リコ・コンスタンティノとは? わかりやすく解説

リコ・コンスタンティノ

(Rico Constantino から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/12 04:36 UTC 版)

リコ・コンスタンティノ
プロフィール
リングネーム リコ
リコ・コンスタンティノ
ザ・コブラ
本名 アメリコ・セバスティアノ・コンスタンティノ
ニックネーム オカマスタイリスト
身長 185cm
体重 108kg
誕生日 (1961-10-01) 1961年10月1日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国
ネバダ州ラスベガス
スポーツ歴 スタントマン
トレーナー ジェシー・ヘルナンデス
OVW
デビュー 2000年
引退 2012年
テンプレートを表示

リコ・コンスタンティノAmerico Sebastiano Costantino1961年10月1日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーネバダ州ラスベガス出身。そのレスラーとしてのキャリアにおいて、リコRico)のリングネームで知られた。

来歴

プロレスラーになる前はSWATに属し、ボディーガードバウンティハンターの職にも就いていた。その後スタントマンに転身して『バットマン』に関わったり、テーマパークのアトラクションで働いていた。また、アメリカのTV番組 "American Gladiators" にも登場し、1990年-1991年シーズンの王者となっている。

1998年、南カリフォルニア地区のインディー団体EWFでプロレスラーとしてデビュー。そこでWWF(後のWWE)の首脳陣の目に留まり、WWEと契約を果たす。

WWEと契約後は、その下部組織であるOVWにまず所属した。しかしながら当時38歳という年齢がネックとなり本人自身続けるかどうか悩んだが、ヨコズナジム・コルネットの助言や手助けがあり彼はトライアウトに合格した。WWE昇格後は、オカマのスタイリストというギミックビリー&チャックビリー・ガン&チャック・パルンボ)やスリー・ミニッツ・ウォーニングジャマール&ロージー)のマネージャー役を務めた。彼は自分のキャラクターの参考にゲイギミックの先駆者であるエイドリアン・ストリートに倣い、実際に対談も果たした。その後はミス・ジャッキーチャーリー・ハースとのタッグチームで活動し、タッグ王座も獲得したが、2004年11月7日にWWEを解雇された。

WWE解雇後は全日本プロレスに登場。RO&Dに所属し、ブキャナンと組んでアジアタッグ王座を奪取した。

アジアタッグ王座戴冠中の2005年5月に、警察官になるためにプロレスラーを引退、同時に王座も返上した。年齢のために警察官にはなれなかったが、警察学校に再入学した。その後に無事卒業し、ネバダ州のタクシー専門の警官となった。

2012年11月17日にFuture Stars of Wrestling (FSW) のラスベガス大会で試合を行った。この試合を最後に2度目の引退を宣言した。

もみあげがトレードマークでWWEの来日公演では「もみあげ」コールが起こり、当時ヒールであったにもかかわらず日本ではベビーフェイス的人気を獲得していた。

リングネーム

リコが用いたことがあったリングネーム

  • リコ・コンスタンティノ
  • ザ・コブラ
  • リコ(引退まで使用)

得意技

獲得タイトル

WWE
OVW
全日本プロレス
その他
  • HWA王座 : 1回
  • EWF王座 : 1回
  • MPPW王座 : 1回

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リコ・コンスタンティノ」の関連用語

リコ・コンスタンティノのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リコ・コンスタンティノのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリコ・コンスタンティノ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS