LTTEとの抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 23:40 UTC 版)
「タミル・イーラム人民解放機構」の記事における「LTTEとの抗争」の解説
1982年5月19日午後9時45分頃、チェンナイのポンディ・バザールでLTTEとPLOTEのメンバーの間に銃撃戦が発生した。リボルバーで武装したLTTEのヴェルピライ・プラバカランとラグァヴァン (別名:シヴァクマー) がPLOTEのジョセスワランとウマ・マヘスワランに発砲したもので、1970年代中盤にともにLTTEメンバだったプラバカランとマヘスワランの遺恨によるものと考えられている。銃撃でジョセスワランは左右の両腿に銃弾に受けて負傷した。マヘスワランも撃たれたが無傷で逃走した。プラバカランとラグァヴァンは逮捕・拘留された。両名ともスリランカ政府から犯罪者として50万ルピーの懸賞金がかけられていた。 一方のマヘスワランも1982年5月25日にインド・タミルナードゥ州のグミディプーンディ駅近くで逮捕された。マヘスワランは逮捕の際にリボルバーを発砲して抵抗し、他にもインド軍法における嫌疑で逮捕された。 これに先立つ1982年5月23日には、マヘスワランの共犯者シヴァネスワラン (別名:ニランジャン) もチェンナイのサイダペットで拳銃の無許可所持で逮捕され、拳銃は没収された。彼らは全員1982年8月5日まで拘束された後、裁判所の条件付保釈命令により釈放された。プラバカランを含むLTTE幹部はチェンナイのマイラポールに居を構え、PLOTEはチェンナイのサイダペットに滞在していた。
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