柳田稔
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柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家。基幹労連組合員。
- ^ 公式プロフィール[リンク切れ]
- ^ “当確速報!改選定数2の広島選挙区 柳田稔氏(民進党公認候補・現職)が新人を振り払い勝利!”. 選挙ドットコム (2016年7月10日). 2023年5月24日閲覧。(『池上彰の選挙ライブ』を撮影した写真)
- ^ “民主党:臨時国会を前に、参院総会で一致団結を改めて確認”. archive.dpj.or.jp. 民主党. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 法務省2010年9月17日
- ^ 時事通信:拉致家族「見たことない」=担当相兼務の柳田法相 [1][リンク切れ]
- ^ 日テレNEWS242010年9月18日
- ^ 「それなりに人脈」 官房長官が拉致担当人選で説明 産経新聞 2010年9月18日閲覧[リンク切れ]
- ^ 共同通信2010年11月17日
- ^ “「法相は答弁2つ覚えておけばよい!」 柳田法相、国会で陳謝 - MSN産経ニュース”. MSN産経ニュース. (2010年11月16日) 2010年11月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 河井も後に法務大臣に就任するが、就任直前に実施された第25回参議院議員通常選挙において、妻・河井案里の立候補を巡って大規模買収を犯した(河井夫妻選挙違反事件)ことで辞任、その後の公判で実刑判決を受けたため、結果的にこの発言はブーメランとなってしまっている。
- ^ “柳田法相:仙谷官房長官が厳重注意 国会答弁軽視発言で - 毎日jp(毎日新聞)”. 毎日jp. (2010年11月17日) 2010年11月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ ウォール・ストリート・ジャーナル日本版2010年11月17日
- ^ 日テレNEWS242010年11月19日
- ^ 日テレNEWS242010年11月21日
- ^ 柳田法相、菅首相に辞表を提出 日テレNEWS24 2010年11月22日
- ^ 仙谷の法相兼務はその後の内閣改造で2011年1月14日に江田五月が就任するまで続いた(菅第2次改造内閣)。
- ^ YOMIURIONLINE2011年6月13日
- ^ “両院議員総会 海江田代表が新役員の選任を提案し了承される”. 民主党. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 海兵隊基地は「人殺し基地」社民・山内氏が暴言 産経新聞2013年6月11日
- ^ 社民の「米軍は人殺し」発言 民主・柳田氏が理解示す 産経新聞2013年6月20日
- ^ 民主代表選候補の推薦人名簿 時事ドットコム 2015年1月7日 2015年1月8日閲覧。
- ^ “国民民主党、結党大会を開催”. Qnewニュース. (2018年5月7日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “国民民主党設立大会 綱領・規約・人事等を決定”. 国民民主党. (2018年5月7日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “柳田参院議員が合流新党不参加 無所属で活動へ /広島”. 毎日新聞. (2020年9月9日) 2020年9月14日閲覧。
- ^ “柳田元法相が引退表明 参院選不出馬、年齢理由に”. 産経新聞. (2021年12月22日)
- ^ “ほんの1分足らず” 麻生外相らが遅刻、激怒した民主党が開会拒否…参院外交防衛委 毎日新聞2007/04/13 [2][リンク切れ]
- ^ 民主党ホームページ:柳田参院幹事長、「厚生労働分野の経験を生かして頑張っていきたい」と就任の意気込みを語る [3]
- ^ 朝日新聞2016年参院選候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)、(2016年6月23日閲覧)
- ^ 2010年10月21日16時28分 読売新聞
[続きの解説]
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