Levukaとは? わかりやすく解説

レブカ

(Levuka から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 05:19 UTC 版)

レブカ
Levuka

太平洋に面したレブカのメインストリート(ビーチ・ストリート)
位置
レブカ
レブカ (フィジー)
座標 : 南緯17度41分2.45秒 東経178度50分24.46秒 / 南緯17.6840139度 東経178.8401278度 / -17.6840139; 178.8401278
行政
フィジー
 地域 東部地域
 州 ロマイヴィティ州英語版
 町 レブカ
人口
人口 (2017年現在)
  町域 4,481人
その他
等時帯 フィジー時間 (UTC+12)
夏時間 フィジー夏時間 (UTC+13)
ビーチ・ストリートと記念碑

レブカ(Levuka)は、フィジー東部地域の町。フィジー中央部のオバラウ島東南岸に位置し、東部地域の中心地である[1]

概要

1874年から1882年までの間、イギリス植民地フィジーの首都であった。人口は4,481人(2017年国勢調査[2])で、これはオバラウ島の人口の46%を占める。

歴史

レブカは1820年ごろにヨーロッパの植民者によって建設され、フィジー諸島における最初の近代的都市として、重要な港をもち交易拠点となっていた。 港には宣教師や船大工などが集まり、1858年には伝道局が設置された。当時フィジーでは6つの王国が覇権を争っていたが、そのうちセル・エペニサ・ザコンバウ王が強力となり、1871年にはザコンバウはフィジーを統一。レブカで戴冠し、フィジー王となった。しかし、この政府はまもなく破綻し、1874年にザコンバウはフィジーをイギリスへと譲渡。レブカはそのまま英領フィジーの首都となった。だが、レブカは背後にまで山が迫り土地が狭小だったため、まもなく植民地政府は首都移転を計画し、1882年には首都はビティレブ島スバに移転。レブカは寂れたものの、なお重要な町であり続けた。

経済

レブカは港町であり、さまざまな新文化が上陸してくる場所であったため、フィジー初のものが多くある。レブカではフィジー初の郵便局、銀行、新聞社、ホテルなどが建てられた。1869年にはフィジー初の新聞社フィジー・タイムズ紙がここで発行され、1879年にはフィジー初の公立学校が設立された。また1927年には、首都スバで開始される三日前に電力供給が始まった。

レブカはかつて太平洋交易の要所として栄えたが、1950年代にはその役割はほとんどなくなっていた。1964年、日本資本の水産加工場が建設され、冷凍マグロやツナ缶を製造してヨーロッパやカナダへ輸出するようになり、以後これがレブカの主産業となった。観光は、この町では産業上あまり重要な役割をはたしていない。

観光

世界遺産

2013年の第37回世界遺産委員会での審議を経て、ビーチ・ストリートとその周辺が「レブカの歴史的港町」として、UNESCO世界遺産リストに登録された。フィジーでは最初の世界遺産である。

脚注

  1. ^ Divisions of Fiji”. Statoids (2015年6月30日). 2023年10月9日閲覧。
  2. ^ Fiji”. Citypopulation (2018年10月29日). 2023年10月9日閲覧。

座標: 南緯17度41分 東経178度50分 / 南緯17.683度 東経178.833度 / -17.683; 178.833



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Levuka」の関連用語

Levukaのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Levukaのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレブカ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS