S.F.3.Dからマシーネンクリーガーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:35 UTC 版)
「マシーネンクリーガー」の記事における「S.F.3.Dからマシーネンクリーガーへ」の解説
1984年の秋にモデルグラフィックス誌が創刊されると、横山も新雑誌で『マシーネンクリーガー ブレッヒマン』という新連載を開始した。これはS.F.3.Dと非常に良く似た企画の人間が着る装甲服を主体とした架空戦記のフォトストーリーであった。モデルグラフィックス誌は前述の市村が企画した模型雑誌であり、市村はS.F.3.Dの原作者でもあったが、著作権者に名を連ねるホビージャパン誌が「S.F.3.D ORIGINAL」の版権を持っていたために企画まるごとの移行は出来なかった。1985年にホビージャパン誌の連載は終了したが、時期を同じくして日東科学が自主廃業を行ない、プラモデルも市場から姿を消した。ほぼ同じ時期にブレッヒマンの連載も終了している。
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