デーヴァ・ラーヤ1世とは? わかりやすく解説

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デーヴァ・ラーヤ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 18:54 UTC 版)

デーヴァ・ラーヤ1世
ヴィジャヤナガル
デーヴァ・ラーヤ1世の治世におけるカンナダ語の碑文(マッリカールジュナ寺院)
在位 1406年 - 1422年

死去 1422年
子女 ラーマチャンドラ・ラーヤ
ブッカ3世
娘(フィールーズ・シャー・バフマニーの妃)
王朝 サンガマ朝
父親 ハリハラ2世
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マッリカールジュナ寺院
デーヴァ・ラーヤ1世の治世におけるカンナダ語の碑文(ハザーラ・ラーマ寺院)

デーヴァ・ラーヤ1世(Deva Raya I, 生年不詳 - 1422年)は、南インドヴィジャヤナガル王国、サンガマ朝の君主(在位:1406年 - 1422年)。

生涯

1406年、デーヴァ・ラーヤ1世は兄ブッカ2世を追い落としてその王座を確保し、父王ハリハラ2世の死後に続いた王位継承争いは終わりを告げた。

しかし、この王位継承の争いの間にデカンバフマニー朝が強力となり、デーヴァ・ラーヤ1世の治世はその戦いに追われた。

1414年、デーヴァ・ラーヤ1世はフィールーズ・シャー・バフマニーとの間で行われたトゥンガバトラー流域をめぐる抗争に敗れ、バフマニー朝に首都ヴィジャヤナガルまで進出された。彼は講和を結び、多額の賠償金と真珠や象を支払わなければならず、そして自分の娘をフィールーズ・シャー・バフマニーと結婚させることにし、結婚式には自ら首都ヴィジャヤナガルから出迎えた。

文化面では、父王ハリハラ2世が寺院の保護者であったように、デーヴァ・ラーヤ1世も同様で、彼の時代にはマッリカールジュナ寺院が建設されている。

1422年、デーヴァ・ラーヤ1世は死亡し、息子のラーマチャンドラ・ラーヤが王位を継承したがすぐに死亡し、別の息子ブッカ3世と孫のデーヴァ・ラーヤ2世の共同統治となった。

参考文献

  • 辛島昇 『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。 
  • 辛島昇 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年。 

関連文献

  • Dr. Suryanath U. Kamat, Concise history of Karnataka, MCC, Bangalore, 2001 (Reprinted 2002)

関連項目




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