R&B
リズム・アンド・ブルース
(R&B から転送)
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| リズム・アンド・ブルース | |
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| 文化的起源 | 1940年代、アメリカ合衆国 |
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リズム・アンド・ブルース(英: rhythm and blues)は、1940年代半ば、第二次世界大戦中から戦後にかけてアメリカ合衆国で成立した、アフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽の一ジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)またはR'n'B。歴史的には、ブルースを基盤としながら、ジャズ、ゴスペル、ブギウギ、ジャンプ・ブルース、スウィングなどの要素を取り入れ、強いリズムとビート、都市的な感覚、ボーカルを主体とする演奏によって特徴づけられた[3][4][2]。
この語はもともと、レコード会社や音楽産業が、主としてアフリカ系アメリカ人向けに制作・販売された世俗音楽を分類するために用いた呼称であり、それ以前に使われていた「レイス・ミュージック」に代わる語として広まった[5][6]。1940年代後半から1950年代にかけてのR&Bでは、ピアノ、ギター、ベース、ドラム、サクソフォーンなどを中心とする小編成のバンドや、ボーカル・グループ、ブルース歌手、ジャズ系楽団が活躍し、ダンス性の強いリズム、反復的なリフ、力強い歌唱、バック・ビートを備えた録音が人気を集めた[4][2][7]。
狭義には、1940年代から1960年ごろまでのアメリカ黒人音楽を指し、1950年代にはロックンロールの形成に大きな影響を与え、1960年代以降にはソウル・ミュージックやファンクへと展開した[4][8]。一方で、1970年代以降にはソウルやファンクを含む広い語としても用いられ、1980年代以降には、ヒップホップ、電子音楽、ポップスなどと結びついた現代的な黒人ポピュラー音楽を指してR&Bの語が用いられることも多くなった[9][10]。現代的なスタイルについてはコンテンポラリー・R&Bを参照。
日本では、R&B、ソウル、ファンク、ドゥーワップなどの要素が、来日公演やレコード文化を通じて受容され、都市型ポップスやJ-POPの歌唱、編曲、リズム、サウンド制作にも取り入れられた[11][12][13]。
語源と定義
「リズム・アンド・ブルース」という語は、一つの固定した演奏様式だけを指してきたものではなく、時代、音楽産業、市場によって意味を変化させてきた。1950年代初頭にはブルースのレコードに広く用いられ、1950年代半ば以降には、エレクトリック・ブルース、ゴスペル、ドゥーワップ、初期ソウルなどを含む黒人ポピュラー音楽の包括的な呼称として使われた。1970年代にはソウルやファンクを含む語となり、1980年代以降には、ヒップホップや電子音楽と結びついたコンテンポラリー・R&Bを指す用法も一般化した[4][14]。
『ビルボード』誌のジェリー・ウェクスラーは、1948年にアメリカ合衆国で音楽用語として「リズム・アンド・ブルース」という語を作った人物とされているが[15]、この語は早くも1943年には同誌上で用いられていた[16][17]。ただし、同誌がアフリカ系アメリカ人のあいだで人気のある楽曲を掲載した最初のリストは、1942年に作成されたハーレム・ヒット・パレードであり、「ハーレムで最も人気のあるレコード」を掲載したこのリストは、『ビルボード』のR&Bチャートの前身にあたる[18]。
「リズム・アンド・ブルース」は、それまで一般的に使われていた「レイス・ミュージック」という語に代わるものであった。「レイス・ミュージック」は、オーケー・レコードのプロデューサーであるラルフ・ピアが、アフリカ系アメリカ人の新聞が自らを「人種の人々」と呼んでいた表現に基づいて作った語である[5]。「リズム・アンド・ブルース」という語は、その後、1949年6月から1969年8月まで『ビルボード』のチャート一覧で用いられ、「Hot Rhythm & Blues Singles」チャートはその後「Best Selling Soul Singles」へ改称された[19]。チャート名はさらに、1982年に「Hot Black Singles」、1990年に「Hot R&B Singles」へ変更された。こうした名称の変遷は、アフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽を表す語が、音楽様式だけでなく、時代ごとの文化意識や音楽産業の市場区分に応じて変化してきたことを示している[6]。
