今川義忠とは? わかりやすく解説

今川義忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 14:42 UTC 版)

今川 義忠(いまがわ よしただ)は室町時代から戦国時代武将守護大名駿河国守護。駿河今川家第8代当主。今川義元の祖父にあたる。


注釈

  1. ^ 『今川記』では範政とされているが、範政は永享5年(1433年)に没しており、名代は龍王丸(義忠)と思われる[1]
  2. ^ 大塚勲は『宗長日記』の記述から義忠の戦死を文明7年の誤りとする説を唱えているが[11]、黒田基樹は大塚の解釈誤りを指摘して文明8年で問題ないとしている。また、黒田は江戸時代には文明11年死去と記す文献もあったが、これは後継ぎである龍王丸が足利義政から義忠の後継者として安堵を受けた年を誤解したものである、と解説する[12]
  3. ^ 飯尾氏が今川氏の譜代ではなく元々は吉良氏の家臣であったことは、『山科家礼記』応仁2年7月5日条に登場する「吉良殿内飯尾善四郎」という人名(「善四郎」は飯尾連龍まで飯尾氏歴代当主の通称として用いられた)から裏付けられる[16]

出典

  1. ^ 小和田 1983, p. 124.
  2. ^ 小和田 1983, pp. 129–130.
  3. ^ a b 清水市史編さん委員会 1976, p. 362.
  4. ^ 小和田 1983, pp. 131–132.
  5. ^ 小和田 1983, p. 134.
  6. ^ 小和田 1983, p. 133.
  7. ^ 家永 2005, pp. 42–43.
  8. ^ 家永 2005, p. 43.
  9. ^ 小和田 1983, pp. 133–134.
  10. ^ 家永 2005, p. 45.
  11. ^ 大塚勲「今川義忠の討死と竜王丸の自立」『今川氏と駿河・遠江の中世』岩田書院、2008年。 
  12. ^ 黒田 2019, pp. 11–12.
  13. ^ a b 家永 2013, pp. 235–236.
  14. ^ 黒田 2019, pp. 12.
  15. ^ 家永 2013, pp. 236–238.
  16. ^ 谷口 2019, p. 41.
  17. ^ 谷口 2019, pp. 40–48.


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