ジミー・ライアー・ジュニアとは? わかりやすく解説

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ジミー・ライアー・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 07:25 UTC 版)

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シム・スヌーカ
プロフィール
リングネーム シム・スヌーカ
デュース
デュース・シェイド
ジミー・スヌーカ・ジュニア
ソロ
ソロ・スヌーカ
本名 ジェームス・ウィリアム・ライアー・ジュニア
身長 185cm
体重 107kg
誕生日 (1971-09-01) 1971年9月1日(49歳)
出身地 アメリカ合衆国
ハワイ州ホノルル郡ライエ
トレーナー ジミー・スヌーカ
デビュー 2000年
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ジミー・ライアー・ジュニアJimmy Reiher, Jr.1971年9月1日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーハワイ州ホノルル郡出身。

スーパーフライ・ジミー・スヌーカの養子。そのため大叔父ピーター・メイビア、叔父にロッキー・ジョンソンワイルド・サモアンズ、従兄弟にヨコズナリキシウマガロージーザ・ロックマヌというレスリング・ファミリーの一員である。

来歴

OVWではデュース・シェイドの名でTV王座に就くなど活躍、2006年にドミノとタッグを結成。

2007年1月19日にデュース・アンド・ドミノとしてスマックダウンにデビュー。WWEタッグ王座を獲得するなど、第一線で活躍している。ヴェンジェンス2007ではデュース・アンド・ドミノvsジミー・スヌーカ&サージェント・スローター戦が行われ、親子対決が実現した。優れたレスリングセンスを持つためシングルでの試合も多い。

2008年12月15日の放送において、レイ・ミステリオとの試合前に突然ジミー・スヌーカの息子であることをカミングアウト、翌週の放送でランディ・オートンに掛け合いオートンの結成した二世レスラーユニット"レガシー"に加わるが、後にユニット残留を懸けたタッグマッチでは勝利するもののピンフォールを奪ったコーディ・ローデスのみが残留。同じく追放されたマヌと共に"レガシー"に報復するため、事前にコーディに自分たちに付くように説得し、オートンにパントを受けて欠場していたテッド・デビアスを連れてオートンを襲撃するも、コーディとテッドの寝返りによって返り討ちにあった。それ以降はマヌもシムもフェードアウトし、登場が無いままマヌは2009年2月に、シムは同年6月19日に解雇された。

得意技

ジャンピング・ヒールキック
延髄斬り
スーパーフライ・ツイスター
コークスクリュー・スプラッシュ
デュースズ・ワイルド

獲得タイトル

DSW

  • ディープ・サウス・タッグ王座 : 1回(w / ドミノ

IWA

  • IWAハードコア王座 : 1回

OVW

  • TV王座 : 1回
  • OVW南部タッグ王座 : 3回(w / ドミノ)

WWE

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