「リズム・アンド・ブルース」という語が普及する以前にも、いくつかのレコード会社はすでに「レイス・ミュージック」という語を「セピア・シリーズ」という語に置き換え始めていた[20]。「リズム・アンド・ブルース」は、しばしば「R&B」または「R'n'B」と略される[21]。
作家・プロデューサーのロバート・パーマーは、リズム・アンド・ブルースを「黒人アメリカ人によって、黒人アメリカ人のために作られた音楽を指す包括的な語」と定義した[22]。また彼は、「R&B」という語をジャンプ・ブルースの同義語として用いたこともある[23]。しかし、AllMusicは、R&Bにはより強いゴスペルの影響があるとして、ジャンプ・ブルースとは区別している[24]。ローレンス・コーンは、「リズム・アンド・ブルース」は音楽産業上の便宜のために作られた包括的な語であったと述べている。彼によれば、この語は、ゴスペル曲がチャート入りするほど売れた場合を除けば、クラシック音楽と宗教音楽を除くすべての黒人音楽を含むものであった[5]。
R&Bの境界は、バックビートやブルース的な歌唱といった音楽的特徴だけで決められてきたわけではなく、演奏者、想定される聴衆、レコード会社、専門ラジオ局、レコード店、チャートなどによっても形づくられてきた。ケレファ・サネーは、歴史的なR&Bを、おもにアフリカ系アメリカ人の演奏家と聴衆を中心として形成され、独自の流通・放送・批評の仕組みによって維持されてきたジャンルとして捉えている。そのため、R&Bとポップの境界は音響面だけでは必ずしも明確ではなく、演奏者に対する人種的な認識や、作品が放送されるラジオのフォーマット、想定される市場が分類に影響することもあった[25]。
音楽的特徴
歴史的なR&Bは、ブルースに電気楽器と強いビートを取り入れ、ジャズ、ゴスペル、ブギウギ、ジャンプ・ブルースなどの要素を融合した音楽である。中心となったのはブルース形式を用いる小編成バンドと歌手であったが、ドゥーワップのようなボーカル・グループや、ソロ歌手によるラブ・バラードもR&Bの範囲に含まれた[4][3]。
1950年代から1970年代にかけて典型的だった商業的なR&Bでは、バンドは通常、ピアノ、1本または2本のギター、ベース、ドラム、サクソフォーンなどから構成された。ホーン・セクションやバック・ボーカルが加わる場合もあり、短いリフ、反復するリズム・パターン、コール・アンド・レスポンスを組み合わせることで、強い推進力を生み出した[26]。初期のR&Bは、ジャンプ・ブルース、ビッグバンド・スウィング、ゴスペル、ブギ、ブルースを混合したアフリカ系アメリカ人の音楽として説明されており、強いビート、ダンス性、世俗的な歌唱表現を特徴とした[2]。
歌唱にはブルースの節回しとゴスペルに由来する感情的な表現が取り入れられた。歌詞は恋愛、日常生活、苦悩、喜び、自由への希求などを扱い、アフリカ系アメリカ人の歴史的経験や社会的条件とも結びつけて論じられてきた[27]。
R&Bや、その後に発展したソウル、ファンクでは、ベースは和声の低音部を支えるだけでなく、ドラムと連動してグルーヴを形成する役割を担う。ベース・ラインでは、8ビートや16ビート、シャッフル、シンコペーション、ゴーストノート、ミュート、休符などが用いられ、ペンタトニック・スケール、ブルーノート、ミクソリディアン的な音使いによって装飾されることもある[28]。
R&Bは単一の様式ではなく、時期や地域によって、ジャンプ・ブルース、ニューオーリンズR&B、ドゥーワップ、ゴスペル色の強い歌唱、ブルース色の濃い小編成バンド、ソウルやファンクに近い音楽までを含んできた[4][7]。また、ビル・ドゲット、ブッカー・T&ザ・MG's、キング・カーティス、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズらは、オルガン、サクソフォーン、ギター、ホーン、リズム・セクションを中心とするインストゥルメンタル作品を発表した[29]。
歴史
前史
R&Bの直接的な基盤となったのは、20世紀前半にアフリカ系アメリカ人の都市社会で発展したシティ・ブルース、ジャズ、ゴスペル、ブギウギ、ジャンプ・ブルースである。シティ・ブルースが都市の娯楽音楽として変化するなかで、ブルース形式にジャズの編成、ゴスペルの歌唱、強調されたリズムを取り入れた新しい音楽が形成された[30][3]。
1920年代から1930年代にかけて、アフリカ系アメリカ人がシカゴ、デトロイト、ニューヨーク、ロサンゼルスなどの都市へ移住したアフリカ系アメリカ人の大移動は、ブルース、ジャズ、ゴスペルなどの演奏家と聴衆を都市部へ集め、R&Bへつながる黒人ポピュラー音楽の市場形成を促した[2][3]。
この時期には、ハーレム・ハムファッツ、ロニー・ジョンソン、リロイ・カー、キャブ・キャロウェイ、カウント・ベイシー、T-ボーン・ウォーカーらが、ブルースとジャズの境界にまたがる音楽を演奏した。また、ピアノやサクソフォーンに加え、リード楽器としてのエレクトリック・ギターの重要性も増していった[31]。
1940年代:R&Bの成立
1940年代には、ブルース、ブギウギ、ジャズ、ゴスペルを基盤とする都市的なアフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽が、リズム・アンド・ブルースとしてまとまりをもつようになった。1948年、RCAビクターはアフリカ系アメリカ人向けの音楽を「ブルース・アンド・リズム」の名称で販売していた。この時期の初期R&Bでは、ルイ・ジョーダンのように、ブギウギやジャンプ・ブルースのリズムを小編成のバンドで演奏する音楽家が重要な位置を占めた[2][32]。
ジョーダンのバンド、ティンパニー・ファイヴは1938年に結成され、ジャズ、ブルース、ジャンプ・ブルース、初期R&Bにまたがる小編成バンドとして活動した[33]。ローレンス・コーンは、その音楽をブギ時代のジャズ色を帯びたブルースよりも荒々しいものと位置づけ[34]、ロバート・パーマーは、都会的でジャズを基盤とし、重く持続的なビートを備えた音楽と評した[35]。
ビッグ・ジョー・ターナー、ロイ・ブラウン、ビリー・ライト、ワイノニー・ハリスらも、ブルース、ブギ、ジャズを結びつけた録音を発表した。こうした音楽は当初ジャンプ・ブルースなどと呼ばれていたが、1940年代末にはR&Bとして商業的に広まっていった[34][36]。
1949年には、『ビルボード』の黒人音楽チャートで「リズム・アンド・ブルース」の名称が用いられるようになった。同年、ポール・ウィリアムズの「The Huckle-Buck」、ジミー・ウィザースプーンの「Ain't Nobody's Business」、ルイ・ジョーダン&ティンパニー・ファイヴの「サタデー・ナイト・フィッシュ・フライ」などがヒットし、R&Bの商業的な拡大を示した[37]。これらの録音の多くは、サヴォイ、キング、インペリアル、スペシャルティ、チェス、アトランティックなどの独立系レコード会社から発売された[31]。
初期R&Bは各都市で地域的な特色を備えながら発展し、ニューオーリンズではアフロ・キューバン系リズムを取り入れた独自の様式が形成された。
ニューオーリンズR&Bの形成
ニューオーリンズは港湾都市としてカリブ海地域との交流をもち、その音楽には19世紀以来、キューバやカリブ海地域のリズムが取り入れられていた。ハバネラやトレシージョなどのリズムは、ラグタイム、初期ジャズ、ブルースにも影響を与えた[38]。ジェリー・ロール・モートンは、こうしたラテン系のリズム感覚を「スパニッシュ・ティンジ」と呼び、ジャズに不可欠な「風味」として説明した[39]。
1940年代後半には、ブルースやブギウギにハバネラ、トレシージョ、クラーベなどに関連する反復音型を組み合わせたリズム感覚が、ニューオーリンズR&Bの特徴の一つとなった[40]。このリズム感覚は初期ロックンロールへ取り入れられ、さらに後のファンク形成にも影響した[41]。
この伝統をR&Bへ取り入れた代表的な人物の一人が、バンドリーダー兼プロデューサーのデイヴ・バーソロミューである。バーソロミューは1949年の「Country Boy」で、キューバ音楽に由来する反復音型をサクソフォーンのリフとして用いた。その後、ファッツ・ドミノの録音などを通じて、ニューオーリンズR&Bと初期ロックンロールに特徴的なリズムを発展させた[42]。「Blue Monday」は、その代表例の一つである。
同時期のピアニスト、プロフェッサー・ロングヘアは、ブルースやブギウギにマンボ、ハバネラ、クラーベなどのリズムを融合させ、ニューオーリンズ独自のピアノ様式を形成した[40]。ニューオーリンズで録音活動を行ったリトル・リチャードも、ブルース、ブギウギ、強調されたバックビートを結びつけた演奏によって、初期ロックンロールの形成に関わった[43][44]。
1950年代には、アフロ・キューバン系の反復リズムが、ニューオーリンズ以外のR&Bやロックンロールにも広がった。ボ・ディドリーの「ボ・ディドリー・ビート」は、3–2クラーベに近い反復パターンをR&Bやロックンロールへ取り入れた例とされる[45]。こうしたリズム感覚は、ニューオーリンズR&Bからロックンロール、さらにジェームス・ブラウン以降のファンクへと受け継がれた[41]。
1950年代:ロックンロールへの展開
1950年代初頭まで、R&Bのレコード販売とラジオ放送は、おもにアフリカ系アメリカ人の市場に限られていた。しかし、白人の若年層がR&Bのレコードを購入するようになると、その聴衆は人種的な境界を越えて拡大した。ロサンゼルスのアフリカ系アメリカ人地区にあったレコード店ドルフィンズ・オブ・ハリウッドでは、1952年の売上の約40パーセントを白人客が占めたとされる[46]。
この広がりには、独立系レーベル、レコード店、ラジオDJが大きな役割を果たした。1951年、オハイオ州クリーブランドのDJアラン・フリードは、レコード店主レオ・ミンツの勧めを受け、R&Bのレコードを放送する番組「Moondog's Rock'n'Roll Party」を開始した。ミンツは白人の若者がR&Bを購入していることに気づき、フリードにアフリカ系アメリカ人の音楽をラジオで流すよう促したとされる[47]。フリードは、自らが放送するリズム・アンド・ブルースを「ロックンロール」と呼び、その名称の普及に寄与した。
1950年代前半には、R&Bのなかから、ロックンロールへ直接つながる録音が相次いだ。1951年にアイク・ターナーのキングス・オブ・リズムが録音し、ジャッキー・ブレンストン名義で発売された「Rocket 88」は、しばしばロックンロールの先駆的作品として挙げられる[48]。アイク・ターナー自身は後年、この曲をR&Bと位置づけつつも、ロックンロール成立の契機になったと述べている[49]。
1950年代には、ファッツ・ドミノ、レイ・チャールズ、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、チャック・ベリーらの録音を通じて、R&Bのリズム、ブルースの形式、ゴスペル的な歌唱、強調されたバックビートなどが、ロックンロールの形成へ結びついた[50]。ファッツ・ドミノは「Ain't That a Shame」などでポップ市場へ進出し[51]、レイ・チャールズは「I Got a Woman」においてブルースとゴスペルを結びつけた[52]。リトル・リチャードは「Tutti Frutti」や「Long Tall Sally」によって、アップテンポで激しいR&Bの歌唱と演奏を広め、ジェームス・ブラウン、エルヴィス・プレスリー、オーティス・レディングらに影響を与えた[53][43][44]。
1955年には、ボ・ディドリーの「Bo Diddley」/「I'm a Man」が、クラーベに近い反復リズムをR&Bとロックンロールへ広めた[54]。同年、チャック・ベリーはカントリー系のフィドル曲「Ida Red」を作り替えた「Maybellene」を発表し、R&Bとカントリーの要素を結びつけながら、アフリカ系アメリカ人市場と白人市場の双方へ進出した[55]。
一方、1950年代のR&Bはロックンロールへ向かう演奏だけに限られなかった。ルース・ブラウン、フェイ・アダムス、ビッグ・ママ・ソーントン、エタ・ジェイムスら女性歌手は、ブルースやゴスペルに根ざした力強い歌唱によってR&B市場で重要な位置を占めた。ルース・ブラウンは1951年から1954年にかけて継続的にヒットを出し、ビッグ・ママ・ソーントンによる「Hound Dog」の原録音も広く支持された[56][57]。
また、クローヴァーズ、オリオールズ、ザ・コーズなどのボーカル・グループは、ブルース、ゴスペル、ポップのハーモニーを融合させ、後にドゥーワップと呼ばれる様式を発展させた。ザ・コーズの「Sh-Boom」は、R&B市場からポップ市場へ広がった初期の代表例の一つである[58]。
1950年代後半には、R&Bとロックンロールの市場はさらに重なり合った。1957年にはエルヴィス・プレスリーの「Jailhouse Rock」がR&Bチャートでも1位となり、アフリカ系アメリカ人の音楽を基盤とする様式が白人の演奏家と聴衆にも広く受容されたことを示した[59]。その一方で、サム・クックらは、ゴスペルに根ざした歌唱とポップ志向の編曲を結びつけ、R&Bから1960年代のソウルへ移行する流れを形成した[60]。
1950年代末から1960年代前半にかけては、R&Bとロックンロールの境界はなお流動的であり、同じ楽曲や演奏家が両方の市場で受容されることも珍しくなかった。サネーは、その後、ロックがしだいに白人の演奏家・聴衆と結びついたジャンルとして語られる一方、R&Bやソウルがアフリカ系アメリカ人の演奏家・聴衆を中心とする分類として再編されていったと指摘している[61]。
1959年には、サム・クックのSarと、ベリー・ゴーディが設立したモータウンが活動を開始した[60]。これらの動きは、1950年代に拡大したR&Bが、1960年代に地域ごとのレーベル・サウンドやソウルミュージックへ展開する基盤となった。
1960年代から1970年代:ソウルとファンクへの展開
1960年代に入ると、リズム・アンド・ブルースはしだいにソウルミュージックと呼ばれるようになった。ソウルはR&Bを基盤とし、ゴスペルに由来する歌唱や表現を強く取り入れたアフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽として発展した[60][8]。
この時期には、地域やレコード会社ごとに異なるR&Bおよびソウルの様式が形成された。デトロイトでは、モータウンがポップ市場への広がりを意識した洗練されたサウンドを確立した。モータウンは1960年、ミラクルズの「Shop Around」で初のミリオンセラーを得た[62]。同社はR&B市場での成功にとどまらず、ポップ・チャートや白人の若年層へ作品を届けるクロスオーバーを組織的に目指し、選曲会議や市場反応の検討を制作・販売に取り入れた[6]。その録音では、歌手だけでなく、ベース、ドラム、ギター、鍵盤、打楽器からなるスタジオ・ミュージシャンの演奏が重要な役割を担った。とりわけジェームス・ジェマーソンは、旋律的で動きのあるベース・ラインによってモータウン・サウンドを支えた[63][64]。
一方、メンフィスでは、スタックス・レコードを中心として、ゴスペルやブルースの感覚を強く残す南部ソウルが発展した。スタックスは1961年、カーラ・トーマスの「Gee Whiz (Look at His Eyes)」で初期のヒットを得た[65]。同年に発売されたマーキーズのインストゥルメンタル「Last Night」は、ホーンとリズム・セクションを前面に出した同レーベルのサウンドを示す作品となった[65]。スタックスでは、ブッカー・T&ザ・MG'sやマーキーズなどのスタジオ・バンドが、歌手の伴奏だけでなくインストゥルメンタル作品も発表し、メンフィス・ソウルのサウンド形成に関わった。
こうした地域的な発展のなかから、サム・クック、レイ・チャールズ、オーティス・レディング、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイらが登場した。サム・クックとレイ・チャールズはゴスペルと世俗音楽を結びつけ、オーティス・レディングとアレサ・フランクリンはゴスペルやブルースに根ざした歌唱によってソウルを代表する歌手となった[8]。
1960年代末には、公民権運動やブラック・パワー運動の高まりを背景として、「ソウル」という語は音楽様式だけでなく、アフリカ系アメリカ人の文化的自己表現、本物らしさ、音楽に対する帰属意識と結びついて用いられるようになった[30][66][67]。このため、1960年代後半以降は、従来R&Bと呼ばれていた音楽の多くがソウル・ミュージックとして理解される傾向が強まった。一方で「R&B」という呼称も消滅せず、黒人向けラジオ、チャート、レコード流通、聴衆を結びつける市場分類として存続し、のちの新しい様式を取り込んでいった[68]。
アメリカのR&Bは国外にも影響を与えた。ジャマイカでは、ルイ・ジョーダン、ロスコ・ゴードン、ファッツ・ドミノらのR&Bが初期スカの形成に関わる影響源となった[69]。イギリスでも、アメリカのブルースやR&Bを演奏するバンドが登場し、後のブリティッシュ・リズム・アンド・ブルースやロックの発展につながった。
1970年代には、R&Bやソウルのリズムをさらに強調したファンクが発展した。ジェームス・ブラウンの音楽では、ベース、ドラム、ギター、ホーンが短い反復パターンを組み合わせ、楽曲全体を一つのリズム構造として組み立てる方法が確立された。この手法は、ニューオーリンズR&Bにみられた均等な8分音符やシンコペーションの感覚とも結びつき、後のファンクやディスコに影響を与えた[41]。ニューオーリンズのリズム様式は、のちにミーターズのジョージ・ポーターJr.らによってファンクのベース・グルーヴへ発展した[70]。
同じく1970年代には、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードを中心としてフィリー・ソウルが発展した。ケニー・ギャンブルとレオン・ハフらによる録音は、ストリングス、ホーン、滑らかなボーカル、精密なリズム・セクションを組み合わせ、R&Bとしての基盤を保ちながらポップ市場にも進出した。この洗練されたダンス志向のサウンドは、のちのディスコの形成にもつながった[71]。
ディスコはフィリー・ソウルやダンス向けR&Bの延長上で発展し、R&B系の歌手や制作者にクラブとポップ市場という新たな発表の場をもたらした。その一方で、クロスオーバーを優先するディスコの隆盛は、従来のR&Bの聴衆やラジオ・フォーマットとのあいだに緊張も生じさせた[72]。
1970年代までに、「リズム・アンド・ブルース」という語は、ソウル、ファンク、ディスコなどの黒人ポピュラー音楽を広く包括する呼称としても用いられるようになった[73]。
1970年代後半には、スモーキー・ロビンソンのアルバムおよび楽曲『A Quiet Storm』に由来する「クワイエット・ストーム」が、ゆったりしたR&Bバラードを指すだけでなく、黒人向けラジオの番組・放送フォーマットとしても定着した。ワシントンD.C.のラジオ局WHURでメルヴィン・リンゼイが始めた番組では、R&Bのバラードとクロスオーバー・ジャズなどが組み合わされ、成人のアフリカ系アメリカ人聴取者を主な対象とした。この動きは、洗練された黒人ポピュラー音楽を幅広く扱う「アーバン・コンテンポラリー」フォーマットの発展とも結びついた[74]。
1980年代以降:コンテンポラリーR&Bへの移行
1980年代に入ると、ソウルやファンクを基盤としたR&Bは、シンセサイザー、ドラムマシン、デジタル録音技術の普及によって音楽的性格を変化させた。また、黒人向けラジオでは、ダンス曲、バラード、ファンク、ジャズなどをまとめて扱うアーバン・コンテンポラリーの編成が広まり、R&Bは音楽様式であると同時に放送・市場上の包括的なカテゴリーとして再編された[74]。ヒップホップの成立と普及を受け、R&Bの歌唱やハーモニーに、プログラムされたビートやラップを組み合わせる制作も広がった。この新しい潮流は、のちにコンテンポラリー・R&Bと総称されるようになった[9]。
マイケル・ジャクソン、プリンス、ホイットニー・ヒューストンらは、1980年代にR&Bを基盤としながらポップ市場で大きな成功を収めた。こうしたクロスオーバーは、アフリカ系アメリカ人の音楽を主流のポピュラー音楽の中心へ押し広げる一方、R&Bが固有の聴衆や文化的な帰属意識を失うのではないかという議論も生んだ[75]。その一方で、ルーサー・ヴァンドロスやアニタ・ベイカーらは、R&Bラジオと黒人聴衆を中心とする市場で大きな支持を得ており、ポップへのクロスオーバーとは異なる成功経路も存続した[76]。
1980年代後半には、テディー・ライリーらによって、R&Bの歌唱とヒップホップ由来のビートを本格的に融合したニュージャックスウィングが形成された。ガイ、キース・スウェット、ボビー・ブラウンらの作品では、ファンク由来のシンコペーション、打ち込みによる強いドラム、滑らかなボーカルが結びつけられた[77][78]。
1990年代には、R&Bがヒップホップの制作手法や美意識をいっそう深く取り込んだ。メアリー・J. ブライジに代表されるヒップホップ・ソウルは、ヒップホップのビート、サンプリング、服装や語り口と、R&Bの歌唱やハーモニーを結びつけた。ラッパーを迎えたリミックスや客演も一般化し、ジョデシィ、アリーヤ、TLC、ブランディ、アッシャーらが、この接近を多様な形で発展させた[9][79][78]。
同じ時期には、1970年代のソウルや生演奏を再評価するネオ・ソウルが登場した。「ネオ・ソウル」という名称は、レコード会社経営者のキダー・マッセンバーグによって、ディアンジェロやエリカ・バドゥらを紹介する分類として普及した。ネオ・ソウルは、古典的なソウルの歌唱や楽器編成へ回帰する一方で、ヒップホップのビート、サンプリング、制作手法も取り入れており、単なる復古にはとどまらなかった。また、分類された音楽家の一部は、この名称が多様な作品を一括りにするとして距離を置いた[80]。
一方、ティンバランドが手がけたアリーヤらの録音では、電子音、余白の多い編曲、予測しにくいシンコペーション、抑制された歌唱が組み合わされ、1990年代末以降のR&Bに未来的なサウンドをもたらした[81]。こうした制作は、R&Bが過去のソウルを参照する潮流と、新しい電子的な音響を追求する潮流を同時に含みうることを示した。
1990年代末から2000年代には、R&Bとヒップホップの制作手法や市場は密接に結びつくようになった。2010年代以降には、ドレイクなど、ラップと歌唱を行き来するアーティストの成功によって、両ジャンルの境界はさらに流動的になった[9]。サネーは、1980年代以降のR&B史を、ポップ市場へ外向きに広がろうとするクロスオーバーと、固有の聴衆・伝統・文化的帰属を保とうとする動きの相克として捉えている[82]。ニュージャックスウィング、ヒップホップ・ソウル、ネオ・ソウル、電子的な現代R&Bは、それぞれ異なる方法でこの二つの方向を結びつけてきた。
ブリティッシュ・リズム・アンド・ブルース
ブリティッシュ・リズム・アンド・ブルースは、アメリカのブルース、R&B、ロックンロールの録音を受容するなかで、1950年代末から1960年代初頭のイギリスに形成された。録音は、イギリスに駐留していたアフリカ系アメリカ人の軍人や、ロンドン、リヴァプール、ニューカッスル、ベルファストなどの港を訪れた船員によって持ち込まれることも多かった[83][84]。ロンドンのクラブ・シーンを中心とするバンドは、アフリカ系アメリカ人の演奏を手本としながら、当時のビート・グループよりもギターと強い演奏感を前面に出した独自の音を形成した[85]。
1960年代半ばには、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループ、ヴァン・モリソンを擁するゼムなどが、R&Bを初期のレパートリーとサウンドの中核に据えた[85]。ローリング・ストーンズは、ボビー・ウーマックらが在籍したヴァレンティノスの「It's All Over Now」をカバーし、1964年に初の全英1位を獲得した[86]。これらのバンドはR&Bだけを演奏したわけではなかったが、アメリカの黒人音楽をイギリスのポップ市場へ広め、ブリティッシュ・インヴェイジョンと後のブルースロックの形成に関わった[85]。
イギリスのモッズ・サブカルチャーでは、輸入されたR&Bやソウルのレコードがクラブ文化の重要な音楽となった。ザ・フーをはじめとするバンドも、モータウンの「Heat Wave」などを演奏した[87]。ブリティッシュR&Bは、アフリカ系アメリカ人の音楽を単に再現するのではなく、ギター中心の編成とイギリスのクラブ文化のなかで再解釈され、1960年代後半以降のロックへつながる基盤の一つとなった[85]。
日本における受容
日本におけるR&Bおよびソウルの受容は、輸入盤を扱う店舗やバー、海外音楽家の来日公演などを通じて進んだ。1968年2月には、スティーヴィー・ワンダー、マーサ&ザ・ヴァンデラスらが出演する「モータウン・フェスティヴァル」が東京と大阪で開催された。音楽ジャーナリストの吉岡正晴は、これを日本の音楽業界で初めて行われたソウル・ミュージックのフェスティヴァルと位置づけている。公演には当時のグループ・サウンズの音楽家も足を運び、公演パンフレットにはR&Bを掲げる店舗やバーの広告が複数掲載されていた[11]。
1970年代末から1980年代には、R&B、ソウル、ファンクの要素が日本の都市型ポップスを構成する要素の一つとなった。音楽メディア『Pitchfork』は、同時期に発展したシティ・ポップを、R&Bとジャズの影響を受け、アメリカのファンク、ブギ、ラウンジ・ミュージックなどを取り入れた日本の音楽として説明している[12]。
