IF結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 00:14 UTC 版)
「シャーム自由人イスラム運動」の記事における「IF結成」の解説
2013年11月、「運動」は他のイスラム主義組織と共に組織連合・イスラム戦線(IF)を結成し、アブードがIF政治部門の指導者に就任したとされる。 2014年1月、IFに所属していたイスラム軍、タウヒード旅団、シャームの鷹旅団から、他の反体制派に対して攻撃的なISILに制裁を課そうとする声が上がった。「運動」はこれに消極的だったが、最終的にIFとしてISILと戦うことを発表した。これと前後して、ISILとIF・ヌスラ戦線・自由シリア軍などがアレッポ・ラッカ・マンビジなどで戦闘を繰り広げた。 程なく各地で「運動」とISILの間で講和が結ばれた。しかし、2月にはいると「運動」はISILから襲撃を受けたとして、「裏切り集団」ISILとの停戦合意を破棄すると宣言した。これに対してISILはIFの司令部・メンバーに背教宣告を下した。その後、アブー・ハーリド・スーリーはアルカイダ指導者アイマン・ザワーヒリーから、関係が悪化していたアル=ヌスラ戦線とISILの仲裁役に任じられたが、ISILと思われる組織がアレッポの「運動」本部に対して自爆攻撃を行い、アブー・ハーリド・スーリーら6人が殺された。ただし、ISILはスーリー殺害を否定した。 このようにISILとの戦闘を繰り返した結果、IFは弱体化した。
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