マリー・ド・ブルゴーニュとは? わかりやすく解説

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マリー・ド・ブルゴーニュ

(Mary of Burgundy から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 18:17 UTC 版)

マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne, 1457年2月13日 - 1482年3月27日[1])は、ヴァロワ=ブルゴーニュ家ブルゴーニュ公国最後の君主、(名目上の)ブルゴーニュ女公(在位:1477年 - 1482年[2]。祖父はフィリップ善良公、曽祖父はジャン無怖公、高祖父はフィリップ豪胆公。後の神聖ローマ皇帝であるハプスブルク家マクシミリアン1世の妻。領民たちからは「美しき姫君」「我らのお姫さま」と慕われていたという。富貴公(the rich)とも呼ばれた。


  1. ^ Mary duchess of Burgundy Encyclopædia Britannica
  2. ^ 世界の観光地名がわかる事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
  3. ^ 旅名人編集室編『ベルギー・フランダース 中世ヨーロッパ史の縮図』日経BP企画、2004年、11頁。ISBN 978-4-86130-040-0 


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