narasimha Deva Raya, 生年不詳 - 1491年)は、南インドヴィジャヤナガル王国、サールヴァ朝の君主(在位:1486年 - 1491年)。第2王朝サールヴァ朝の創始者でもある。サールヴァ・ナラシンハ(Saluva Narasimha)、ナラシンハ1世(Narasimha I)とも呼ばれる。

生涯

1452年、ヴィジャヤナガル王デーヴァ・ラーヤ3世からチャンドラギリの長官に任命され、「マハーマンダレーシュヴァラ(Mahamandaleshvara, 広域の支配者)」の称号を賜った。

デーヴァ・ラーヤ3世の治世、バフマニー朝ガジャパティ朝が領土に攻め入り、1464年にはガジャパティ朝の軍がカーヴェーリ川を越えて、ティルチラーパッリまで侵入した。だが、サールヴァ・ナラシンハはヴィルーパークシャ2世の治世において、トゥルヴァ・イーシュヴァラ・ナーヤカトゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの父子の協力を得てバフマニー朝やガジャパティ朝に反撃を試み、ガジャパティ朝からはウダヤギリを奪回して、それらの撃退に成功しその名を轟かせるところとなった。

1485年、ヴィジャヤナガル王ヴィルーパークシャ2世は息子プラウダ・ラーヤに殺害され、そののち騒動が続くこととなった。サールヴァ・ナラシンハはこれを見て、自身の得た名声から王位を簒奪することにし、トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカを首都ヴィジャヤナガルに向かわせた。これにより、プラウダ・ラーヤはヴィジャヤナガルから逃亡した。

1486年、サールヴァ・ナラシンハは王に推挙され、サンガマ朝に変わる形でサールヴァ朝を創始した。だが、彼が即位したのちも、王国の各地で反乱が勃発し、情勢は安定せず、ガジャパティ朝との戦いは続いた。

1489年、ガジャパティ朝がウダヤギリを奪回する事態となり、サールヴァ・ナラシンハはその奪回に向かったが、彼自身が捕虜となってしまう。結局、彼はこの戦いに勝利したが、ウダヤギリはガジャパティ朝に奪われたままとなった。

1491年、サールヴァ・ナラシンハは死亡し、幼い息子ティンマ・ブーパーラが王位を継承し、トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカがその摂政となった。

参考文献

  • 辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。 
  • Dr. Suryanath U. Kamat, Concise History of Karnataka, 2001, MCC, Bangalore (Reprinted 2002)
  • Prof K.A. Nilakanta Sastry, History of South India, From Prehistoric times to fall of Vijayanagar, 1955, OUP, New Delhi (Reprinted 2002)
  • Narasimhacharya, R (1988) [1988]. History of Kannada Literature. New Delhi, Madras: Asian Educational Services. ISBN 81-206-0303-6 

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