個別の例として、久保田利伸は、R&Bやソウルから大きな影響を受けたとされ、1986年のデビュー以降、ファンク、ソウル、R&Bの要素を日本語のポップスへ取り入れた[88][89]。また、シャネルズからラッツ&スター、さらに鈴木雅之へとつながる活動では、ドゥーワップが継続的な音楽的基盤となった。鈴木の2025年のアルバム『All Time Doo Wop!!』は、シャネルズおよびラッツ&スター時代の楽曲も含め、ドゥーワップを軸とする作品として紹介されている[90]。
1990年代末には、アメリカの現代R&Bに近い歌唱やプロダクションが、日本の主流ポップ市場でも目立つようになった。その象徴的な例の一つが宇多田ヒカルである。『Pitchfork』は、宇多田が初期の英語作品から、自身の志向に近いR&Bへと方向を移し、1999年のアルバム『First Love』が記録的な成功を収めたと評している[13]。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 Smith, Jessie Carney, ed (2011) (英語). Encyclopedia of African American Popular Culture. Greenwood. p. 1163
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R&B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 14:38 UTC 版)
最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス "He Think I Don't Know" - メアリー・J. ブライジ(『No More Drama』2002年版所収) 最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス "U Don't Have To Call" - アッシャー(『8701』所収) 最優秀R&Bパフォーマンス(デュオもしくはグループ) "Love's In Need Of Love Today" - スティーヴィー・ワンダー&テイク6(テイク6『ビューティフル・ワールド(Beautiful World)』所収) 最優秀トラディッショナルR&Bボーカル・パフォーマンス(改名) "What's Going On" - チャカ・カーン・アンド・ザ・ファンク・ブラザーズ(『永遠のモータウン(Standing in the Shadows of Motown)』より) 最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス "Little Things" - インディア・アリー(『インディアへの旅(Voyage to India)』所収) 最優秀R&Bソング "Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)" - エリカ・バドゥ、Madukwu Chinwah、Rashid Lonnie Lynn(コモン)、Robert Ozuna、ジェイムズ・ポイザー(英語版)、ラファエル・サディーク(英語版)、グレン・スタンリッジ。performed by エリカ・バドゥ featuring コモン。 最優秀R&Bアルバム 『インディアへの旅(Voyage To India)』 - Alvin Speights(エンジニア、ミキサー)。シャノン・サンダース(プロデューサー)。インディア・アリー(プロデューサー、アーティスト) 最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム 『Ashanti』 - ブライアン・スプリンガー、Milwaukee Buck aka Buck 3000(プロデューサー、ミキサー)。7 Aurelius(エンジニア、ミキサー、プロデューサー)。Irv Gotti(プロデューサー)。アシャンティ(歌手)
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